第76話 幕間「それぞれの思惑」

「陛下の前だというのに愚息の無礼な発言の数々、申し訳ございませんでした」


 アデルとリーゼロッテが貴賓室を退室したあと、忠実な公国の騎士団長は公王に対して頭を下げた。


「よい。こちらから婚約破棄をしたのは事実なのだ。内外の目を考えるアデルの言い分もよく分かる。それに、リーゼロッテだけでなくどんな女性であろうと・・・・・・・・・・、と言っていたのだ。ならば、今はまだそう急ぐ必要もないだろう。しかし、キースはこのことを知っていたのだろうな……義弟あの男にも困ったものだ」


 どこか拗ねたように言いながらも、ユリウスの顔には自嘲の色が浮かんでいる。

 そのまま控えめな溜息混じりに、窓の外に広がる青空を見上げた。


「急に自分のシャルロッテを留学に送ると言われた時には驚いたが、久しぶりにリーゼロッテに会わせてやりたい、迎えに来る時も心配だからという理由だった。同じ娘を持つ親として、義兄として、それならばと承諾したが……そもそも、あやつがそんな殊勝な男ではないことくらい、妹を嫁がせた時から分かっていたはずなのだがな。ふふ、私には指導者としての資質が無いのかもしれないな」

「おそれながら申し上げます。オルブライト国王は何も考えておらぬだけにありますれば、あの方と比して恥じ入ることなどありません。私はもちろん、他の騎士団員も、それ以外の者らも、陛下に忠誠を誓っております」

「ふっ、そうだな。ディクセンよ、礼を言う」


 ディクセンの忠誠に、ユリウスはただ頷きだけを返していた。

 そう、自分の周囲にはこんなにも頼もしい者達がついている。

 性格がまったく違うキースの、掴みどころのない言動を気にしたところで仕方の無いことなのだと、ユリウスは落ち込みかけていた気持ちを切り替えて話を戻す。


「留学の本当の理由は、アデルだろうな」

「その通りでしょう」

「まったく、どこで知ったのやら。ディクセンよ、心当たりはないか?」


 問われたディクセンは、「そういえば……」と言って何かを思い返すような素振りを見せたあと、徐ろに口を開いた。


「春先でしたか。聖ケテル学園のモルドレッド学園長から、賊が侵入したとの報告がありました。他国の可能性もあるということで警戒をしておりましたが、もしや……」

「その賊がキース子飼いの者であったと?」

「確証はございませんが、あの方の性格を考えますとあり得るかと」


 恭しく頭を下げるディクセンに、ユリウスは「ふむ」と言いながら顎を撫でる。

 可能性としては十分考えられることだった。

 キースは優秀な者を集めることに目がない。

 アデルが学園に通い始めたと知れば、興味を持って偵察くらいはやってのけそうだと、ユリウスは思っていた。


 オルブライト王国には、キースによって集められた十人の優秀な異能力者がいると、キース本人から聞いたことがある。

 その者達を使えば、人知れず公国内に侵入することもできるかもしれない。


「その時から目を付けられていた可能性は高いな。というよりも、十中八九そうだろう。でなければ、何もないのにあやつ自身がわざわざ飛空艇まで使って来るはずがない。が、抗議しようにも証拠は――」

「ございません」

「だろうな。やってくれる」


 「申し訳ございません」と頭を下げるディクセンに、気にするなと言わんばかりに手を振るユリウス。

 キースもアデルを狙っているだろうが、少なくともアデルがあれでは、色よい返事など引き出せていないはず。

 ならば、どちらが有利なのかは明白だ。


 アデルが世界最高の魔力を持っているということは、彼が生まれた時に世界中に知られていた。

 ディクセンの報告を受け、ユリウスが大々的に発表したのだから。

 魔力を持つ者、特に魔力量の多い者は、それだけで国にとって重要な価値があり、宣伝にもなる。

 だからこそ、ユリウスは早々にリーゼロッテとの婚約を持ちかけ、ディクセンも願ってもないことだと承諾した。


 だが、いつまで経っても異能を発現出来ず、いつしか悪評も耳に入るようになり、最終的にはリーゼロッテが婚約を破棄したいと申し出たのだ。

 世界最高の魔力は惜しいが、十四歳になっても異能を発現出来ないとあっては宝の持ち腐れでしかないし、今後も見込みは限りなく薄いだろう。

 そう考えたユリウスは、婚約破棄について止めることはしなかった。

 

 結果として、その判断は間違いであったと今は思っているのだが、あくまで結果論でしかない。

 まさか異能を発現出来るようになるとは思っていなかった。

 しかも、あれほど有能な異能を、だ。


 ディクセンも同じなのだろう。

 "五騎士"になったこと、異能が発現出来るようになったと聞いても、まるで信じなかった。

 今日、実際にアデルが異能を発現する姿を目にするまでは。

 

 異能を発現したアデルを見たとき、ディクセンは公王の後ろで小さくガッツポーズをした。

 前日にアデルらと会った時に、ディクセンはリーゼロッテの様子を見て気付いていたのだ。

 「これは、もしかすると脈があるのではないか」と。

 

 そのことを悟ったディクセンは直ぐにユリウスに報告した。

 報告を受けたユリウスも、本当に異能を発現出来るならば、という条件付きで婚約の話が再浮上したのだ。

 

 ユリウスは先ほどのことを思い返す。

 貴賓室で対面した時から薄々感づいてはいたが、リーゼロッテがあのようにハッキリと宣言するとは思っていなかった。

 だが、あれほどまでにアデルのことを想っているのであれば、何もいう事はない。

 公王として、一人の親として応援するのみだ。

 それよりも――。


「今回は断られたが、ディクセンが言っていたようにリーゼロッテもかなり乗り気なようだ。同じ学園にいるのだし、この件に関しては任せておくとしよう。だが、いつまたキースが手を出してくるか分からぬ。今後は他国もだが、王国には特に目を光らせておくのだ」

「はっ」


 主の言葉に短く、ディクセンは即答した。

 


◇◇◇



「お母様、そんなに急いでどこに行こうというのです?」

「まずは家に戻って、それから夜になったらあの人に報告しないと……」


 マリーは足早に前を歩く母親を追いかけながら声をかけるが、まるで耳に入っていないのか、ぶつぶつと独り言を呟いていた。

 ミシェルも「落ち着いて下さい、お母様」と言ったのだが、止まりはしない。


 無理もないことかもしれませんわね、とマリーは心の中で軽く溜息を吐く。

 それだけ先ほどの試合は衝撃的で、そして最高に素晴らしいものだった。


 元々、マリーは異能が発現出来ないアデルのことが大嫌いで、近寄ることさえしなかった。

 もちろん、最初からではない。

 マリーが小さい頃のアデルはとても優しい兄で、面倒見もよく、ミシェルと一緒に遊んでもらっていた記憶がある。

 

 だが、いつの頃からか使用人に当り散らすようになり、マリーやミシェルにも手を上げることこそないものの、強く当たることが多くなっていった。

 周囲や自分に冷たい上に、どんどんと太っていく兄を嫌悪するようになるのは必然だった。

 高熱を出して死にそうだという話を聞いたときですら、アデルに会おうとすらしなかった。


 そんな兄が高熱から治って以降、人が変わったかのように勉学や作法、そして運動に勤しむようになったのだ。

 最初のうちは、「どうせ、ただの気まぐれですわ」と冷ややかな視線で見ていたのだが、一ヶ月、二ヶ月と経過しても辞める気配がない。

 

 全ての物事に対して真剣に取り組み、そして徐々に痩せていくアデル。

 使用人達への対応も、嘘のように穏やかに紳士的なものになり、マリー達、家族にもそれは変わらない。

 ことあるごとに優しい眼差しで声をかけてくるのだ。

 幼い頃の思い出が残るマリーやミシェルにとって、アデルはやはり兄である。


 三ヶ月が経った頃には、すっかり"お兄ちゃん子"になっていた。

 男の子だからか、それとも思春期だからか、ミシェルの方は中々素直になれていないようではあるが。

 アデルにとっては、そういった反応も新鮮なのだろう。

 微笑ましいものを見る目で、よくミシェルの頭を撫でており、その度にマリーは羨ましいと思っていた。


 ――あんなに頑張っていたお兄様ですもの、きっと異能を発現出来るようになるに違いありませんわ!

 

 アデルが学園に入学する日のマリーの気持ちだ。

 アデルの成功を信じて疑わない。

 たった三ヶ月ではあったが、マリーの心の中はアデルで埋め尽くされていた。


 アデルに会えない日々は寂しく、何度も会いたい、声が聞きたい、頭を撫でて欲しいと思い焦がれて、夜に部屋で枕を濡らすこともあったが、それ以上に兄の活躍を毎日毎日祈り続けた。


 そして、今日の試合である。


 ――か、カッコ良すぎですわ、お兄様っ!


 兄が颯爽と異能を使いこなし、相手を倒す姿を目の当たりにしたマリーが感動するのは当然のことであった。

 マリーのみならず、観客全てを魅了していたと言っても過言ではない。

 その中には当然、ミシェルもアリシアも含まれている。


 しきりにアリシアは、「あのアデルが……本当にアデルなの?」と口に出していたが、アデルが頑張っていた三ヶ月を見ようともしなかったのだから、仕方のないことかもしれない。

 ミシェルは、「凄い、凄い!」と言って興奮しながら何度も手を叩いていた。

 

 試合後、直ぐにアデルのもとへ行こうと駆け出したマリーは、アデルを見つけるやいなや、飛び込んだ。

 久しぶりに兄の温もりを直に感じたマリーは、頭を撫でられて更に幸せな気持ちになるのだが、マリーにとって想定外の出来事が起こる。


 リーゼロッテの存在だ。

 マリーからすれば、リーゼロッテは敬愛すべき兄に婚約破棄を突きつけた憎むべき敵である。

 兄に言われたからといって、たとえ第一王女であろうと、兄の素晴らしさを理解していない者と仲良く出来るはずもない。


 しかし、ここでマリーにとってもう一つ想定外の事態がおこる。

 それは、リーゼロッテがアデルに好意を持っていたことだ。

 学園で何があったのかはマリーには分からない。

 だが、アデルのことを好いているということは直ぐに理解できた。


 理由は簡単だ。

 マリーもアデルのことが好きだから、この一言に尽きる。

 意味合いが違うとはいえ、自分と同じ目をしてアデルを見ているリーゼロッテに、マリーは警戒を緩めた。


 そして直ぐに頭の中で未来を思い描く。

 兄の素晴らしさを理解しているのであれば、リーゼロッテの第一王女という肩書きは悪くない、と。

 兄の素晴らしさを内外に広めるには、王族と婚姻関係を結ぶことはむしろ良い方向に進むはず。

 少々腹黒い考えではあるが、アデルを第一に考えているマリーにとってはごく自然なことであった。

 

 ただ、今までの経緯があるだけに、そう簡単には認めるわけにはいかない。

 そういった意味も含めて「お姉様」発言をしたのだ。


 ――折を見てミシェルも巻き込んで、リーゼロッテ様を応援しないといけませんわね。


 全ては大好きな兄のために。

 胸に秘めつつ、マリーはアリシアの後ろを追いかけるのであった。



◇◇◇



「……言っちゃった」


 ホテルの割り当てられた部屋に入ったリーゼロッテは、立ち止まることなく一直線にベッドに飛び込むと、俯きながら絞り出すように呟いた。


 貴賓室を出てからアデルと二人で、無言のままホテルまで歩き続けたリーゼロッテであったが、部屋に入る直前にアデルから、「リーゼロッテ様、先ほどの言葉ですが――」と問われそうになったのだ。

 心の準備が出来ていない彼女は咄嗟に、「ごめんなさい。今日は疲れたから、その話はまた」と言って、アデルの返事も待たずに部屋に入った。


「お父様の手前、勢いで言っちゃったけど、いくらアデルが鈍感過ぎるといっても流石に気づいたわよね?」


 リーゼロッテはベッドから起き上がると、頭を抱えて唸りだした。

 正直、まだアデルに告げる気はなかった。

 いや、何度も匂わせるような発言はしていたし、周囲からもバレバレだと言われていたけれども、面と向かって本人に告げたことはない。


 そんなに隠せていないんだろうか。

 リーゼロッテは持ってきた荷物の中から、あるものを取り出すと、自らの顔の前にやった。


「ねえ、"アーくん"。私ってそんなに気持ちを隠せていないのかしら?」


 "アーくん"。

 それは、リーゼロッテが密かに作っていた全長二十センチほどの、アデルによく似た人形の名前だ。

 料理の腕前はまったくと言ってよいほど苦手なリーゼロッテだが、幼少の頃より王妃から編み物を習っていた為、裁縫の腕前だけはかなりのものだった。


 リーゼロッテは、このアデルに似た人形と一緒に寝るのが常になっていた。

 こうして、たまに話しかけて対アデルに向けた練習もしているようではあるのだが、中々成果は出ていない。


「分からないわよね。私も分からないんだから。それにしても、明日からどんな顔をしてアデルと話せばいいのかしら……」


 本人を前に宣言したからには、積極的にいけばいいのだろうか。

 そう考えたリーゼロッテは、"アーくん"をギュッと抱きしめる。

 

「……好き」


 そう呟いてから、ゆっくりと"アーくん"を自分の顔の位置まで離す。


「ふふ、"アーくん"にはこんなにも簡単に言えるのだけれど。アデルには……無理無理無理! 絶対に無理! 言えるはずがないわ」


 アデルが目の前にいるところを想像して恥ずかしくなったのだろう。

 リーゼロッテはこれでもかというくらい頭を左右に振る。

 顔は、熟れた林檎のように真っ赤になっていた。

 

「はあ~、今の私には無理だわ。アデルにしたって、私が急に好きって言いだしたら驚くでしょうし。ねえ?」


 "アーくん"は何も返事をしない。

 が、リーゼロッテが無理やり人形の頭を頷かせた。


「そうよね! まずはいつも通りに接しましょう。そこから徐々に変えていけばいいわ。まだ先は長いんですもの。頑張るのよ、リーゼロッテ! "アーくん"も応援していてね」


 リーゼロッテは"アーくん"に語りかけ、決意を固める。

 固めた決意は、公王の前で啖呵たんかを切った時と比べると何とも情けないものではあったが、大事な一歩を踏み出したのは間違いない。


 考えが纏まり気が緩んだのか、リーゼロッテは再びベッドに横になると、"アーくん"を抱いたまま眠りについたのだった。

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