第102話 エステルの誕生パーティー 前編
ロートスが去った翌日。
ノイマン家から謝罪文が送られてきました。
持ってきたのは執事のヴァージルです。
「先日はせっかくのお茶会でしたのに、急に押しかけたばかりか決闘まで……本当に申し訳ございませんでした。こちらは主のフリードリヒ様からです」
ルートヴィッヒを通して手渡された謝罪文に目を通したディクセンは一度だけ頷くと、「承知したと伝えていただきたい」とヴァージルを見ながら言いました。
ヴァージルは明らかにホッとしたような表情を浮かべています。
事前に連絡もなくやって来て、場を荒らすだけ荒らしてさっさと帰っていったのですからね。
同じ公爵家同士とはいえ、普通であれば謝罪のみですむとは思えませんが、余程のことが書いてあったのか、それとも謝罪を受け入れることで度量の大きさを見せつけることにしたのか。
いずれにしろ興味深いです。
ヴァージルは電磁車に乗り込む直前まで、私たちに何度も頭を下げていました。
実際にしでかしたのはロートスだというのに、ここまで献身的に尽くすことができるとは……まさに執事の鑑と言えるでしょう。
さて、明日はエステルの誕生パーティーでしたね。
マリーと一緒にプレゼントを準備しましたが、果たして気に入っていただけるかどうか。
そういえば、リーゼロッテと会うのも久しぶりです。
久しぶり、といっても顔を合わせなくなってからまだ一週間程度ですが、学園では毎日一緒にいましたからね。
そう考えるとやはり久しぶりという言葉がしっくりきます。
彼女は元気にしているでしょうか。
◇
「ふわぁ、間近で見ると凄いですわ。ねえ、ミシェル!」
「確かに。うちの屋敷がいくつ入るんだろう?」
電磁車が乗り入れた庭に降り立った私たちの目に前には、呆気にとられるような白く美しいお城がそびえ立っていました。
圧倒される外観は白一色で輝いており、精緻な拘りによって計算された一種の芸術品だと一目で分かります。
眼前に広がる庭園に植えられた木や花の一つ取っても、無意味に配置されているものはないでしょう。
庭からお城の入口までは、少なく見積もって三百メートルはあるでしょうか。
初めて来たというマリーとミシェルを引き連れて、お城の入口へ向かいました。
重厚な扉には、公国近衛騎士団の正装に身を包んだ騎士が二人立っており、右手を左胸に当てつつ、完璧な礼で私たちを出迎えてくれました。
こちらも挨拶を返し、ヴァインベルガー家であることを伝えると、扉を開けてくれたので、城内へと入ります。
「ようこそおいでくださいました、アデル様、マリー様、ミシェル様。当レーベンハイト公王家使用人一同、皆様を歓迎させていただきます」
「こちらこそ、本日はお招きいただいて光栄です」
何とかその言葉を返しましたが、マリーとミシェルは呆然と立ち尽くしていました。
まったく……ですが、仕方ありませんか。
玄関ホールは今まで見たどこよりも広く、思わず笑ってしまうほどです。
そのホールの両脇に五十人以上は並んだメイド服姿の女性たちが一斉に頭を下げてきたのですから。
「いらっしゃい、アデル。マリーとミシェルもよく来たわね」
そうした女性たちが整列している中央から見える階段から、音もなく優雅に現れたのは、微笑みを湛えるリーゼロッテでした。
学園にいた時とは違い、純白のドレスに身を包み、頭には銀であしらったティアラをつけています。
「お久しぶりです、リーゼロッテ様。ドレスが良くお似合いですよ」
「あら、ドレスだけかしら」
「もちろん、ドレスが似合っているのはリーゼロッテ様自身が美しいからですよ。正直申し上げて、見惚れてしまいました」
ごく自然に背筋を伸ばした、真っ直ぐな姿。
それだけの所作が目を奪ってしまいます。
美しさに頭を垂れて膝をつきました。
入学式で再会した時のように。
リーゼロッテの手を取ると、彼女は少し頬を赤らめ、一瞬驚いたように目を開きましたが、あの時のように後退ることはありませんでした。
そして、手の甲に口づけをします。
一週間ぶりの再会に感謝を込めて。
口づけを終え立ち上がると、周囲から溜息が聞こえてきました。
見渡すとメイド達が頬に手を当てています。
ほぼ全員の顔が薄らと赤く染まり、目を細めながら、深々と息を吐いています。
「皆さんどうされたのですか? って、マリーとミシェルもどうしました? 二人とも顔が赤いですよ」
「……いえ、お気になさらないでくださいませ。お兄様の天然ぶりにただ感服しただけですわ」
マリーに同意するようにこくこくと頷くミシェル。
そう言われる方が余計気になるのですが。
「ふふ、相変わらずねアデルは」
私に目を向けて、リーゼロッテは困ったように苦笑しました。
まるで、「ああまたか」と懐かしがっているみたいに。
しっとりとした優しい声で、彼女は言葉を続けました。
「さあ、いつまでもここにいるわけにもいかないでしょう。私が案内するからついてきて」
私たちは持ってきたエステルへの誕生日プレゼントをメイドに預けると、リーゼロッテの後ろをついていきました。
そして数分後、リーゼロッテの案内により、私たちは目映いばかりのシャンデリアの灯りに照らされた謁見の間に辿り着きました。
床は一面が真っ赤なビロードの絨毯が敷かれており、一番奥にある玉座は小高くなっています。
左右の壁には等間隔に近衛騎士が立っており、リーゼロッテの姿を見るや、一糸乱れぬタイミングで敬礼をしました。
玉座には公王が座り、その隣には私達の父であるディクセンがいました。
目が合いましたが、笑み一つ浮かべることなく、軽く頷くのみです。
服装からして、今日の立場は近衛騎士団長ということでしょう。
玉座の数メートル前まで進んでから、ゆっくりとした動作で傅きます。
私に続いてマリーとミシェルも同じ姿勢を取りました。
「お久しぶりです、公王様。本日はお招きにあずかり光栄です」
「久しぶりだな。ああ、顔を上げるといい。今日は来賓として招いたのだ。もっと楽にしなさい」
その言葉を受けて顔を上げました。
優しげな眼差しを向けています。
「ありがとうございます。今日はエステル様の誕生パーティーとのことですが、主賓であるエステル様はどちらに?」
「今はまだ準備中でな。もう少ししたらモニカが連れてくるはずだ」
モニカといえば、確か公王の妃でしたね。
自分の娘の為とはいえ、王妃自らとは。
「おお、そうだ。エステルが来る前に話しておかねばならないことがあったのだ。近衛騎士たちよ。これから大事な話をする。私たちだけにして欲しい」
「「「はっ!」」」
公王の言葉に近衛騎士たちは返事をすると、一斉に謁見の間から出て行きました。
大事な話とはいったい何でしょうか?
すると、公王は私ではなく、ミシェルに視線を向けました。
「ミシェルよ。そなたは確か十三歳であったな」
「その通りです、公王様。あの、それが何か?」
公王を見上げながら首を傾げるミシェルでしたが、リーゼロッテとマリーは何か気づいたのか、二人ともほぼ同時に息を呑んでミシェルを凝視しています。
え、今の問いだけでどんな話か分かるのですか?
「その年齢であれば婚約者がいてもおかしくないはずだが、そなたにはいない。そうだな」
「はい。然るべき時がくるまで待つようにと父上が」
ミシェルもマリーもそういった話を聞いたことは一度もありません。
ですが、"アデル"がミシェルたちよりも若い年齢でリーゼロッテと婚約関係を結んだことを考えると、確かに婚約者がいないのは少々不自然です。
「ミシェル。その然るべき時がきたのだ」
「父上、それはいったい?」
然るべき時がきたということは、つまり。
なるほど、ここまで言われれば流石に私でも気づきます。
ディクセンが玉座に目を向けると、公王は頷きました。
公王はニヤッと笑いながらミシェルを見ました。
「そなたにはエステルの婚約者になってもらいたい」
「僕がエステル様の婚約者に……って、ハァ!? え? ぼ、僕がですかっ?」
いきなりのことにびっくりしたであろうミシェルは、相手と場所を無視した大声を上げましたが、それも無理からぬことです。
誕生パーティーについて行ったら、自身の婚約話を持ちかけられたのですから。
未だ慌てているミシェルに対して、公王は言葉を続けました。
「今日はエステルの十二歳の誕生パーティーであると同時に、婚約発表の場にしたいと考えているのだ。ミシェルよ、受けてはくれぬか」
……さあ、ミシェルは何と答えるでしょうか?
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