第144話 ガウェインが頑張る理由

 肩を上下させながら、ゼェゼェと荒い息を吐く。

 頬から滴り落ちる汗が地面に染み込む。

 足は覚束なくなっているがそれでも何とか踏ん張っているのは、成長の証だろう。

 瞳に宿した闘志の光は消えることなく、ガウェインは真っすぐ前を見つめていた。

 

「お疲れさまでした。どうぞ」

「あ……ありがとう……ござい、ます」


 アデルが労いの言葉をかけて、左手のタオルをガウェインに差し出す。

 ガウェインは受け取ったタオルで顔面を拭う。

 

「冷たいっ!?」


 ガウェインは疲れていることも忘れ、思わず大きな声をあげてしまう。

 火照った顔が冷たいタオルによって冷やされる。


「走っている間にリーラ先輩の異能を再現してタオルを冷たくしておきました」

「は……走っている間に!?」


 ガウェインが隠し切れない驚きと共に問い返す。

 走りながら異能を発現させることは自体は、特に何でもない。

 それくらいならガウェインだってできることだ。

 彼が驚きを隠せなかったのは、あの距離を走っている間に、アデルが異能を発現する余裕があったということだ。

 

 ガウェインはアデルが毎朝の日課としているジョギングに参加した。

 学園の外周は約五キロメートル。

 ガウェインがリーゼロッテやエミリアと共にアデルのジョギングに参加したときは、二周していた。

 それを覚えていたからこそ、ガウェインは人知れず二周の走り込みを続け、少しでもアデルに近づこうとしていたのだ。


 だが、国別異能対戦から戻ってきたアデルと一緒に走ったときは二周ではなく、三周だった。

 アデル曰く、


「同じ時間で走れるようになったから」


 ということだが、同じ時間で三周走るということは、一周にかける時間がそれだけ短くなった、つまり速く走るということにほかならない。

 最初二周で終わると思っていたガウェインは、楽観していた。

 密かに走り込みをして、以前に比べて体力はついている。

 アデルに遅れることなく二周を走り切れば良いのだ。

 

 しかし彼はすぐ、自分の見通しが甘かったと気づく。

 走る速度が想定していたよりも速い。

 そのことに驚きつつ、それでも二周ならと必死でアデルに並行する。

 息苦しさを覚えつつ、二周目を終えたところでガウェインは再び驚愕した。

 アデルが足を止めることなく、走り続けていたからだ。


 一瞬足を止め、呆然と見つめていたガウェインだったが、ちらりと後ろを振り返ったアデルと目が合う。

 ついていかないとダメだ。

 とにかく、師匠について走り切らないといけない。

 ガウェインはそう悟っていた。

 既に走った距離は十キロを過ぎ、ガウェインにとって未知の領域だ。

 呼吸は乱れ、太ももや足首が悲鳴を上げている。

 

 前方を走る安定した足音が耳に入る。

 ガウェインと同じ時間、同じ距離を走っているはずなのに、足取りが全く乱れていない。

 それどころか、時々こちらを振り返る余裕さえ見せている。

 無尽蔵ともいえる体力に戦慄を覚えつつ、ガウェインは足を速めた。




 

 そして今に至る。

 ガウェインは何とか完走できたものの、喋ることもままならないほど疲弊していた。


「ガウェイン君、大丈夫ですか?」


 横に立つアデルが、気遣うような口調で声を掛ける。


「……はい」


 ガウェインは荒くなった呼吸の中で、その一言を絞り出す。


「昨日の手合わせにも驚かされましたが、少しの間に成長しましたね」


 称賛の言葉を口にして、にこりと微笑むアデルだが、ガウェインは素直に喜べないでいた。

 ガウェインと同じく、アデルはタオルで汗を拭っているものの、呼吸の乱れは全くない。

 涼しげな顔で髪をかき上げていた。


 まだだ。

 もっと頑張らないと。

 ガウェインが決意を新たにする。


「頑張っているようですが、何か理由でもあるのですか?」

「――え?」


 アデルの問い掛けに、ガウェインが目を丸くして驚く。


「いえ、自分自身の為に頑張っているにしては、何と言いますか、鬼気迫ったものを感じたのですよ。言いにくいことであれば無理に聞くつもりはありません」


 アデルの読みは当たっている

 ガウェインには強くなりたい理由があった。

 それも己のためではなく、ある一人の女性の為に。

 いや、結果的にはガウェイン自身の為といえるのかもしれないが。


「相談に乗ってくれますか?」

「私で良ければいくらでもお聞きしますよ」

「いえ、むしろ師匠が適任なんです。師匠にも関係のあることなので」


 アデルは首を傾げた。

 自分に関係のあることで、ガウェインが強くなろうとしている理由が思いつかなかったからだ。

 思いつめた顔をしていたガウェインだったが、やがてゆっくり口を開いた。


「師匠はクリフォト教国に行かれるんですよね? リーゼロッテ様と一緒に」

「ええ」

「その時に同行する護衛を二名ずつ選抜するとか」

「その通りですが、それとガウェイン君が頑張っているのとどういう関係が――まさか?」


 そこで、アデルは気づく。

 ガウェインは護衛に参加したいのではないかと。

 それならば確かにガウェインがこれだけ頑張っているのも理解できる。

 学園長は強さのみで選抜しないと言ってはいたが、どのような状況に陥るか分からないのだ。

 強い方がいいに決まっている。


 だが、ガウェインの口からでた言葉は思いもよらないものだった。


「師匠の護衛になることができたら、リビエラさんと一緒にいる時間が増えると思って……」

「……はい?」

 

 アデルがぽかんと口を開けた。


「不純な理由だというのは分かっています! もちろん、護衛に選ばれたら精一杯努めますのでご安心くださいっ」


 ギュッと拳をつくり声を張り上げるガウェインの姿に、アデルは「そういうことですか」と納得した。

 好きな女性の為に頑張ろうとする気持ちは理解できる。

 

「男の子ですねぇ」

「え?」

「いえ、何でもありません。ガウェイン君の気持ちはよく分かりました。選抜試験は学園長が主導していますから力にはなれませんが、手合わせなどで力になれることでしたら言ってください」

「あ、ありがとうございます、師匠!」


 勢いよく頭を下げるガウェイン。

 

「大したことはできませんけどね」


 謙遜した物言いだが、アデルはきっと力になってくれるだろう。

 アデルに対するガウェインの信頼はそれほどまでに高い。


 アデルはガウェインの肩をポンっと叩くと、軽く背伸びをした。


「さて、じゃあいったん寮に戻りましょうか」

「はいっ」


 元気よく頷いたガウェインと共に、アデルはフィナール寮へ歩き出した。

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