第98話 大切なのは"おもてなし"の心です
ヴァインベルガー家に帰省してから三日が経ち、マリーのお友達が集まるお茶会の日がやってきました。
通常、大人であれ子供であれ、女性のお茶会は男子禁制と聞いていたのですが、マリーにそのことを告げると、どうしてもお友達に私を紹介したいとのこと。
詳しい話を聞いてみると、どうやら屋敷に来る十人のうちの二人ほどが、学園で行われた公演を観てくださったそうです。
お友達から、いかに舞台が素晴らしかったかを聞かされて気をよくしたマリーが、冬休みに私が屋敷に帰省することを口にしたところ、お会いしたいと懇願されて首を縦に振ってしまったのだとか。
三日間の舞台公演を通じて、達成感と手応えは感じていましたが、こうしてマリーの口から好評であったことを聞かされると嬉しいものです。
となると、ただ普通にお会いしただけでは勿体ないですね。
お招きするわけですから、何かおもてなしをするのは至極当然のことと言えるでしょう。
もちろん、公爵家の嫡男という立場である以上、ルートヴィッヒや使用人たちの面子もありますし、お茶などの準備については彼らに一任せねばなりません。
これが学園内であれば一通りのことは私自身で用意するのですが、ここはヴァインベルガー家ですからね。
◇
「皆さん、ごきげんよう。今日はお茶会にお越しくださってありがとうございます」
扉越しにマリーの声が聞こえてきます。
「本日はお招きいただき有難うございます」
一人がマリーに対してお礼の言葉を口にすると、他の者たちも代わる代わる挨拶をしていました。
「わたくし、今日が来るのを本当に楽しみにしていましたの」
「私もです!」
二人ほどやけに気合が入った方がいらっしゃるようですが、恐らく彼女たちが公演を観てくださった二人なのでしょう。
「マリー様、アデル様にはまだお会いできませんの?」
「そうです。早くお会いしたいのにいらっしゃらないようですけど……」
「うふふ、二人ともそんなに焦らなくてもお兄様は逃げたりしませんわ」
他の方達も二人の言葉が気になったのか「アデル様?」「確か、マリー様のお兄様の……」といった声が聞こえてきました。
マリーと二人以外は、私がお茶会に同席するのを知らない可能性がありますね。
ですが、これ以上待たせるわけにもいきません。
やりますか。
扉を軽く叩いて、中にいる使用人に合図をします。
使用人には、私が合図をしたら部屋の照明を全て落とすように伝えています。
「きゃっ!」
扉の向こうから驚くような声が上がりました。
明るかった部屋が急に真っ暗になったのですから当然です。
私はその隙に扉を開けて部屋に入り込み、集まった二十人の後ろに回り込むと、"
私の四方が氷のカーテンで覆われ、外側からはこちらを見ることはできません。
パチンと指で合図を送ると、次の瞬間には部屋が明るくなりました。
「明るくなりましたわ」
「何だか寒いような……え、氷!?」
振り返ったらいきなり氷の壁が現れたのですから、驚くのも無理はありません。
といっても、今回は私の周りだけに範囲をしぼったものですから、氷の壁というより氷の柱に見えるかもしれませんが。
"永劫凍結の世界"に触れると、氷は粉々になり、粉雪のようにキラキラと舞い散りました。
氷の中から急に現れた私を見て、皆さん目を大きく見開いています。
私はその反応に満足しつつ一歩前に出ると、胸に手を当て、恭しく頭を下げました。
「可愛らしく美しい淑女の皆さま。本日は妹のマリーのお茶会に来て下さり、誠に有難うございます。マリーの兄、アデル・フォン・ヴァインベルガーと申します。本来であれば男子禁制とのことですが、同席することをどうかお許し下さい」
頭を上げてにっこり微笑みかけると、二十人とも顔が赤くなってしまいました。
よく見ると、マリーの顔も赤くなっています。
「ア、アデル様!?」
「本物!? 本当にアデル様なのっ」
いち早く反応したのは、私に会いたいと言っていたと思われる二人ですが――おや?
「もしかして、フィオナ様にマルギッテ様ではありませんか?」
「えっ……!」
「わたくし達のことを覚えてらっしゃるのですかっ」
私の問いかけに二人とも目を丸くしています。
営業で外回りをしてきた私にとって、一度でもお会いしたことがあれば、顔と名前を覚えるのはそう難しいことではありません。
更にどういう話をしたか、どういうことが好きであったかなどまで覚えていれば、百点です。
細かいところまで覚えている相手と、そうでない相手――どちらの印象がよいかは言うまでもないでしょう。
「ええ、もちろんですとも。お二人とも私のゲートをくぐってくださいましたよね。有難うございました」
「ああ、またお会いできるなんて夢のようですわ」
「あの! 握手していただけませんか」
「フィオナ! ずるいですわよっ。アデル様、わたくしも是非お願いしますわ」
二人とも、目がギラギラしています。
そんなに私と握手したいのでしょうか?
もし、公演に来てくださった皆さんがこれだけの熱をお持ちなのであれば、アイドルというものをこの世界に広めることも可能かもしれませんね。
ただ、少なくとも卒業してからの話になるでしょうけど。
「ふふ、握手でよければ構いませんよ」
そう言ってまずフィオナと握手をした私は、次にマルギッテと握手を交わしました。
「わたくし、この手は一生洗いませんわ!」
「私もです!」
二人とも私と握手した手を見つめながら、興奮気味に声を上げましたが……私と握手したくらいで、何とも喜んでいただけたものです。
でも、手は洗いましょう。
握手くらいならいつでも応じますから。
「あの……」
恐る恐る声をかけてきたのは、青のドレスに身を包んだ小柄な少女でした。
「何でしょう、可愛らしい淑女」
「はぅ! あ、あの……私も握手をしていただきたいのですが。駄目でしょうか?」
少女は、自身のドレスの裾を掴みながら申し訳なさそうに私を見ています。
そんな少女に向かって、私は笑みを深めました。
「貴女のような可愛らしい淑女にお願いされて断れるような者はおりません。喜んでお受けします。――並ばれている淑女の皆さんも一人ひとり握手しますから、それで宜しいですね?」
青いドレスを着た少女の後ろに並んだ十七人に笑いかけると、皆さん揃って一斉に頷きました。
一人ひとりに自己紹介をされながら握手をしていきます。
何故か握手会のようになってしまいましたが、これで良かったのでしょうか。
マリーのほうを見ると、私に向かって親指を立てているので良かったということなのでしょう。
「そういえば、アデル様が着ていらっしゃる服ですが……」
「ああ、これですか。これは――」
「今アデル様がお召しになっている服は、公演で着ていらしたものですわっ。そうですわよね、アデル様」
説明する前に、マルギッテが言ってしまったので私は苦笑しつつ、「そうです」と言って頷きました。
公演を観たという話を聞いた時から、おもてなしの一つとして、服はこれにしようと決めていたのです。
執事のような服装ですから別に着ていても違和感はないですし、フィオナとマルギッテの嬉しそうな表情を見る限り、この衣装で正解でした。
「私、学園対抗戦を会場で観戦しておりましたの。アデル様の試合はとても素晴らしかったですわ。特にオスカー様との試合は、見ていて感動しました」
「優勝おめでとうございます!」
「有難うございます、貴女方の声援が力になりますから、よろしければまた応援してください」
「「はいっ!」」
元気よく返事をしてくださいました。
本人の実力があれば、応援なんて関係ないという人がいるかもしれませんが、それは間違いです。
応援というものは得てして大きな力になります。
誰かが自分を見ていてくれる、自分を応援してくれる人がいる――これほど心強いものはありません。
ただ、今この場にいる彼女達は皆さんマリーと同じ年齢です。
流石に"
今年はオルブライト王国で行われますし、行けば必ず観戦出来るというわけではありませんから。
その後のお茶会は和やかに進んでいきました。
ルートヴィッヒが選んだお茶とお菓子はどれも美味しく、少女たちにも好評でした。
マリーも終始笑顔で対応しています。
このままでも十分成功と言ってよいのですが、最初の登場と公演の衣装を着ただけでは、おもてなしとしては物足りません。
お茶会も終盤に差し掛かった頃。
コホンと一つ咳払いすると、視線が一斉に私に集まりました。
「皆さん、そろそろお帰りの時間かと思いますが、一曲聴いてからお帰りになりませんか?」
「一曲、ですか?」
「はい」
フィオナの問いかけに頷きを返した私は、スッと立ち上がると、部屋の隅に置かれたグランドピアノに向かって歩き出します。
椅子に腰を下ろし、鍵盤の蓋を開けると白と黒の鍵盤が姿を現しました。
「お兄様、ピアノが弾けるんですかっ!?」
マリーが驚きからか目を見張っています。
そういえば、屋敷では弾くところを見せたことはありませんでしたね。
「ええ、大したものは弾けませんけどね。今日、マリーのお茶会に参加していただいたささやかな御礼の気持ちを込めて、この曲を皆さんに捧げます」
何の曲かは敢えて告げません。
何故ならショパンのワルツ第九番、変イ長調"告別"は、この世界には存在しない曲だからです。
恋愛小説のような印象を与える曲であり、この場にいる少女達であれば恋を夢見る年頃ですから、ちょうど良いのではないでしょうか。
無機質な鍵盤にそっと触れると、一度だけ大きく深呼吸をしてから、演奏を始めました。
息を呑む音、視線が集まるのを感じつつも、私は指を止めずにひたすら音を奏で続けます。
時間にして四分少々の曲を弾き終えた私は席を立ち、呆然と見つめる少女たちに一礼しました。
「す、凄いですわ! お兄様っ! もっと、もっと弾いてくださいませっ」
「本当に凄いです! 大したものは、と仰っていましたけど、こんな素晴らしい演奏は初めてです!」
どうやら気に入っていただけたようで、大きな拍手と賞賛の言葉が次から次へ降り注いでいます。
マリーの言葉に同意する声も多かったので、私ははにかみながら「じゃあ、あと一曲だけですよ」と言って腰を下ろし、別の曲を弾くのでした。
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