第92話 私とアデル編⑥

 パタン、と自室のドアをゆっくり閉めてから大きく息を吐くと、備え付けてあるベッドに腰を下ろしました。


「さて、アデルさん? どういうことか説明してくださるのでしょうね」

『もちろんさ、最上紳士。こうしてようやく意思疎通が取れるようになったんだ。最初からちゃんと説明させてもらうよ』


 頭の中から聞こえる声は落ち着きを払いながらも、どこか嘲りを含んでいるような感じがします。

 この世界では私しか知らない前世の名前を呼び、アデルを名乗る謎の声。

 その衝撃は思いのほか激しかったようで、傍にいたリーゼロッテが「早く寮に戻って休みなさい」、と声をかけてきたほどです。


 おかげであの場はうやむやになりましたが、何も解決したわけではありません。

 明日以降、どのようにリーゼロッテと接するべきか。

 全ては彼――アデルから話を聞いてから判断するとしましょう。


『ああ、でもその前に一ついいかな?』

「なんでしょうか?」

『僕と話をするのに、わざわざ声を出す必要はないよ。頭の中で念じるようにすれば、それで僕にも伝わるから。そうしないと自室で独り言を延々と呟くおかしな奴になっちゃうしね』


 ……確かに。

 アデルの声はリーゼロッテには全く聞こえていないようでした。

 つまり、私にしか聞こえていないということです。

 だとすれば、アデルの言葉に対して私が声を出して返事をするところを誰かに見られでもしたら、私がおかしくなったと思われても仕方ないでしょう。 


『念じる……これで宜しいですか?』

『問題ないよ。後は、せっかくゆっくり話ができるっていうのに、お互いの顔も見えないのは面白くないな』

『ですが、身体は一つしかないのですから、面と向かって話をすると言うのは不可能ではありませんか?』


 まさか分裂するというわけにもいきませんからね。

 世界は広いですから、そういう異能を持った方がいるのかもしれませんが。


『ふふふ、無理じゃないんだな~これが。目を閉じて、意識を心の奥深くに沈み込むようにイメージしてみてくれるかな』

『心の奥深くに沈み込むように……』


 言われた通りに目を閉じて試してみました。

 すると、何か引き寄せられるような錯覚に襲われます。


『そうそう、それでいいよ。そのまま意識を集中しておいてよ――』



 アデルの言葉は、そこで途切れていました。

 正確には私の意識が、といったほうがいいのかもしれません。

 次に気づいた時、私は真っ暗な空間に立っていました。

 神様と初めてお会いした場所に似ています。

 違いがあるとすればソファが二つ置いてあり、ソファの間にテーブルが置かれているというところくらいでしょうか。

 

「ここは……」

「ここは二人共通の深層意識の中だよ」


 声のするほうに目を向けると、いつの間にかソファに腰掛けている者がいました。

 

「……アデル・フォン・ヴァインベルガー」


 私の目の前には、この世界に転生して一番見知った顔であるアデルがソファに座り、こちらを見ています。


「魂は本人の姿を表す。ということは、最上紳士。君の魂はどうかな」


 アデルが私を指差したので、自分の服装を確認してみると――車にかれた時と全く同じでした。

 もしや、と思って私は右手を顔に近づけてみました。

 恐る恐る触ってみると、"アデル"ではないことが分かります。


「肉体といううつわを替えても、魂そのものは変わらないということさ。まあ、同じ顔だと話しにくいし、ちょうどいいんじゃないかな」

「貴方が死にかけていたときは、そのようにスリムではなかったように思いますが」

「そこは気にしたら駄目だよ」


 フッ、と軽く笑みをこぼして足を組むアデルを見た私は、軽い違和感を感じました。

 が、直ぐに違和感の理由に気づきます。

 アデルを自分自身と認識しているから、というのが一番しっくりくるでしょう。

 私がアデルとして二度目の人生を歩み始めてもう直ぐ一年。

 そのアデルが目の前にいるのですから、違和感を感じるのも当然です。

 私は苦笑しつつ、反対側のソファを指差しました。


「こちらに座っても宜しいですか?」

「どうぞ。立ったままだとじっくり話せないからね」

「では、失礼して」


 ソファに座り、対面する形になります。


「さて、と。じゃあ何から話すかな……そうだな、君が僕の身体に入り込んだ時のことから話をしようか」


 私が神様の力で、アデルの身体に転生していただいた時のことですか。

 あの時は、アデルが死ぬ寸前だから急がないと、と神様に急かされて転生したのでした。

 

「あの時、僕は死の淵にいた。何日も高熱にうなされ、ろくに食事も摂れず、日に日に弱っていく。だけど、誰も心配してくれる者はいなかった。……当然さ、僕は周囲に当たり散らしてばかりの人間だったんだから」


 アデルは眉を寄せて溜息混じりにかぶりを振りました。

 その姿は何か悔いているようにも見えます。


「それは――異能が発現することが出来なかったゆえに、他の方に当たってしまったのではありませんか?」

「異能、か」

「……違うのですか?」

「当たらずしも遠からずってところかな。まあ、今となってはどうでもいいことさ。それよりも」


 自嘲じちょうめいた笑みを浮かべたアデルは、うれい顔で真ん中のテーブルに眼を落としました。


「意識が朦朧もうろうとしていた僕は、死を覚悟した。そして薄れゆく意識の中で、僕の身体に何かが入り込んでくるような感じがしたところで、完全に意識が途切れたんだ」


 何かが入り込んでくるような感じ――恐らく私がアデルの身体に転生した瞬間でしょう。

 

「次に僕が目覚めた時は、最上紳士。君がアデルとして聖ケテル学園に入学した時だ」

「なんですって?」


 そんな頃から目覚めていたのであれば、もっと早く私と接触をしようと試みたはずです。

 

 ……いえ、そういえば。

 アデルは先程『ようやく意思疎通が取れるようになった』と言っていました。

 ということは――。


「そう、俺は何度も君に話しかけているんだ。だが、声が届くことは一度としてなかった。恐らく僕の魂が弱っていたことが原因じゃないかと思っている。身体の主導権は完全に君にあったしね」

「なるほど」

「だけど、声は届くことはなかったけど、何度も君を助けているんだよ」

「はい?」


 私を助けている?

 どうやって?

 首を傾げていると、アデルはにやりと笑みを浮かべました。


「戦闘の時、危険を察知したり、頭で考えるよりも先に身体が動くことはなかった?」

「そういえば――何度もありますね」


 今までに戦った記憶を思い返すと、咄嗟の判断で危機を回避した回数は片手では足りないほどです。


「君は第六感とか無意識の予測と言っていたけれど、アレって実は僕なんだ」

「な……」


 私は絶句しました。

 戦闘に関しては全くの素人である私が、今まで戦ってこられたのもアデルのおかげだったということですか?


「とは言っても、声自体は届いていなかったようだから役に立ったかどうかは分からないけどさ」

「いえ、あの直感のような感覚には何度も助けられました。有難うございます」


 ソファに座ったまま深々と頭を下げると、アデルは目を見開きました。


「クッ、あはは。君は本当に面白い人だ。親子ほども年が離れているのに、丁寧すぎるほど丁寧で、そして名前が示す通り紳士的だ」

「神様と同じようなことを言われますね」

「事実だから仕方ないだろう? だけど、その点に関しては一つ謝っておかないといけないんだ」


 はて?

 まだ、リーゼロッテに何を吹き込んだかの経緯を聞いていませんが、それ以外にも謝ることがあるということですか。


「君はこの世界に転生してきてから、自分に何か異変を感じたことはないかな? 例えば――そう、思考が以前と比べて若干違うとか、リーゼロッテのように精神年齢的に親子ほど離れた年の差にもかかわらず、大して気にならないとか」

「それは――」


 アデルという若い身体に転生したからだと考えていました。

 ですが、目の前のアデルの口ぶりからすると、どうやら違うようです。


「最上紳士とアデル・フォン・ヴァインベルガーは、元々別々に存在していた一人の人間だった。だけど君は神様とやらの力で、死にかけていた僕の身体に転生してきたんだ。僕が完全に死んでいる状態であれば、君の精神年齢や性格は完全に元のままだっただろうね。君の魂だけが存在するわけだから」


 何となくですが、彼の言わんとしていることが理解できました。

 一つの身体に二つの魂という、本来であればあり得えないことが起こっているのです。

 しかも、片方は死にかけていた。

 通常であれば消えゆくはずの魂が、今もこうして残っているということは――。


 アデルは苦笑しながらも、申し訳なさそうな眼差しで言葉を続けました。


「君と僕の魂は繋がっている。君の性格が以前と比べて変化しているのはそのせいさ。まあ、僕の性格も変化したからお互い様と言えなくもないんだけど」


 思っていたとおりですね。

 魂同士が繋がれば性格にも変化が見られるのは、考えられる理由としては妥当なところでしょう。


「ん? 待って下さい。ということは、私が異能を二つも発現できるのは、もしかして……」

「正解。後に発現した『魔力供給エイル』……あれは僕の異能さ」


 そう言いながら頷くアデルの端正な顔は、何故か苦虫を噛み潰したように歪んでいました。

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