第75話 学園対抗戦編⑪
「「は?」」
私の返事が全くの想定外であったのか、公王とディクセンは目を見開き、文字通り
リーゼロッテに目を向けると、彼女はある程度予想がついていたのでしょう。
表面上は動揺していないように見えます。
ただ、「はぁ、やっぱりね……」と、大きな溜息を吐いてはいましたが。
「すまない、もう一度言ってもらっていいだろうか?」
私の答えが伝わらなかったのか、それとも信じたくないだけなのか、公王が尋ねてきたので、私はもう一度同じ言葉を口にします。
「今は、リーゼロッテ様と婚約を結ぶつもりはございません」
「アデル! お前は何を言っているのか分かっているのかっ」
「止めよ、ディクセン」
ディクセンが声を荒げて、今にも私に掴みかかろうとしたのですが、公王は片手を上げてそれを制しました。
ディクセンはその場に踏みとどまり、慌てたように公王の顔を見ます。
「し、しかし」
「よい。それに、どうやらリーゼロッテも分かっていたようだしな」
そう言って、公王はリーゼロッテの方に視線を移しました。
ディクセンよりも公王の方が、いくらか落ち着いていらっしゃるようです。
リーゼロッテは頷くものの、言葉にはしませんでした。
自分から言うべきことではない、ということでしょう。
公王は軽く溜息を吐くと、私に視線を戻しました。
その瞳は怒りに燃えている、ということはありませんでしたが、鋭く真っ直ぐに私を捉えています。
「……理由を聞いてもよいかな?」
「もちろんです。理由は二つございます」
「二つか」
「はい。一つは、私とリーゼロッテ様が婚約破棄をしてから間がないことです」
"婚約破棄"という言葉に、隣に居るリーゼロッテの身体が一瞬ビクッとしました。
僅かに顔を俯かせ、両手で服の裾をギュッと掴んでいるのが横目からも分かります。
公王も思うところがあるのでしょう。
私の言葉に黙って耳を傾けています。
「対外的には私の方から申し出た、ということになってはいますから、一見問題がないようにも思えます。しかしながら、婚約破棄を承諾したという事実があります。承諾したということは、私がリーゼロッテ様に相応しくない部分があったとお認めになったということ。にもかかわらず、この短期間にまた婚約を結ぶのは、リーゼロッテ様はもちろんですが、公国にとっても国内や他国に対して恥ずべき汚点となりかねません」
「む、う」
公王も私が言わんとしていることは理解してくださったようで、腕を組み唸っていました。
ディクセンも同じく難しい顔をしています。
これは少し考えれば分かることです。
身分の高い者、特に国を代表する王族ともなれば、外聞というものは大事にせねばなりません。
「一度婚約破棄をした相手ともう一度婚約を結ぶというのであれば、それなりの理由付けというものが必要なのではありませんか?」
「理由、か。確かにその通りだ。して、どういう理由を作るつもりかな? その顔は既に何か決めているといったように見えるのだが」
よく見ていらっしゃる。
流石は公王、といったところでしょうか。
私は頷きを返して、思い描いていることを述べます。
「ええ。"
「"国別異能対戦"で優勝、か。確かにそれなら他国への良い宣伝にもなるが……大胆なことを言うものだ」
「恐れ入ります」
ゆっくり頭を下げると、公王が表情を緩めました。
ディクセンも納得がいったのか、しきりに頷いています。
大胆と仰いましたが、確か昨年も優勝したとシュヴァルツからは聞いていましたからね。
ただ、オルブライト王国ではきっとシャルロッテが出てくるでしょう。
彼女の異能を考えると、何かしら策を練らないと勝つことは出来ません。
逆に言えば、シャルロッテに勝つことが出来れば、公国内はもちろん、各国に大きな衝撃を与えることになるでしょう。
「では、"国別異能対戦"で優勝したら、リーゼロッテと新たに婚約を結ぶということだな」
「いえ、それはお約束できません」
「うんうん、そうか。って、んん?」
公王が首を傾げました。
瞳からは困惑の色が窺えます。
「おかしいな。私の聞き間違いだろうか。約束できない、と聞こえたような気がしたのだが?」
「聞き間違いなどではございません。確かに私はお約束できません、と申しました」
ハッキリと告げると、公王は訳が分からないといった表情で、何度も目を瞬いていました。
控えているディクセンは眉間に皺を寄せて、「何をバカなことを言っているんだ」と言わんばかりに、鬼のような形相で私を睨みつけています。
「どういうことか、説明してもらえるんだろうな?」
「はい。それには二つ目の理由が関係しております。私は今のままではリーゼロッテ様を――いえ、どんな女性であろうと、心から愛せないのです。時が経てばあるいは心変わりすれこともあるかもしれません。ですが、今はどうしてもあの時のことを思い出してしまうのです……」
私の言葉に部屋の空気が一気に重くなりました。
本当のことを話す訳にはいかない為、言葉を濁した表現になってしまいましたが、公王とディクセンは婚約破棄のことと勘違いしたのか、「ううむ……」と唸っています。
公王とディクセン、そして隣にいるリーゼロッテの視線を感じつつ、私は瞳を閉じました。
脳裏に浮かぶのは、今は亡き
心無い言葉に怒る真摯と、自分ではなく他人の名誉の為に立ち上がる正しさを持った、あまりにも眩しく、そして真に美しい
意味もなく、涙が
ああ、やはりまだ駄目ですね。
このような状態で私が他の女性とお付き合いをする、ましてや婚約をするなど出来るはずがありません、許されるはずがありません。
言葉を弄し、偽り、取り繕うのはとても容易いでしょう。
ですが、それは
故に、私は私の中で
ゆっくりと瞳を開けると、公王がリーゼロッテと同じ蒼い瞳でジッと見つめてきました。
「それが二つ目の理由か。だが、その言葉だけでは、分かったと納得するわけにはいかんな。婚約して共に過ごす中で、愛が芽生えることもあるのではないか?」
「可能性で言えば、無いとは言い切れません」
「それならば――」
「ですが、それでも今はお断り致します」
「アデルっ! 貴様!」
公王の言葉を遮って断ったことで、ディクセンがこめかみに青筋を立てながら、怒りを
「お父様のお怒りはご尤もですし、公王陛下の申し出も大変有難いことです。しかし、愛していないというのに婚約をするのは、リーゼロッテ様に失礼でしょう。それに」
チラリと隣に立つリーゼロッテに視線を投げかけると、目が合いました。
学園での私の言動から、こうなることは分かっていたのでしょう。
彼女は真剣な眼差しで私を見ながら、一つ頷きました。
頷きを確認した私は、公王とディクセンに目を向けます。
「リーゼロッテ様のお気持ちも大事ではないでしょうか?」
「お父様。私も、私を愛していない男性との婚約は望みません」
「リーゼロッテ、お前もか……」
公王とディクセンは、ガックリと項垂れてしまいました。
婚約させようとしている二人ともが望んでいないのであれば、無理に婚約をさせようとは思わないでしょう。
リーゼロッテが上手く話を合わせてくれて良かったと、心の中でホッと安心していたのですが――。
「ただし、
――はい?
続けて発せられたリーゼロッテの言葉に、公王とディクセンは驚いたように目を見張っていました。
もちろん私も驚いています。
彼女から好意を感じることはあっても、こうやって面と向かって口にされたのは初めてのことですから。
シャルロッテといい、ミネルヴァといい、そして今回のリーゼロッテといい、何とも直球で好意を寄せてくださるものです。
気持ちは嬉しいですし、仮に私が
ですが、今はまだ――。
いち早く落ち着きを取り戻した公王は、椅子に深く座り直すと軽く咳払いをして、私とリーゼロッテを見ました。
「……分かった。二人の気持ちを汲み、この話は一旦置いておくとしよう」
私の気持ちというよりは、リーゼロッテの決意が決め手になったのでしょう。
公王に向かって私とリーゼロッテが一礼すると、公王は徐ろに椅子から立ち上がり、リーゼロッテの肩に手を置いて、真剣な眼差しで彼女を見つめています。
「リーゼロッテ、この際どんな手を使っても良い。私が許す。頑張りなさい」
「分かりました、お父様。けれど、あくまでも私自身の為に、です。お父様や公国の為ではありません」
コクリとリーゼロッテが頷くと、公王は「それでも構わんさ、結局は同じことだからな」と苦笑しつつ、同じように頷きました。
いやいや、本人がいる目の前で言うことではないと思うのですが……。
――何とも世の中とは難しいものですね。
こうして、公王との面会を終了した私とリーゼロッテは、貴賓室を後にしたのでした。
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