第74話 学園対抗戦編⑩

 先に前を歩いていたリーゼロッテでしたが、突然足を止めて私の方へ振り返りました。

 

「リーゼロッテ様、どうされたのですか? 貴賓室に向かうのですよね?」

「貴賓室って、どこにあるのかしら?」


 え? 

 場所を知っていたから、先を歩かれていたのではないのですか?


「リーゼロッテ様……」

「だ、だって仕方ないでしょう? 会場が広すぎるんだからっ」


 そう言って、ぷいっと顔を背けるリーゼロッテ。

 私から見える横顔は赤くなっており、恥ずかしさを隠すためであるというのが丸分かりです。


 確かに、この会場は広いですからね。

 軽く周囲を見渡してみただけでも、複数の入口や階段が見受けられます。

 これではどうやって行けば良いのか、分からないのも当然でしょう。


 さて、どうしたものか……ん?

 廊下で立ちすくんでいた私の視界が捉えたのは、黒い燕尾服めいた格好に身を包んだ老紳士でした。

 審判を務める彼でしたら、貴賓室の場所を知っている可能性は高いはず。

 私は直ぐに声をかけます。


「クラウディオ様」

「おや、アデル様にリーゼロッテ様。こんなところでどうされたのですか?」


 クラウディオは私を見ると、優しげな笑みを浮かべました。

 

「リーゼロッテ様が公王陛下にお会いしたいそうなのですが、貴賓室の場所が分からないのです」

「そうでしたか。それでしたら、私で宜しければ貴賓室まで案内致しましょう」

「それはたいへん有難いのですが、宜しいのですか?」

「ええ。次の試合開始まではまだ時間がございます。お二人を案内するくらい、どうということはございませんよ」

「有難うございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」


 クラウディオに静かに頭を下げ、笑みを返します。

 それに対して彼は一つ頷きを返し、「それでは、私の後ろについてきてください」と言って、歩き始めました。


 クラウディオによると、貴賓室は複数あるそうで、伯爵家以上しか利用できない高位貴族用が三部屋、王族用が一部屋の四部屋だそうです。

 クラウディオの後ろ姿は凛としており、歩き方一つとっても洗練されているのが分かりました。

 驚くべきは、全く足音を立てていません。

 私も同じように歩くのですが、どうしても足音が響いてしまいます。


 どうにかしてあの歩き方を会得しようと、クラウディオの後ろをついて歩くこと数分。

 足音がしなくなったのでふと足元を見ると、廊下は一変していました。

 磨き上げられた大理石と思われる床の上に、くるぶしまで埋まりそうな絨毯じゅうたんが敷かれています。


 更に進んでいくと、重厚な扉が見えてきました。

 扉の前には、公国騎士団の騎士二人が直立不動の姿勢で立っており、周囲を警戒しているように見えます。


「ん? 君達、ここは立ち入り禁止で……これは、クラウディオ副団長! いったいどうされたのですか?」

「ほっほっほ、私はもう副団長ではないのですがね。公王陛下にお目通りを願います。取り次いでいただけますか?」

 

 クラウディオが後ろを振り返ってリーゼロッテに視線を向けると、二人の騎士もリーゼロッテに気づきました。

 彼らも当然第一王女の顔は知っているようで、一瞬目を丸くしましたが直ぐに戻り、彼女に向けて敬礼しました。


「しょ、少々お待ち下さい!」


 一人がドアをノックして部屋に入ること十秒ほど。

 扉が大きく開き、騎士が顔を見せました。


「どうぞお入りください」

「有難うございます。さあ、お二人ともどうぞ中へ。私はそろそろ次の試合が始まりますので、ここで失礼致します」


 クラウディオはそう言ってにこやかに微笑み、優雅に一礼すると、きびすを返して立ち去ろうとします。


「クラウディオ様、案内していただき有難うございました」

「有難うございました」


 私とリーゼロッテが礼を述べると、クラウディオは「お気になさらずに」という言葉を残して、来た道を戻って行きました。

 うん、やはり紳士を地で行くかのような振る舞いですね。

 私も彼のようにありたいものです。


 残った私とリーゼロッテは騎士に促され、部屋に入りました。

 入ってすぐ周囲を見渡します。

 王族専用の貴賓室、という割には手狭なようにも感じますが、備え付けてある瀟洒しょうしゃな調度品はどれも見事で、清掃をきちんとなされていました。

 壁の一部が大きく開けられており、眼下の景色が一望できるようになっています。

 ここから手を振っていたのでしょう。


 部屋の中央に視線を戻すと、王座のようにしつらえられた豪華な椅子に腰掛けた男性と、男性を守護するかのように隣に立っている壮年の騎士が一人。

 座っている男性とはもちろんこの国の王であり、リーゼロッテの父親でもあるユリウスです。

 そして隣に立っているのは私の父、ディクセンでした。

 

 公国騎士団長であることを考えれば、公王の護衛を務めるのは当然でしょうが、このタイミングというのは少々作為的なものを感じますね。

 もちろん、そんなことを考えているなど顔には出さず、リーゼロッテの後ろに付き従います。


「お久しぶりです、お父様」

「リーゼロッテ、久しぶりだな。元気そうで何よりだ。それに五騎士に選ばれたそうじゃないか。父として嬉しく思うよ」


 柔和な笑みで喜ぶ姿は、一国の王というよりは一人の父親でした。

 リーゼロッテへの愛情が感じられます。

 

「そして――久しぶりだな、アデルよ」

「お久しぶりです、公王陛下。ディクセン・フォン・ヴァインベルガーが嫡男、アデル・フォン・ヴァインベルガーでございます」


 リーゼロッテの隣に立った私は、公王に最敬礼でお辞儀をし、頭を上げると公王は小さく頷きを返してくださいました。

 ディクセンの方を見ると、昨日までの刺々しさは感じられません。

 むしろ、若干好意的な視線を向けられているような気がします。

 この一日で、いったいどのような心境の変化があったのでしょうか。


「うむ。先ほどの試合、ここから見ていたが見事だった。異能が発現できないとディクセンから聞いていたが、思わず身を乗り出してしまったぞ。なあ、ディクセンよ」

「ハッ」


 朗らかな笑みを浮かべる公王の問いに、目礼で返すディクセン。

 心なしか誇らしげに見える気がします。

 

「ただ、いくつもの異能を使いこなしていたように見えたのだが、どういう異能か教えてもらえないか?」

「お父様、それは――」

「リーゼロッテ様、構いませんよ」


 私の言葉にリーゼロッテは驚いていますが、私の異能など別に隠すようなことでもありません。

 もう一つの異能・・・・・・に比べれば、ですが。


「私の異能、"英雄達の幻燈投影ファンタズマゴリー"と言いますが、他者の異能と発現者に触れることで異能を読み取り、再現することが出来ます。ただし、第一位階のみですが」

「なんと! そのようなことが出来るというのか。確かに複数の異能を発現していたが……」


 案の定、公王は驚いているようです。

 ディクセンも目を大きく見開いて、私を凝視していました。

 私の隣ではリーゼロッテが、「そうでしょう」と言わんばかりに頷いています。

 なぜ貴女がそんなに嬉しそうなんですか。


「と、ということはだ。第一位階であれば、どんな異能でも再現出来るということか?」

「どうなんだ、アデル?」


 食い気味に聞いてくる公王とディクセンの目がギラついており、少し怖いです。

 リーゼロッテも若干、いえかなり引いているようですし、ここはさっさと答えるとしましょう。


「恐らくは。現在、七人分の異能を再現することができますが、先に述べた条件を満たせば、第一位階は全て再現できるのではないかと思います」

「「なんとっ!」」


 公王とディクセンの声が綺麗に揃いました。

 試していませんが、それこそソフィアの"女神の癒し手パナケア"だって再現出来るでしょう。


「お父様、随分とアデルのことを気にかけておられるようですが、どうされたのですか?」


 普段の公王とどこか違うと感じたのか、リーゼロッテがやや目を細めて、いぶかしむような表情で見つめています。


「ん? ああ、そうだな」


 公王はディクセンに目を向けました。

 ディクセンが頷いたのを確認した公王は、コホンと一つ咳をしてリーゼロッテを見据えます。


「リーゼロッテよ」

「なんでしょう?」

「お前はアデルのことをどう思っている?」

「……ふぇ?」


 公王の問いに、リーゼロッテが固まってしまいました。

 驚いたように蒼眼を軽く見開いたまま、公王を見ています。

 

「リーゼロッテ、どうなんだ?」

「え!? あ、えーと……」


 公王が再度問いかけると、ハッとしたように私に視線を向け、公王を見て、表情を取り繕うように咳払いをしました。


「コホン……別に、何とも思っていないです」


 リーゼロッテの言葉に、公王だけでなくディクセンまでが生暖かい視線を向けています。

 微笑ましいものを見る目であることは一目瞭然でした。

 それがリーゼロッテにも分かっているのでしょう。

 照れたような顔で、リーゼロッテが声を荒げました。


「何なんですか、いったい!」

「いや、何でもない。お前の気持ちはよく分かった」

「なっ!? 気持ちはよく分かったって、私は何も――」

「アデルよ」


 リーゼロッテの抗議の声をさえぎった公王は、真剣な顔で私見つめています。

 この流れからすると、なんとなく想像はつきますが、しかし本当に?


「何でしょうか?」

「リーゼロッテともう一度婚約を結ぶつもりはないか?」

「お、お父様!?」


 リーゼロッテがぎょっとした顔になりました。

 私の方はというと、想像していた通りの言葉であったので、特に驚いてはいません。

 公爵家という身分に膨大な魔力量、そして唯一懸念していた異能も発現出来るようになったのです。

 後はリーゼロッテの反応を見れば、父親として動かぬ道理はないでしょう。

 公王、ディクセンだけでなく、リーゼロッテまでもが興味と緊張感を持って、私の返事を待っています。


 ……初めから返事は決まっているのですがね。


 私は公王に視線を向け、ハッキリと告げました。

 


「申し訳ございません。今は・・婚約を結ぶつもりはございません」

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