第82話 学園対抗戦編⑰

「お帰りなさいませ。見事な勝利でした、リーゼロッテ様」


 私達のもとへと戻ってきたリーゼロッテに向けて、微笑みながらそう告げたのですが、当の彼女は全く納得がいかないようです。

 その証拠にリーゼロッテの眉間には皺が寄せられており、むすっとしていました。

 美しい顔が台無しに、というほどではありませんが、勝利者・・・とは思えない表情です。


「何よ、これからが本番でしょう。確かに肩で息をしていたけれど、彼女はまだ戦えたはずよ。それなのに、何で負けを認めるのよ……訳が分からないわ」

「まあまあ。リーゼロッテ様の成長が、リビエラさんの予想を上回っていたということではないでしょうか? 予想外の成長に驚いて、このままでは不利になると判断して負けを認めた……ありえる話だと思いますよ」

「そうかしら……?」

「そうですよ、きっと」


 もう一度ニコリと笑みを浮かべると、リーゼロッテは一応納得したのか、頷いてくださいました。

 

 リーゼロッテの予想は恐らく正しいでしょうね。

 リビエラは確かにかなり消耗しているように見えましたが、それでもまだ負けを認めるほどの致命的なダメージは負っていませんでした。

 試合が続いていれば、それこそどちらが勝つか分からなかったでしょう。


 では、何故あっさりと負けを認めたのか。

 答えは明確です。

 相手がリーゼロッテだったから、この一言に尽きるでしょう。

 リーゼロッテが対戦相手でなければ、勝つにしろ負けるにしろ、リビエラはきっと最後まで試合を続けていたはず。

 何といっても学院の代表に選ばれているのですから。

 

 ですが、対戦相手は将来自分が仕えるべき相手。

 そして、試合開始前に交わしたディクセンとの視線。

 

 新人戦の時とは違って多くの観客の目もありますし、公王が観覧している状況です。

 代表としての勝利か、それとも仕えるべき主を立てるか、どちらを優先すべきか悩んだでしょうね――結果として現在があるわけですが。


「リーゼロッテさん、よくやってくれた。これで二勝。あと三勝すれば今年も我が学園の優勝が決まることになる。後は任せてくれ」


 シュヴァルツが柔和な笑みを浮かべています。

 シュヴァルツもあの事件でリビエラさんのことは知っていますから、私と同じことを考えついているはずですが、当然言うつもりはないのでしょう。


「有難うございます」


 リーゼロッテがシュヴァルツに一礼で応えました。


「シュヴァルツ様! 残りはボクがさくっとヤってきますよ。それで四連覇を達成しちゃいましょうっ」


 ヴァイスの声は弾んでおり、シュヴァルツが頭を縦に振りさえすれば即、中央に走り出しそうな雰囲気です。

 というか、言い方が少々不穏に聞こえたのは私だけでしょうか?

 

 聖ルゴス学院側を見ます。

 残る相手は三人。

 そのうちのヴェラードは他の二人よりも強そうな感じはしますが、ヴァイスが出れば勝利は間違いありません。

 

「いや、ヴァイス。お前の出番はない」

「え~! せっかくちょっとは楽しめそうだったのに。ってことは……」


 ヴァイスが眉をひそめながら、リーラの方を見ました。

 リーラは表情を変えず、直立不動の姿勢のままです。

 背筋がすらりと伸びていて、思わず見惚れてしまうほどでした。


「シュヴァルツ様のご命令とあらば、即座に殲滅してご覧に入れましょう」


 恭しく頭を下げるリーラに、シュヴァルツは眉を下げて少しだけ困ったような顔をしました。


「すまないな、リーラ。君にも出てもらうつもりはないんだ」

「はっ! ……でしたら、いったい誰が? も、もしやっ!?」

 

 今まで全く表情を変えなかったリーラの瞳が、大きく見開かれています。

 リーラだけでなく、ヴァイスも同じように驚いたような顔をしてシュヴァルツを見ていました。

 

 私とリーゼロッテは既に出ていますし、ヴァイスとリーラを出さないということは――まさか!?


「俺が出よう」


 シュヴァルツの言葉に私を含め、その場にいた四人は文字通り固まってしまいました。

 "学園対抗戦シュラハト"において、一度も戦うことがなかったというシュヴァルツが、自ら戦うと言ったのです。

 驚くなという方が無理というものでしょう。


「フフ、そんなに驚くことはないだろう。俺も学園の代表なのだから、戦うのはごく当たり前のはずだぞ?」


 シュヴァルツの言っていることは至極真っ当で、且つ正しい。

 正しいのですが、何故このタイミングで戦うと言いだしたのか。

 それが疑問でした。


「一つ、お聞きしても宜しいですか?」

「うん? 何かなアデル君」

「どうして今、戦おうと思われたのですか?」


 私の問いにシュヴァルツは一瞬目を丸くしましたが、直ぐに優しげな笑みを浮かべました。


「君だよ」

「えっ?」


 戦おうと思った理由が、私?


「正確にはアデル君とレイとのやり取りを思い出してね。君はレイの想いを受け止め、レイの分まで試合に臨み、そして結果を出した。実に素晴らしいことだ」

「それは――有難うございます」


 私は素直に頭を下げました。

 シュヴァルツは瞳を細めてこちらを見つめています。


「レイだけじゃない。アデル君はここに来ることが出来なかったガウェイン君やエミリアさんの想いも力に変えて戦った。その姿を見て、ふと思ったんだ。『俺は見ているだけでいいのか』とね」


 シュヴァルツは子供みたいな顔で真っ直ぐ微笑んでいました。

 このような笑みは初めて見ます。


「俺がこの大会に出るのも今年で最後。であるならば、最後くらい"五騎士"筆頭として、聖ケテル学園の代表として、聖ケテル学園に通う全ての学生の為に戦うのも悪くない――そう思ったんだよ」


 いつものシュヴァルツからは想像もつかない言葉に、今度は私が目を丸くする番でした。

 ですが、直ぐに驚きよりも喜びの感情が上回ります。

 シュヴァルツは、聖ケテル学園に通う全ての学生の為と言いました。

 つまり――。


「無論、アデル君やリーゼロッテさん、ヴァイスにリーラの為にも戦おう。任せておけ」


 先ほどとは打って変わって、ふてぶてしいまでの微笑でシュヴァルツは応えました。





「……まさか、君が出てくるとは思わなかったよ」

「そうか? 俺もお前が出てくるとは意外だったよ、ヴェラード」


 ヴェラードの言葉に、シュヴァルツは肩をすくめながらそう返していました。 

 他の二人と比べて頭一つ抜けているように見えたヴェラードが出てきたのは、確かに意外というより他にありません。

 てっきり一番最後に出てくるかと思っていたのですが。


「なに、今回が最初で最後の機会なんだ。全力の君と戦わねば意味がない」


 騎士の鑑ともいうべき清廉な心がけです。

 それに対してシュヴァルツもニヤリと笑みを浮かべました。


「それは光栄だ。いいだろう。では、俺も久しぶりに本気・・でお相手しよう」


 ――本気?

 シュヴァルツの言葉に、私は思わず首を傾げます。

 私との手合わせの際には本気ではなかったと?


 近くにいるヴァイスとリーラを見ますが、二人とも目を輝かせてシュヴァルツを見つめています。


「聞いたかい、リーラ!」

「当たり前だ。本気のシュヴァルツ様など滅多に見れるものではない。しかと目に焼き付けておかねば」


 興奮したように声を弾ませる二人。

 さっぱり意味が分かりません。

 いったい、どういうことなのでしょうか?


 中央に向き直ると、ちょうどクラウディオが試合開始の合図をしたところです。

 瞬間、まるで天が落ちてきたかのような感覚に襲われました。

 

「――くっ」

「――な、何なの。これ、は」


 押し潰されるような大圧力。

 身体中の骨という骨がミシミシと音を立てて砕けるような存在感。

 身動きがとれず、指一本さえ動かすことがままなりません。

 

「これこれこれ! いや、やっぱり凄いね~。ボクの身体にもビンビンくるよっ」

「素晴らしい……」


 私もリーゼロッテも身動きが取れない重圧の中で、興奮気味に話すヴァイスとリーラ。

 二人はなんともないと言うのですか?

 ヴァイス達の口ぶりからすると、この現象を引き起こしているのはやはり――。

 

「どうしたヴェラード。全力の俺と戦いたかったのだろう? 俺は目の前にいるぞ。向かってきてはどうだ」


 シュヴァルツは、典雅てんがな仕草でヴェラードを手招きしていました。

 傲慢な台詞にさえ気品を感じます。


 対するヴェラードですが、私やリーゼロッテと同じなのでしょう。

 真っ赤な顔をしてシュヴァルツの重圧に抗おうとしているのでしょうが、獅子の前足に全身を押さえつけられた子鼠こねずみのごとく、指一本動かすことが出来ない様子。


「ふむ。これでは動くことすら出来ないか。では――これくらいならどうかな?」


 その瞬間、事態は一変しました。

 身体が、動く?

 身動きが取れないほど重く圧しかかっていたシュヴァルツのプレッシャーが、少なくとも身体を動かせる程度には弱くなっています。

 それは、シュヴァルツの正面に立つヴェラードもだったようで、自分の手を眺めながら開いたり閉じたりしていました。


「動けるようだな。さあ、こい」

「くっ。その自信、直ぐに後悔させてみせる。『――突き刺すものフロッティ!』」


 ヴェラードが叫んだ瞬間、彼の右手には青い輝きを放つ剣が握られていました。

 先端は非常に尖っており、斬るというよりは槍のように刺すことを目的とした武器に見えます。


 ヴェラードが腰を深く落とし、剣の切っ先をシュヴァルツに向けて構えました。

 直後、ダンッ! という地を蹴る衝撃とともに突撃を開始。

 あっという間にシュヴァルツに接近すると、刺突を繰り出しました。


「もらったああああ!」


  シュヴァルツは「『――正統なる王者の剣カリブルヌス』」と呟き、鋭剣を握り締めますが、端正な顔は笑ったままです。


 危ない!

 シュヴァルツの身体を貫くのではと、思わず顔を背けようとした――その時。

 目の前で信じられないことが起こったのです。


 シュヴァルツが左足を一歩前に出したとほぼ同時に、突然、カキィン!! という金属音と共にシュヴァルツの姿がき消えました。

 

 ――消えた!?

 シュヴァルツとは今まで幾度となく手合わせをしてきましたが、レイの剣とは違い、その太刀筋たちすじが見えなかったことはありません。

 にもかかわらず、私の眼で追いきれなかったとは……。


 慌てて首を左に振ると、離れた場所にシュヴァルツが優雅に佇んでいました。

 と、ヴェラードが握っていた"突き刺すもの"の先端部分が、ポッキリと折れているではありませんか。


 ヴェラードは何が起こったのか理解が追いついていないようです。

 折れた剣が右手から消失しても尚、見失ったシュヴァルツを探そうときょろきょろと見回していました。


 そんな好機をシュヴァルツが見逃すはずもなく、即座に地を蹴ったかと思うと、一瞬でヴェラードに肉薄します。


「あっ!?」


 気づいた時にはもう手遅れでしかありません。

 シュヴァルツは鼻と口の間――所謂いわゆる、人中として知られている急所を空いた左手で突いています。


 完全に無防備な状態で急所に一撃を入れられたヴェルナードは昏倒し、支えを失ったように真下へ崩れ落ちました。

 

「フフ、些か味気ない幕切れだが、それもまたいいだろう。勝った時は確か――こうするのだったかな」


 そう言って、右手に握っている"正統なる王者の剣"を天高く振りかざすシュヴァルツ。

 一瞬の静寂の後、観客席から嵐のような歓声が上がるのでした。

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