第77話 学園対抗戦編⑫

 ――翌日。

 日課のランニングをしないぶん、いつもよりも遅い時間に目を覚ました私は、ベッドから起き上がり、窓のカーテンに手をかけました。

 雲一つない晴天で、遠くに映る山から太陽が昇っているのが見えます。

 窓を開けると、涼やかな空気が部屋へ入り込んできました。

 肌寒さを感じつつ、両手を上げて軽く背伸びをします。


 うん、今日も絶好の試合日和になりそうですね。

 

 顔を洗い、黒の戦闘服に着替えた後で廊下へ出ると、ちょうどリーゼロッテも部屋から出てきたところだったのか、彼女と目が合いました。

 

「お早うございます、リーゼロッテ様」

「ええ。お早う、アデル」


 リーゼロッテの口調はいつもと変わらず、昨日あのようなこと・・・・・・・を言ったのが嘘のようです。

 表情もいつも通りと言えばいつも通りですが――これは、どうすればよいのでしょうか?


「リーゼロッテ様――」

「アデル」


 私の言葉を遮るように、リーゼロッテが口を開き、私の名前を呼びました。

 

「なんでしょうか?」


 若干の戸惑いを感じつつ、リーゼロッテに言葉を促します。

 すると、彼女は一瞬顔を強ばらせて、視線を左右に泳がせたものの、直ぐに私の目を見ました。

 

「あの、あのね。昨日のことだけど」

「はい」

「一旦忘れなさいっ」

「……はい?」


 リーゼロッテがどのことを言っているのかは、当然分かります。

 私を振り向かせて見せます、と公王に言った件でしょう。

 ですが、目の前で言っているのに忘れなさいとは、いったいどういうことでしょうか?

 

「だからっ! 昨日のことは一旦忘れなさいと言っているのよ! 貴方は何も聞いていない。いいわね?」

「はあ、承知しました」


 あれだけハッキリと言われた手前、忘れることなど不可能に近いのですが、顔を真っ赤にしてこちらを睨むリーゼロッテの、有無を言わさぬ無言の圧力を前にしては、そう返すより他にありませんでした。


「それでいいのよ、それで。忘れたなら、私たちは今まで通り、いつもと変わらないってことよね?」

「今まで通り、ですか?」

「そう、今まで通り」


 ニッコリと微笑みながら頷くリーゼロッテ。


 ――ふむ。


 要約すると、昨日のことは一旦保留にして、いつも通りに接しなさい、といったところでしょうか。

 何故、とは聞かない方がよいでしょう。

 リーゼロッテの顔は笑ってはいますが、目は全くといってよいほど笑っていません。


 よく見れば、若干ですが目の下にクマのようなものが出来ています。

 よほど悩んだ末に至った結論ということ。

 であるならば、私が今できることは、彼女の選択を尊重して受け入れること以外にないでしょう。

 私はリーゼロッテに笑みを返します。


「承知しました。それでは、まずは朝食に向かいましょうか」

「ええ!」


 私の言葉に、リーゼロッテは満足げに頷きました。





 朝食をとった後、会場に向かうと入口にいたシュヴァルツ、ヴァイス、リーラに声をかけました。

 

「お早うございます」

「ああ、お早う。昨日は休めたかな?」

「ええ、よく眠れました」

「ふふ、そうか。大勢の観客を前に試合をしたんだから、少しは興奮して眠れないのではないかと心配していたんだが、どうやら杞憂だったみたいだな」

「心配していただき、有難うございます」


 シュヴァルツに対して頭を下げると、気にするなと言わんばかりに緩く手を振っています。


「さて、今日は二日目だが、六日目までアデル君は温存しておく」

「温存、ですか?」


 シュヴァルツの言葉に、思わず首を傾げてしまいました。

 私の隣にいるリーゼロッテも困惑気味に眉をひそめています。


「昨日の試合で、アデル君の力を見せつけることは出来たからね。それに、この大会は我々にとって通過点でしかない」

「"国別異能対戦"が本当の戦いだと?」

「そうだ。まあ、経験を積んでもらうという点では、毎試合出てもらってもいいんだが、聖ルゴス学院、聖タラニス学園、聖エポナ女学院以外は大した選手がいるようには見えなかった。六日目が聖エポナ女学院、七日目が聖ルゴス学院との対戦らしいからね」


 見えなかった、ということは、開会式の時でしょうね。

 言い切るところが、普通であれば傲慢にも聞こえますが、シュヴァルツ達の実力からしてみれば、当たり前のように思えてしまう自分がいます。


「ああ、昨日出ていない分、リーゼロッテさんには何度か試合に出てもらうよ。公王陛下もそれを望まれて、初日から観に来られているんだろうし」

「あう。す、すみません」


 恥ずかしそうに頭を下げるリーゼロッテ。


 確かに、通常は最終日しか来ることのない公王が、初日から観戦に来るなど初めてのことだそうなので、理由は当然リーゼロッテの試合を見たいに違いありません。

 シュヴァルツは優しく頷きながら、「それじゃあ、行こうか」と言って歩き始めました。





 試合会場に入ると、観客席は既に満員御礼状態でした。

 私たちに気づいた観客の数人が、私やヴァイスの名前を呼び、手を振っています。


 手を振り返した方がよいのでしょうか?

 そう考えていると、ヴァイスは柔かに笑みを浮かべながら、「ありがとう~」と観客席に向かって手を振っています。

 

「アデルくん、こういうのはノリだよ、ノリ。名前を呼ばれたら返して上げるのが礼儀だよ?」


 何とも軽い口調のヴァイスですが、なるほど、言われてみれば確かに一理あります。

 ヴァイスにならって手を振り返すと、「きゃ~!」という黄色いが上がりました。

 同時に、隣から凍てつくような鋭い視線を感じます。

 

「人気者は大変ね、アデル」


 振り向くと、リーゼロッテが目を細めて冷ややかな視線を向けていました。


「人気者、と言われるほどのことはしていないと思うのですが」


 去年も一昨年も出場して試合に出ているヴァイスに比べ、私は昨日の一試合しか出ていないのですから、それだけで人気者とは言えません。

 

「本当にそう思っているのかしら?」

「もちろんです」


 たった一試合ですよ? 

 そういう意味も込めて頷いたのですが、リーゼロッテは大きく溜息吐くと、冷ややかな目から一転して、呆れたような目でジトっと睨みつけてきました。


「まったく、もう。いえ、アデルはそうだったわね」

「何がでしょう?」

「気にしなくていいわ。忘れてちょうだい」


 そう言われると気になってしまうものですが、シュヴァルツがこれ見よがしに苦笑しています。


「アデル君、ひとまずその話は後にしよう。試合が始まる」


 シュヴァルツの言葉に、その場にいた皆がコクりと頷きました。

 自分たちの対面に視線を向けます。


 今日の対戦相手は聖エスス学院。

 新人戦で戦ったことのない私やリーゼロッテにしてみれば、初めての対戦です。

 

 確かに、こういってはなんですが、シュヴァルツやヴァイス、リーラと対峙した時のような、肌が粟立つ感じはしません。

 まあ、比べる相手が悪過ぎるといえなくもないのですが。

 

「さて、じゃあまずはリーゼロッテさんから行ってみようか。なに、いつもの手合わせくらいの感覚で問題ないさ」


 シュヴァルツがそう言と、リーゼロッテは「はい」と言って中央へ進み出ました。





 二日目の結果はリーゼロッテが一戦目と二戦目を戦って勝利し、三戦目以降は昨日と同じくヴァイスが登場。

 三人を圧倒し、聖ケテル学園の完全勝利で終わりました。

 

 リーゼロッテの対戦相手ですが、二人とも"灼熱世界ムスペルヘイム"で酸欠状態になり、特に苦戦することもなく試合終了。

 あっけないようですが、これまでの炎の壁と違い、上も塞いだ状態になっていましたから、同じ系統か、もしくは水や氷といった異能を扱えない限り、手も足も出ないでしょう。


 クラウディオがリーゼロッテの勝ち名乗りを上げるたびに、公王が手を叩いて喜ぶ様子が印象的でした。

 リーゼロッテは恥ずかしそうに顔を背けていましたが。


「リーゼロッテ様、お疲れ様でした。"灼熱世界"をあのように上まで覆うようにするとは、お見事です」

「有難う。私もあれから成長しているのよ」


 少しだけ得意げに頷くリーゼロッテ。


 ――あれから。

 おそらく、リビエラやシャルロッテのことを指しているのでしょう。

 特に今回はリビエラとの再戦もあるでしょうから、気合が入るのも仕方ありません。

 リビエラからすれば、将来の護衛対象ですし、公王の前でもありますから、やりにくいことこの上ないでしょうが、どうなることやら。


 ともあれ、この調子であればシュヴァルツが言っていた通り、六日目までは何事もなく順調にいくでしょう。

 新人戦の時は色々・・ありましたが、ここは公都ですし、公国騎士団やディクセンもいますからね。

 安心して大会に専念出来るというものです。


「リーゼロッテ様、今日は公王陛下にお会いになりますか?」


 遠目でもあれだけ喜ばれていたのです。

 そう思って、進言したのですが――。

 

「いえ、今日はやめておくわ。アデルも見ていたでしょう? お父様の喜びよう」

「ええ」

「いま会いに行ったら、抱きしめられてしまいそうだもの……また今度にしましょう」


 リーゼロッテはあからさまに焦りが見える口調で告げました。

 

「ふふ、承知しました。それでは時間もあることですし、マリーやミシェルを探して一緒にお茶でも如何でしょう?」

「いいわねっ。そうしましょう」


 先ほどとは一転して、華やいだ笑顔に変わったリーゼロッテとともに、私は観客席のどこかにいるであろうマリー達を探しに行くのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る