第93話 私とアデル編⑦

「皆さん、アデルさんは異能を発現することができなかったとお聞きしていたのですが……」

「それはそうさ。このことは誰にも話していなかったんだから。家族や使用人達はもちろん、リーゼロッテにさえね」

「え……」


 その言葉は、私の予想だにしないものでした。

 この世界の貴族は効果は違えど、ほぼ何かしらの異能を発現することができます。

 つまり、貴族であれば異能が発現できて当然と思われているのです。

 私が転生した直後のディクセンとアリシアの会話からも窺えます。

 異能が発現できたにもかかわらず、ずっと誰にも言わなかったとは……発現できると分かれば、もっと違った未来もあったでしょうに。


「何故――何故ずっと黙っていたのですか? 異能が発現できないと思われていたのであれば、扱いも酷かったのでは」

「公爵家の継嗣だったからね。少なくとも執事や使用人達は僕に対して何も言わなかったよ。言えなかった、が正しいんだろうけど。家族の目は冷たかったけどね」


 そこまで言うと、アデルは肩をすくめて軽く息を吐きました。

 私も転生してから同じような扱いを受けてきただけに、アデルがどんな思いで過ごしてきたか分かるつもりです。

 それでもかたくなに言わなかったのだとすれば――。


「リーゼロッテ様、ですか?」

「……正解だよ。僕は、リーゼロッテにだけは知られたくなかったんだ。だから誰にも言わなかった、最後までね」


 ――またです。

 アデルはまた顔を歪めて、自分の両手を重ねてギュッと握りしめていました。


「初めて彼女――リーゼロッテと会ったのは、七歳の時だった。父と城に出向き、公王の隣に座る彼女を見た時のことは今でも忘れられないよ。なんて美しいんだ、とね」


 アデルの表情がフッと緩むのが目に見えて分かりました。


 七歳にしては随分と大人びたお子さんだったようですね。

 その年頃の男の子であれば、異性よりも同性や遊びに夢中になりそうなものですが……貴族という特殊な環境下ゆえでしょうか。

 

「それと同時に思ったんだ。僕が彼女を守る剣となり盾になりたいって。父がどんな仕事をされているのかは、よく聞かされていたからね。僕の夢は父のように強く、そして大切な人を守れる存在になることだった。それまでも頑張ってはいたけれど、リーゼロッテと出会ってからの僕は、早く異能を発現しようと必死に頑張ったんだ」


 そう言って笑みを浮かべるアデルでしたが、次の瞬間には顔がくしゃっと歪み、項垂うなだれました。


「一年経った、ある日。妹のマリーが病にかかってね。通常の病ではなく、体内にある魔力が徐々に減少していくという特殊な病だったんだ」

「なんと! マリーがそのような病にかかっていたとは、初めて聞きました」


 初めて会った時から、マリーは元気で可愛らしい印象しかなかったですからね。

 アデルは眉を寄せ、首を振りました。


「今のマリーからは想像もつかないと思うけど、彼女は生まれた時に測った魔力量がとても少なかったと母が言っていたよ。ミシェルはフィナールクラスの魔力量を有して生まれてきたようだけどね」


 双子で生まれてきたことによる弊害でしょうか?

 しかし、ただでさえ体内の魔力量が少ないところに、何もしなくても徐々に減っていくとなると……シャルロッテと手合わせして疲弊したリーゼロッテ達のことが頭を過ぎりました。


「そう、君が今感じている通りだよ。体内の魔力が枯渇すれば、それは生命の危機に直結する。マリーが死ぬかもしれない、屋敷の誰もが考えていた――僕の異能が発現するまでは」


 なるほど。

 その時にアデルの"魔力供給"が発現して、マリーは助かったというわけですか。

 あれは魔力を回復させるだけではなく、一時的にですが身体能力も向上させますからね。

 病も治ったというのであれば、身体能力のみならず身体機能、免疫力も向上させた可能性があります。


「ですが、マリーが助かって元気になったというのに、あまり嬉しそうではありませんね」

「……マリーが助かったこと自体は嬉しいよ。何といっても自分の妹だしね。でも、僕が望んだ異能ではなかった」

「ああ……」


 リーゼロッテを守る剣となり盾となる、でしたか。

 "魔力供給"はどちらかといえば補助に特化した異能です。

 魔力を消費したリーゼロッテを回復させることはできても、アデル自身がリーゼロッテの前で戦う、といったことは無理でしょう。


「幸い、マリーを助けた時は周りに誰もいなかったし、マリーの意識も無かったから、僕の異能のことを知っているものは誰もいない。誰もが元気になったことを不思議に思ったけど、決して口にしなかった。……僕はね、英雄になりたかったんだ」

「英雄、ですか?」


 首を傾げると、アデルがソファに深く座り直してから、やや熱を帯びた声で言いました。


「四百年前に"クリファ"と呼ばれる生命体から世界を救った"五英雄"。平和になった今の世に、英雄なんて必要ないかもしれない。でも、もしかしたら……いつか同じことが起きないとも限らないだろ? それに、僕は"五英雄"と同じといわれるほどの魔力量を持っているんだ。己の身体と異能を使って前に立ち、戦う。それが愛しい人を守る為ならどんなに素晴らしいことか――君も思わないかい?」


 私は目を閉じると、投げかけられた言葉を頭の中で反芻はんすうさせます。


 愛しい人を守るため――ええ、痛いほどよく分かりますよ。

 もし――もしも仮に私が前世で異能を発現できたら、彼女・・はきっと今も私の隣に居て、微笑んでくれていたでしょう。

 まあ、どう足掻あがいてもくつがえることはありませんが。

 ――ああ、そういうことですか。

 だから、アデルは誰にも言えなかったのですね。

 

「それほどまでにリーゼロッテ様を愛していたのですね」

「愛って……まあ、間違いではないけどさ。本当に君は眩しいくらいに真っ直ぐというかなんというか……ふふっ」


 アデルは口に手を当てて、笑いをこらえるような仕草をしていますが、笑い声が漏れていますよ。


「僕にリーゼロッテを守る力は与えられなかった。異能のことは誰にも言わず、別の方法はないか部屋にこもって、来る日も来る日も異能について僕なりに調べたよ」


 異能は一人につき一種類。

 別の方法があるなどとは思えませんが――。


「結果、"五英雄"の一人が、複数の異能を使いこなしていたという文献を発見したんだ」

「"五英雄"の一人が……」

「例え四百年前の人物だろうと、一人でも異能を複数発現させた者がいるのであれば、僕にだってできるはず。そう思って今まで以上に異能の発現に打ち込んだはいいけれど……結果は、ね」


 アデルは悲しげな表情を浮かべ、私を見つめています。

 複数の異能を発現できているのであれば、リーゼロッテと仲睦まじく学園生活を送っていたはずですし、私は今ここにいなかったでしょう。


 ですが、アデルは新たな異能を発現することができませんでした。

 そして――。


「いつまでたってもリーゼロッテを守るための異能が発現できない苛立ちから、理不尽にも周囲に当たり散らしたんだ。その結果、何人もの使用人を辞めさせてしまった」


 アデルは肩を震わせながら唇を噛んでいます。

 恐らくですが、後悔しているのでしょう。

 今、屋敷にいる者には私が謝罪しましたが、辞めてしまった者には伝えていませんからね。

 

「その後のことは僕もよく覚えていないんだ」

「よく覚えていない?」

「ああ、いつの間にか太って身体は樽のようになったし、外出なんてほとんどしなかったのに、気づけば高熱を発症して死の淵さ。……きっと天罰が下ったんだろうね」


 何とも不可解ですね。

 太ったこともですが、高熱を発症した程度で死に至るとは考えにくいです。

 そういえば、神様が「遅かれ早かれ死ぬ運命」と仰っていた気がしますが、関係があるのでしょうか?

 

「後は、君も知っての通りさ。君が僕の身体に転生してアデルとして生きている」

「今は貴方も生きているのでしょう? アデルさんに生きたいという気持ちが、リーゼロッテ様と共に歩んでいきたいという願いがあるのであれば――この身体、お返しします」


 短い間でしたが、愛する人と共に歩む喜びを私は知っています。

 同時に、愛する人を失う悲しみも。

 すると、アデルは目を大きく見開いて口をポカンと開けました。


「……本気で言っているの?」

「もちろんです」


 それがきっとアデルとリーゼロッテが、本来享受すべき幸せなのですから。

 

「やっぱり、君は変わっているよ。普通誰だって自分の命が一番大切なはずなのに……リーゼロッテもそういうところに惹かれたのかな」

「アデルさん?」

「なんでもないよ!」


 アデルは大げさに手を振り、「コホン」と咳を一つした後、笑みをにじませたまま言葉を続けました。


「君の気持ちは本当に嬉しいし、それが可能ならお願いしただろうね」

可能なら・・・・?」

「うん。僕はあくまで死にかけていた存在。それが運良く最上紳士という魂と結びついたことで、かろうじて自我を持ったまま生きながらえているに過ぎないんだ。でも、魂同士の結びつきも徐々に強くなっている」

「魂同士の結びつきが強くなれば、それだけアデルさんが死ぬことはないのでは?」


 アデルは微笑を浮かべたまま首を左右に振りました。


「いいかい? あくまでこの身体の根源となる魂は君、最上紳士だ。僕たちの魂が強く結びついて、完全に一つになったら……」


 アデルは言葉を切ると、諦めを感じさせる碧眼の双眸そうぼうでひたと私を見据えてきました。

 

「僕と君は一つになる。ただし、さっき言った通り最上紳士の魂が主だからね。そこに僕の意思が残っているかは――分からない」

「ど、どうにかして……私たちが別々に共存する方法はないのですか?」

「一度結びついた魂をはがす方法なんてないよ。それに言っただろう? 僕は君の魂と結びついているからこそ生きていられたんだって」


 くっ……!

 せっかく、こうしてアデルと出会えたばかりだというのに……リーゼロッテとだって話したいこともあったでしょうに。

 

「僕はね、最上紳士。君に感謝しているんだ」

「感謝、ですか?」

「ああ、君の魂と結びついたからこそ、もう一度リーゼロッテの笑顔を見ることができた。触れ合うことができた。言葉を交わすことができた。……ありがとう」


 その言葉を聞いた途端、私の頭の中で"彼女"の顔が浮かびました。


 ああ、やめてください。

 その笑顔はまさしく"彼女"と同じ。

 ――このまま、このままアデルと一つになるわけにはいきません。

 私とアデルとの関係がリーゼロッテにバレてしまうでしょうが、どうなってしまうか分からないのにそれを受け入れ、微笑んでいる彼を目の前に、何もしないということがどうしてできるでしょうか。


「アデルさん」

「なんだい?」

「まだ……消えたりはしませんよね?」


 私がしたいと思っても、時間が全くないのであればどうしようもありませんからね。

 私の問いに、アデルはゆっくり頷きました。


「多分、だけどね。まだ数日は持つはずさ」

「良かった。それでしたら、明日――今日のようにまた身体の主導権を貴方にお渡しします」

「え……いったい何を……」


 アデルの瞳に、困惑の色が宿っています。

 私は彼の手を取り握り締めながら、すう、と一回呼吸をして、はっきりとした声で告げました。


「このままリーゼロッテ様に何も言わず、人知れず消えることなど許しません。貴方の言葉で、貴方の想いを彼女に告げるのです」

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