第94話 君に出逢えて良かった
「――ん」
チチチ、という小鳥の
やがてゆっくりとベッドから起き上がると視線を落とし、自分の手を見ながら閉じて開いてを何度か繰り返す。
「僕は……」
間違いない……今、僕は昨日と同じようにアデルの――僕自身の身体を動かしているんだ。
突然の出来事に、僕はしばし呆然としていた。
僕は最後に感謝の気持ちを伝えることが出来れば、それだけで良かっただけなのに。
彼なら、彼ならきっとリーゼロッテを幸せにしてくれる。
何故なら、僕が求めてやまなかった異能を持っているのだから。
人柄だって申し分ない。
内側から半年以上見てきたんだ、この世界の誰よりも彼のことを知っていると言える。
だからそこ言い切れるんだ。
最上紳士なら安心だと。
まあ、彼は彼で過去に囚われているから、リーゼロッテ次第だろうけど。
今のところ最上紳士は何の反応も見せていなかった。
彼の様子を僕がずっと見てきたように、彼もまた今の僕の様子を見ているはずなんだけど……。
彼が最後に言った言葉を思い出す。
「僕の言葉で、僕の想いをリーゼロッテに、か……」
思いかえしてみれば、リーゼロッテと出逢ってから何度も城に出向き、彼女と話すことはあったけど、想いを伝えたことは……ない。
それはそうだ。
七、八歳の子供が告白したり愛を
リーゼロッテの一番近くで、彼女の笑顔を守りたい。
そう願っていたのは僕自身のはずなのに!
つまらない意地に囚われて、僕は一番大切なものを自分から遠ざけていたんだ。
ああ――最上紳士が見せたあの顔。
どこかで見たことがあったような気がしたと思っていたけど、彼が大切な女性を失った時の表情とそっくりなんだ。
だから想いを伝えろ、か。
僕が事実を伝えれば、まず間違いなくリーゼロッテに気づかれるっていうのに。
「ふふ」
思わず笑みを
本当に変わっているよ。
いや、だからこそ僕も今こんなにも穏やかな気持ちでいられるのかもしれないな。
相変わらず、最上紳士は黙ったままだけど僕には何となく分かる。
きっと、これが彼にとっての"新たな道を創り出せる善き答え"なのだと。
「……よし!」
僕は一度強く眼を閉じ、音がしそうなほど思い切り見開くと、
せっかくもらった最後の機会だ。
僕が今出来ることをしよう。
◇
「おはよう、アデル」
僕に微笑みながら挨拶をしてきたのはリーゼロッテだった。
朝日を浴びた美しい銀髪をなびかせる姿を前に、思わず
あの時、彼女の前に立つのではなく、隣でサポートする道を選んでいれば、こんな未来もあったのかもしれないな。
「どうしたの? 昨日の夜も、その……何だか様子が変だったし、どこか具合でも悪いの?」
リーゼロッテが気遣わしそうな光を浮かべた瞳で、じっと僕を見ている。
おっと、いけない。
にっこりと微笑み返す。
「いや、何でもないよ。ただ――」
「ただ?」
「リーゼロッテがあまりにも綺麗だったからさ。つい見蕩れていたんだ」
「そう、私に見蕩れていたのね――って、ええええ!?」
リーゼロッテは一転して、顔を真っ赤にしながら後退る。
彼女の隣にいるエミリアは大きな口を開けて、ぱちぱちと何度も
ガウェインは「流石です、師匠!」と言って、眼を輝かせているけれど。
彼ならこれくらい言ってもおかしくはないはずなんだけどな。
「講義に遅れてしまうよ。さあ、行こう」
リーゼロッテに近づくと、顔が赤いままの彼女の手を取る。
白く透き通るような手は絹のように
優しく握り締め、ゆっくりと隣りまでエスコートすると、リーゼロッテの顔は、湯気が出てしまうのではないかと思うほど真っ赤に染まってしまう。
花園を歩き、校舎の廊下を歩き、階段を昇り、教室に向かう。
学生であれば当然のことだけど、僕には何もかもが新鮮だった。
だって、実際にこうして自らの意思で動いているのは、昨日の夕方が初めてだったんだから。
◇
午前の講義を終えて、学食のメニューを決めてテーブルの席に着く頃には、リーゼロッテは多少だけど落ち着きを取り戻しているように見えた。
僕が注文したのは魚ときのこのクリームパスタだ。
チーズと塩こしょう、それに仕上げに振りかけられたであろうドライパセリの匂いが鼻いっぱいに広がる。
――旨い!
久しぶりの食事に感動した僕は、しばらく夢中でフォークとスプーンを動かしつづけた。
たちまち皿は空になり、ナプキンで口元を
「ごちそうさまでした」
「今日は凄い勢いだったわね。そんなに美味しかったの?」
「ああ、もしかしたら今まで食べた中で一番美味しいかもしれないな」
「そんなにっ!?」
リーゼロッテは驚いているけれど、仕方ないじゃないか。
実際に食べること自体が久しぶりなんだ。
食事がこれほど美味しいと感じたのは初めてかもしれない。
これも最上紳士に感謝しないといけないな。
ん――?
「リーゼロッテ、少しそのまま動かないでいてくれるかな」
「え? 何?」
僕は向かい側に座るリーゼロッテに手を近づけると、ナプキンの使っていない部分で、優しく彼女の頬についたソースを拭き取る。
彼女の食べ方は綺麗だけど、僕と同じ料理を注文したからね。
こういった料理は、どうしてもソースが飛んでしまうことがあるから仕方ない。
「うん、綺麗な顔になった」
「なっ――」
目と口を大きく開けて固まるリーゼロッテの表情が、林檎のように赤くなる。
コロコロと変わる彼女の表情は、見ていて飽きることがない。
そういえば、小さい頃もよくこんな表情をしていたっけ。
僕は昔を振り返りつつ、リーゼロッテが食べ終えるまで、にこにこしながら待っていた。
◇
午後の手合わせの時間。
対戦相手はリーゼロッテだった。
「今日こそ勝つわよ。『――
開始早々、リーゼロッテの先制攻撃によって、僕は炎の壁に囲まれる。
それだけじゃない。
彼女は続けて"灼熱世界"を発現させたかと思うと、指をこちらに向けてきた。
僕の自由を奪いつつ、"
僕の異能なら、手も足も出ないまま負けてしまうのは明白だ。
攻撃することも守ることもできないのだから。
でも、
「いくわよっ! 『――
「『――――
こちらに着弾する前に、最上紳士の異能を発現させる。
僕が発現させた異能は――。
「これは……クラウディオさんの『
ぎり、と軽く唇を噛む仕草を見せるリーゼロッテ。
結界に触れた時点でありとあらゆる攻撃を無効化するこの異能は、防御として十分すぎる効果を持つ。
結界に触れた"灼熱の紅炎"は、音も立てずに霧散してしまった。
そして、後はちょっと結界の範囲を広げれば――。
「あっ!?」
僕の周囲に残っていた"灼熱世界"も、結界に触れたことで消えてしまう。
すかさず結界を解除し、もう一度"英雄達の幻燈投影"を発現させた。
右手に出現した"雷を切り裂く剣"を握り締め、両眼を見開いたままのリーゼロッテに瞬時に接近すると、首筋に剣先を突きつける。
「これで王手、だね」
「もう、今日も勝てなかったわね。でも次は絶対に勝ってみせるわよ!」
次――次、か。
「ど、どうしたの?」
「何が?」
「だって、涙を……」
「……え?」
目元に触れると、指先が確かに濡れていた。
僕は慌てて涙を拭い、悲しそうに見つめるリーゼロッテに微笑んだ。
「何でもないんだ」
「本当に?」
そう訊いてくるリーゼロッテに、僕は無言でその姿をじっと見つめた。
学園の黒の戦闘服に包まれたすらりとした
無言のまま、いつまでも視線を逸らさずにいると、リーゼロッテは白い頬を赤く染める。
「ど……どうしたのよ?」
と、照れくさそうに笑う彼女を愛おしく感じてしまう。
今日という日も残り僅かだ。
そして、今日が終わってしまったら――もう、リーゼロッテとこうして話すことなどできない。
僕はためらいがちに口を開いた。
「リーゼロッテ……」
「何?」
「このあと、昨日と同じ場所に来てくれないか? できれば君一人だけで」
リーゼロッテは僕をじっと見つめると、少しだけ首を傾げつつも「分かったわ」と言った。
◇
「遅くなったかしら」
「いや、僕も来たばかりだよ。来てくれてありがとう」
薄暗くなった花園。
辺りに他の学生の気配は感じられない。
僕は念のため、昨日と同じくリーゼロッテに気づかれないようにクラウディオの異能を発現させる。
僕にとって、最初で最後の告白だ――彼女以外に聞かれるのは恥ずかしい。
「それで話って? 昨日のことと関係あるのよね?」
「ああ、どうしても君に――リーゼロッテに伝えておきたいことがあるんだ」
「……それはいいけど」
「ありがとう」
僕はリーゼロッテの前まで歩み寄る。
彼女の瞳は僕を真っ直ぐ捉えていた。
一度だけ大きく息を吸い込んでから、ゆっくりと吐き出す。
「僕はね、初めて城で出逢った時からずっと――ずっとリーゼロッテのことが好きだった」
「……えっ?」
僕は両手を上げ、瞳を大きく見開くリーゼロッテの両手をそっと包み込んだ。
「君の前に立ち、君を守る剣となり盾となって……いつまでも、リーゼロッテの笑顔を見ていたかった」
こみ上げてくる己の感情を抑えきれず、言葉が途切れ途切れになる。
「アデル……」
リーゼロッテは頬を赤らめて、僕の手を自分の胸元に寄せると、ぎゅっと掴む仕草をした。
わずかに開いた唇から、切ない吐息が漏れた。
「ああ、夢みたいだわ……。貴方からそんなことを言われる日が来るなんて……」
リーゼロッテの頬から涙が零れ落ちる。
だけど、彼女は矛盾に気付いていない。
僕の言葉が
――すまない。
リーゼロッテと、そして最上紳士に対して心の中で謝罪する。
「――っ!」
僕は不意に全身が希薄になっていくような感覚に襲われた。
気を抜けば、そのまま僕という存在が消えてしまうのではないかという不安感。
お互いの存在を確かめるように、リーゼロッテをぎゅっと抱き寄せる。
「……アデル?」
まだだ――まだどうしても伝えたいことがあるんだ。
それを伝えるまでは――。
「リーゼロッテ。信じられないかもしれないけど聞いて欲しい。……僕はアデルだけど、君のよく知っているアデルじゃないんだ」
「何を、言っているの……?」
「だけど、君と初めて出逢ったのは僕なんだ」
「…………」
「僕と出逢ってくれて、ありがとう。恋を教えてくれて、ありがとう。愛しいという気持ちを教えてくれて、ありがとう。そして――こんな僕のことを一度は好きになってくれて……ありがとう」
「僕? 僕って……まさか……」
僕はリーゼロッテの背中をゆっくりと撫でながら、口を開く。
「大丈夫。僕はずっと――ずっとリーゼロッテを見守っているよ。ふふ。ただし、
「彼……?」
「君が、本当に好きな人のことさ」
僕という存在はここで消えてしまうけど、彼には――最上紳士には幸せになって欲しい。
彼のおかげで僕は最後に、こうしてまっすぐに前を向いて歩くことができたんだから。
出来ることなら、リーゼロッテと一緒になってくれると嬉しいんだけど……きっと簡単にはいかないかな。
「アデル……アデル……」
ぽたぽたと頬に暖かい何かが落ちてきた。
リーゼロッテの涙だ。
いつの間にか横たわっていたらしい。
僕を見つめるリーゼロッテの瞳は、大粒の水滴を溢れさせていた。
「……ありがとう……リーゼロッテの、腕の中で……眠りに、つけるんだから……」
そのまま言葉を止めた僕は、宙を見つめた。
全てが遠ざかっていく。
僕という存在が急速に離脱していくのが分かる。
すぐ傍で、かすかに僕の名を呼ぶ声が聞こえるけど、それすら遠ざかっていく。
消えゆく意識の中で、僕は彼に届くようにと、最後にこう呟いた。
ありがとう、最上紳士。
君に出逢えて、良かった。
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