第9章 クリフォト教国編

第157話

 結局、アデルたちが実際にクリフォト教国へ旅立ったのはそれから五日後のことだった。

 五日を長いと考えるべきか短いと考えるべきか。


 結論としては後者である。

 他国の王族といった身分の高い人物の入国には通常いくつもの手順を踏む必要があった。

 五日ですべての承認を得るという事はありえないのだ。

 にもかかわらず五日という短期間で出発できたのは、ひとえに教皇であるアイリスと側近のベネディクトが根回しをしてくれたというのが大きい。


「フハハ! 楽しんでおるか?」


 肩だしの深紅のドレスを纏ったシャルロッテは、直立不動の姿勢で腕を組みながら告げた。

 ドレスの中央には空色セレスタインのアクセサリーが優美に輝いている。

 この飛空艇の主人として相応しい圧倒的な存在感を示していた。


「ええ、シャル様」


 全面ガラス張りの室内、高い天井では暖光灯がいくつも灯っている。

 飛空艇が航行するなか、ふかふかのクッションが敷かれた座席から流れるように変わる眼下に広がる景色を眺めながら、アデルは呼びかけに応じた。


 今回は学生としてではなく国を代表しての訪問となる。

 そのためアデルたちは学生服ではなくスーツやドレスを着ていた。


「自分の足で地面を歩きながらゆっくり眺める景色も素晴らしいですが、こうして空から眺める景色もまた違って良いものですね。時間が経つのを忘れてしまいます」


 アデルはガラス越しに見える景色から目を上げると、隣に視線を移す。

 視線の先には同じく外の景色を楽しむリーゼロッテの姿があった。

 ガラスに手を当ててにこやかな微笑を湛えたリーゼロッテの蒼眼は、刻々と変化する風景を捉えている。


「――本当ね」


 たった一言だがその言葉からは真にアデルに同意しているのが感じられた。


 レーベンハイト公国も飛空艇を所有しており、リーゼロッテも何度か父である公王に連れられて乗っているのだが、今乗っている飛空艇のような全面ガラス張りではない。

 当然ながら外の景色を楽しむことなどできず、座席でじっとしているか、本を読むなどして目的地に着くのを待つしかなかった。

 

 そんなわけで飛空艇=退屈という認識であったリーゼロッテにとって、シャルロッテの飛空艇は新鮮そのものだった。

 外の景色が一望できるだけでなく、それは時間ごとに顔を変えるのだ。

 青金石色ラピスラズリの瞳が輝くのも当然の事だといえる。


「フハハ、二人とも楽しんでおるようで何よりだが、先ほどクリフォト教国内に入ったぞ」

「早いですね」

「そう思ったのなら其方らが外の景色に見惚れていたという証よ」

「確かに。そうかもしれませんね」


 アデルは座ったまま両腕を天井に向けて伸ばすと、背中や腕の筋肉がほぐれていくのを実感した。

 

「目的地まではおよそ十五分といったところか。五分前には高度を下げるゆえ、出立の準備をするのだぞ」

「承知しました。お気遣いありがとうございます……おや、どうしたのですか?」


 アデルが声をかけたのは座席に座ったまま岩のように固まっているガウェインだ。

 彼は飛空艇に乗ってから今の今まで一言も発していなかった。


 理由は一つしかない。


 リビエラと少しでも一緒にいたいという一心で護衛に志願し、ひたむきに頑張った結果、最終試験をくぐり抜け選出された。

 護衛に選ばれ、しかもリビエラとペアで護衛をすることになったのだ。

 一緒にいる時間が長くなればそれだけ彼女と会話をする機会も増える。

 つまり、二人の仲を進展させるチャンスも多くなったというわけだ。


 護衛はもちろん頑張るつもりだが、期間中に少しでも仲良くなれれば――ガウェインはそんなことを考えていた。

 と、ここまでは良かった。

 しかし、いざ出発の日になりシャルロッテの飛空艇を前にしたガウェインは、同行する面々を見て萎縮してしまう。


 自分が本当に護衛でよかったのか、自分の実力ごときで一緒に行くなど場違いなのではないか。

 一度悪い方向に考えてしまうと一人で抜け出すことは難しいものである。

 まだ若いガウェインであれば尚更のことだ。


 そして今に至る。


「いいですか、ガウェインくん。人生において慢心はいけない。それはとてもよくないことです。ですが、己を卑下しすぎるというのもまたよくないことなのです。本来持っているガウェインくんの価値を見失ってしまうことになりますからね」


 アデルは澄んだ青い瞳をガウェインの顔に向け、たしなめるように首を振る。


「貴方の頑張っている姿をよく知る私が断言します。実力で選ばれたのだと」

「師匠……ありがとうございます。でも、やっぱり不安なんです。自分が迷惑をかけてしまわないか……」

 

 暗かった表情が和らいだのもほんの一瞬のことだった。

 ガウェインはかすかに肩を震わせたあとに俯いてしまう。

 いつもであればアデルが励ましの言葉をかければ、すぐ笑顔を見せていたのだが。


 重たい沈黙が会話の間に挟まり、ガウェインの周囲の雰囲気は一層重苦しくなった。


「ここは貴女の出番じゃないの?」


 見かねたリーゼロッテが後ろを振り返り、直立不動で控えていたリビエラに耳打ちをする。


「わ、私がですかっ!?」


 リーゼロッテからの思いもよらない提案に、リビエラの声は上ずってしまう。

 ガウェインの様子がいつもと違うことには気づいていた。

 学園では毎日のように話しかけてきていたのに、飛空艇に乗ってから一度も話しかけてこなかったのだから、気づかないわけがない。


「この空気をなんとかできるとしたら、それは貴女しかいないわ」

「で、ですが、何と言えばよいのか……」

「何でもいいのよ。リビエラから声を掛けられたということが大事なんだから」

「しかし……」


 それでもリビエラはどう声をかければよいか逡巡していた。

 今まで任務ばかりで普通の女の子としての人生を歩んでこなかったリビエラである。

 同年代、しかも自分に好意を寄せるガウェインに、なんと声をかけてよいのか分からないのだ。

 

 考えが纏まらないうちにリビエラの足は、ガウェインに向かって交互に踏み出し始めた。

 いつの間にか席を立ち、自身の傍らにいたリーゼロッテがそっと彼女の背中を押したのだ。


(どうしよう)


 リビエラの頭の中で言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。

 気づいた時には、項垂うなだれるガウェインの前に立っていた。

 ガウェインがゆっくりと顔を上げる。


「――リビエラ、さん?」


 自分を見つめるガウェインの表情は何だか子犬のように見えた。

 そんな彼を前にしたリビエラは言葉を発するよりも先に行動していた。

 ガウェインの頭を何度も優しく撫でる。


「えっ! リビエラさん、なにをっ!?」


 ガウェインの頭の中は混乱していた。

 いきなり目の前にリビエラが現れたかと思えば、自分の頭を撫でてきたのだ。

 無表情だったガウェインの顔が一気に紅潮する。


 時を同じく、ガウェインの表情を一変させるきっかけを作った張本人、リビエラの脳内は混乱していた。

 自分が何故このような行動をとったのか分からないのだ。

 にもかかわらず。

 混乱していても尚、彼女の手はガウェインの頭を撫で続けている。

 当のガウェインは、リビエラの掌に撫でられたままになりながら目を瞬かせる。


「……貴方は、その、よく頑張っていると思います」


 ほんの少しだけ頬を赤くしながら発した、リビエラの言葉。

 かろうじて聞き取れるかどうか、そんな消え入るような大きさだったが、ガウェインの耳にはしっかりと届いていた。


 リビエラは撫でていた引っ込める。

 ガウェインは撫でられていた頭に手を当てると、満面の笑みを浮かべた。

 自分の頭の中をもやのように覆っていた焦りは、いつの間にか全て吹き飛んでいた。


「ほら、私の言った通りになったでしょ」


 リーゼロッテは満足げに頷いている。


「恋する相手からの言動に勝るものはない、ということですね」


 一緒に見ていたアデルも相づちを打つ。

 重苦しい雰囲気から一転して柔らかな空気に包まれる。


「……くだらん」


 遠くから壁にもたれて眺めていたリーラが、誰に聞こえるでもなく呟く。


「またまた~。ホントは羨ましいんでしょ~?」


 茶化すように告げたのはヴァイスだ。

 

「……何を言っている」


 訝し気なハスキーボイスで表情を変えないリーラだが、瞳の僅かな動揺の色をヴァイスは見逃さなかった。

 不審げな視線を向けられても尚、ヴァイスの口調はくだけたままだった。


「え~、だって想像してたんじゃないのぉ? シュヴァルツ様に頭を優しく撫でられる自分の姿をさ」

「――っ!」


 図星だったのか、離れた場所に座っているアデルたちから視認できるほど、リーラの肩は小刻みに震えている。

 常に周囲に厳格で冷たい印象を与えているリーラが、このような醜態を晒すことなど滅多にない――というよりも初めてのことだった。


「あっはっは、リーラも女の子なんだね~。うんうん、いいことだと思うよ。シュヴァルツ様の前でも見せればいいのに」


 ヴァイスは、ゆっくりと、蠱惑的な笑みを浮かべる。


「――だ」

「……? 何だって?」


 リーラの言葉をうまく聞き取れなかったヴァイスは、小首を傾げた。


「今日が……貴様の命日だと言ったのだ、私は!」


(あー、これはチョットだけヤバいかも……)


 どうやらリーラの逆鱗に触れてしまったようだ。

 空の上では逃げ場などないに等しく、本当に今日がヴァイスの命日になるかもしれない。


 だが、そこは"五騎士"の一人である。

 リーラが動き出すより早く、ヴァイスはブリッジへと続く入り口に向かって猛然とダッシュしていた。

 何故なら、目的地であるクリフォト教国の空港に到着したからだ。

 本気で逃げられてしまえば、リーラではヴァイスを捕まえることなどできない。

 リーラは眉をひそめたが、それも一瞬のことだった。


 次の瞬間にはリーラに戻っていた。

 ピンと背筋を伸ばし、やや声を高める。


「——着いたようだな、行くぞ」


 彼女はその言葉で、まるで何事もなかったかのように締めくくったのだった。

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