第105話 気づかせてくれたのは可愛い妹でした

 ディシウス王国の使者との会談を終えた後、公王は暫く一人になりたいと自室にこもってしまいました。

 国のトップとして、一人の親としてどう決断するのが一番良いのか考えたいのでしょう。


「ごめんなさいね。エステルの誕生パーティーだけのはずだったのに、こんなことになってしまって」

「いえ、お気になさらずに。私よりもリーゼロッテ様の方こそ大丈夫ですか? ずいぶんと顔色が悪いようですが……」

「……大丈夫よ」


 そう言いながら笑ってみせるリーゼロッテでしたが、彼女の瞳はどこかすがるような色を滲ませており、私はわずかに息を呑みました。


 何か言わなければいけない、そんなことが頭を過ぎったのですが、今の私に何が言えるというのでしょうか。

 

 沈黙したまま数秒間見つめ合っていた私たちでしたが、先に視線を逸らしたリーゼロッテが、沈んだ場の空気を切り替えるように歯切れのいい声を出しました。

 

「まあ、いつかはこういう話が来ることがあるかもしれないと思っていたから、アデルは気にしなくてもいいのよ! さあ、早く帰らないとどんどん暗くなるわよ」


 有無を言わさぬ感じでリーゼロッテに背中を押された私は、そのまま電磁車へ押し込まれてしまいました。

 手を振り見送る彼女の姿がどこか寂しげに見えるのは、私の気のせいなのか、それとも……。


 電磁車が走り始めて数分。

 隣に座っているマリーが、伏し目がちな視線を向けながら口を開きました。


「お兄様、よろしかったのですか?」

「……正直なところ、私自身どうしたらよいか分からないのです。いえ、違いますね。ただ私が臆病なだけなのです」

「臆病、ですか?」


 意味が分からないといった感じに首を傾げるマリー。

 マリーの隣に座っているミシェルも同じような顔をしています。

 

「ええ。また・・失ってしまったらと思うと、どうしても。それならば、私以外の誰かと一緒になったほうが幸せなのではないか、そう考えてしまうのです」


 朔を失った直接の原因は私ではありません。

 ですが、彼女を失ったことが私の中で一種のトラウマになっているのは事実です。


 もし、私が愛した女性が朔と同じように目の前からいなくなってしまったら。

 普通に考えれば有り得ない話です。

 でも、絶対にないとも言い切れません。


 一度でも考えてしまうと、そう簡単に抜け出すことはできないのです。

 相手のことが大切であればあるほど、心の奥深く絡みつく。

 まるで出口のない迷路のように、同じところをぐるぐると歩き続けてしまう。

 新しい恋に対して私が一歩を踏み出せない一番の理由は、私自身の心の弱さにあります。

 

 私の言葉を聞いて、マリーが我慢しきれないというように口を開きました。


「それは違います」


 マリーはひたと私を見据えました。

 碧眼から強烈な意志力が噴き上げてくるような感じがします。


「お兄様、また失ったらというのは、私には良く分かりません。ですが、リーゼロッテ様がお兄様以外の方と一緒になったほうが幸せになるなんて、絶対にないですわ。それだけは断言できます。それとも、あの方の想いに気づいていらっしゃらないなんてことはないですわよね?」

「それは……」


 気付いていないはずがありません。

 アデルと完全に一つになったことで、より身近に感じるようになりましたし、前にも増してリーゼロッテから向けられる好意が分かるようになりました。


「お兄様だってリーゼロッテ様のことを憎からず思っていらっしゃるはずです。違いますか?」


 マリーの言うとおり、確かに私はリーゼロッテに好意を持っています。

 愛と呼んでいいのかは正直まだよく分かりませんが、彼女を失いたくないと思うこの気持ちに嘘はありません。


 頷き返すと、マリーは満面の笑みを浮かべました。


「なら答えは簡単ですわ。お兄様がすべきことはただ一つ。リーゼロッテ様の想いに正面から向き合うだけです」

「ですが――」

「過去に起きてしまったことは、どうあがいたところで変えることなどできませんわ。でも、未来は自分の手で変えることができます。当たり前だと思われるかもしれませんが、変えようと思わなければいつまでも未来は変わりません。そして、『今』こそがお兄様にとっての『未来』なのです」

「今こそが……未来」

「失うのが怖いとおっしゃるのでしたら、お兄様が守ってさしあげれば良いではありませんか。ありとあらゆる全てのものから。私の大好きなお兄様は、目の前で苦しんでおられる方がいたら全力で手を差し伸べる、自慢の兄だと信じております!」


 誇らしげに告げるマリーの言葉に、私は雷に打たれたような衝撃を受けました。


 私が、リーゼロッテを守る。

 心の中で、カチッと音を立ててはまるような感じがしました。


 そうです、何故今まで思い至らなかったのでしょう。

 失うのが怖いのであれば、私が全身全霊をかけて守ればよいのです。


 今度こそ大切な人を二度と失わないために。

 私自身が後悔しないために。

 

「マリー、ありがとうございます」


 マリーの絹のような髪を優しく撫でると、キラキラと輝く大きな瞳を細めて気持ち良さそうにしています。

 

「妹として当然のことを言ったまでですわ。それに、お二人はとてもお似合いですもの」


 マリーのまっすぐで曇りのない言葉に感嘆します。

 この身体に転生して本当に良かった。

 おかげでこんなにも素晴らしい家族に出会えたのですから。


「兄上、今からでもお城に戻りますか?」


 ミシェルが口を開きました。

 その瞳は輝いており、期待に満ちています。


 何をなすべきか決めたのであれば、行動は早いほうがよいのは確かです。

 公王が提示された条件から、ディシウス王国の第二王子との婚約を承諾しようと決める可能性は、充分考えられるのですから。


 ただ、その前にしておかなくてはならないことがあります。

 二人に向かって優しく微笑みます。

 

「お城に戻るのは、別件を片付けてからにしましょう」

「「別件?」」


 ミシェルとマリーが声を揃えて首を傾げました。


 予定通り・・・・、こちらを的確につけてくる車輌が現れました。

 三台ですか。


「そこでいったん車を停めてください」


 道路脇に停車すると、少し離れた場所で後ろの三台も停車しました。

 ヴァインベルガー家へと続くこの道は、公都から若干離れた場所にあるため電磁車や人通りがほとんどなく、襲撃を仕掛けるには最適のポイントです。


 まあ、公爵家を襲撃するなど相応の覚悟が必要になりますから、普通は考えられません。

 普通であれば。

 

「お兄様?」

「直ぐに終わります。二人とも車の中から出てこないでいてください」


 車を降りて後ろに立つと、三台の車からぞろぞろと人が降りてきました。

 月明かりのみで暗いことと、距離が離れているため、相手の顔を認識することはできません。


 しかしこの敵意には覚えがありました。

 お城でミシェルに向けられていたものと全く同じです。

 

「よい月ですね。それで、私たちになんの御用でしょうか?」

「……」


 空に浮かぶ月を眺めながら話しかけるも、誰一人として返事をする方はいませんでした。

 

「だんまりですか。このまま何もせず帰っていただけるのでしたら、私も目を瞑りましょう」


 前方からくる敵意が膨れ上がりました。

 どうやら大人しく帰ってはいただけないようです。

 相手は複数、対してこちらは私一人。

 人通りのない拓けた場所で、逃げ場などどこにもありはしません。

 多勢に無勢ですし、私一人を何とかすればどうとでもなると考えているのでしょう。


 全く、度し難いです。


 物事は、出来る限り迅速かつ穏やかに解決すべきというのが私のモットーではあるのですが、警告に耳を傾けず、あまつさえ可愛い弟に手をあげようとしている者に、これ以上の慈悲は必要ありません。

 腐った性根を叩き直して差し上げましょう。

 

 万一に備えて電磁車が狙われても問題ないように、車の周囲にはクラウディオの異能を展開しています。


「帰っていただけないようですので、皆さんには一人残らずここで大人しくなっていただきます。ああ、抵抗してくださっても構いませんよ。無駄ですから」


 言い終えると同時に、一人目の身体が空高く舞い上がりました。

 レイの"雷を切り裂く剣"を発現した効果です。


 空中へ舞い上げられた仲間に気を取られている隙をついて、剣を握っていない右手を近くにいた男の顎目掛けて打ち抜くと、糸の切れた人形のように崩れ落ちました。


「なっ!? か、固まるな! 散れっ」


 リーダーらしき男の叫び声で、ようやく他の男たちも動き始めました。

 ただし、その動きはあまりにも遅く隙だらけです。


 男たちの間を駆け抜ける速度はまさに迅雷。

 誰ひとりとして反応することなどできません。


 右の突き、左の蹴り、剣の柄による攻撃、そして右の蹴り。

 私の繰り出す一撃ごとに地面へ倒れていきます。


 瞬きする間に四人。

 反応する間もなく急所を突かれた男たちは、その場で無様に昏倒しました。


 対面した時から何となく想像はついていましたが、訓練などされていない素人同然の動きです。

 異能さえ発現してしまえばすぐ終わると考えていたのでしょう。


 お互いに近寄りすぎです。

 車を降りた時点でもっと散開して、一人ないし二人ぐらい援護要員として後方に残しておけばよかったのですが。


 残った二人には、私を認識する余裕がありました。

 ですが、異能を発現する時間まであったわけではありません。


「く、くらええぇ! え――っ!?」


 数メートルの間合いを瞬時に詰め、異能を発現しようとガードが上がり気味になった男の鳩尾に、単発の強烈な突きを放つ。


 残るはリーダーと思われる一人のみ。

 失敗を感じ取った男は咄嗟に車に乗り込もうと振り返ります。

 その瞬間、闘争は終わりました。


 何故なら彼が振り返った時には、既に眼前に私がいて首に手を伸ばしていたのですから。

 足払いをして地面に押さえ込むと、残っている勢いを利用して一気に圧迫しました。


「この夜に相応しい、よい夢を見てください」


 一瞬で落ちたであろう男に語りかけますが、当然のことながら返事は返ってくるはずもなく。


 さて、この場に相応しい静けさが戻ってきたわけですが、彼らをこのままにしておくわけにはいきません。

 私が見張っている間に屋敷から人を寄越してもらいますか。


 そして、私は颯爽と身を翻し、ミシェルとマリーの乗る電磁車へと歩き始めました。

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