第73話 学園対抗戦編⑨

 マリーは一直線に私に向かって走り寄り、そのまま私の胸に飛び込んできました。

 

「お兄様、お久しぶりですわっ。先程の試合を拝見しておりましたが、とても、とてもカッコよかったです! 異能も発現されたようですし。いえ、お兄様であれば必ず発現出来ると私は信じておりましたけど、実際に目の前で拝見したらもう……! 流石はお兄様だと、私、感動に打ち震えておりましたのよっ」


 ガシッと抱きついた状態で、私の顔を見上げながら、一気にまくし立てるように言い切るマリー。

 碧眼をキラキラと輝かせて見つめる姿は何とも愛らしく、可憐に咲く花のような笑みを浮かべていました。

 

「久しぶりですね、マリー。試合を見ていてくれて嬉しいです。ですが、相手が実の兄とはいえ、淑女がいきなり男性に抱きつくのは感心しませんね」


 公爵家という身分である以上、周囲の目は気にしておかねばなりません。

 立場に見合った振る舞いというものが求められますからね。

 優しく諭すように伝えると、マリーは「……申し訳ございません。お兄様にお会いできたのがあまりにも嬉しくて」と、俯きながら言いました。


 ――困りましたね。

 そのような嬉しいことを言われては、これ以上の注意など出来るはずがありません。

 思わず、私は落ち込むマリーの頭を撫でていました。

 撫でるたびに、黄金色の美しい髪がサラサラと揺れています。

 急に頭を撫でられたマリーは、私の顔を覗きこむように見上げました。


「次から気をつけてくれればよいですよ。それにしても、マリーは少し見ないうちに綺麗になりましたね」

「えへへ~。そんな、照れますわ」


 照れると言いつつ、マリーは私から目を逸らさず、抱きついている手の力を緩めるどころか、更にギュッと力を込めてきました。

 もちろんこの間も頭を撫で続けているのですが、一撫でするごとにマリーは目を細めて、気持ちよさそうにしています。


 うん、私の妹はやはり可愛いですね。

 ずっとこの状態でも全く問題はないのですが、隣で固まっている彼女・・・・・・・・・・向こうにいる二人・・・・・・・・のことを考えると、そういうわけにもいきませんか。

 それに、淑女としてまずするべきことがありますからね。


 撫でている手を止めると、マリーは「もう終わりですの?」と言わんばかりに、ジッとこちらを睨んできました。

 その瞳が「もっと、もっと」と言っているように感じた私は、もう一度マリーの頭を撫でようとしたところで、何とか理性を呼び戻します。

 おっと、危ない危ない。


「マリー、ずっとこうしていたいのはやまやまなのですが、まずは公爵家令嬢として、リーゼロッテ様にご挨拶をするのが先ですよ。私の愛する妹であれば、当然出来ますね?」


 私の声にマリーはハッとしたような顔をしました。

 そして、ゆっくりと私の隣にいるリーゼロッテへと顔を向けます。

 リーゼロッテと視線が合った彼女は、初めて気づいたと言わんばかりに、目を大きく見開いていました。

 察するに、どうやら私しか見えていなかったようです。

 マリーは私から離れると、リーゼロッテに向き直り、両手でドレスの裾を持ち上げながら丁寧にお辞儀をしました。


「お久しぶりですわ、リーゼロッテ様。こうしてお会いできましたことを感謝致します」

「久しぶりね、マリー。私も貴女に会えて嬉しいわ」


 マリーの挨拶は様になっていて、兄としては「よくできました」、と拍手とともに褒めてあげたい気持ちでしたが、グッとこらえます。


 挨拶を終えて、マリーが顔を上げました。

 おや?

 感謝しているという割には、何と言いますか、リーゼロッテを見るマリーの瞳は鋭くなっており、挑戦的な印象を受けます。

 その後も二人は他愛もない会話を続けているものの、マリーの言葉の端々から敵意が滲み出ているかのように感じました。

 

 二人のあいだに何かありましたかね……?

 いえ、それにしてはリーゼロッテからは困惑しているような感じはするだけで、敵意は感じられません。

 チラチラと私に視線を投げていますが、恐らく「何とかしなさい」ということなのでしょう。


「マリー、リーゼロッテ様に対して少々当たりが強くはありませんか。失礼ですよ?」

「そうはおっしゃいますけどお兄様。私、お兄様の素晴らしさが分からない方に払う敬意は、残念ですけど持ち合わせておりませんの」


 マリーの言葉に私は固まってしまいました。

 見れば、リーゼロッテも微動だにせず、呆然と立ち尽くしたままです。

 

 そういえば、マリーは婚約破棄についてのことを知っているのでしたね。

 私がアデルとして目覚めたあの日。

 リーゼロッテがヴァインベルガー家に何の用があって来ていたのか、表向きは私が大病を患ってのお見舞いということになっています。

 そこで自身の不甲斐なさ故に、私から婚約破棄を申し出た、ということになっているのですが、真実を知っているものは五人。

 私の父親であるディクセンに、母親であるアリシア。

 執事のルートヴィッヒに、弟のミシェル、そして――妹のマリーです。

 

 なるほど、リーゼロッテから婚約破棄を言い出したことを知っているマリーからすれば、リーゼロッテは敵も同然、というわけですか。

 そこまで私のことを思ってくれるマリーの気持ちは大変嬉しいですが、今はあの時と少々事情が違います。


「マリー。あれから私とリーゼロッテ様は同じフィナールで学ぶ学友として、そして、聖ケテル学園を代表する五騎士として仲良くさせていただいているのです。今は、わだかまりなど全くないのですよ」

「……それは本当ですの?」

「ええ、もちろん。そうですよね、リーゼロッテ様?」


 訝しむような視線でこちらを見るマリーに、柔和な笑みで頷きつつ、私はリーゼロッテに同意を求めました。

 反応を見せずに立ち尽くすリーゼロッテに、私は先ほどよりも語気を強めて「リーゼロッテ様」と呼びかけると、今度は反応してくれました。

 貴女にかかっているのですから、お願いしますよリーゼロッテ。


「そうなのよ。アデルとは今は、その、な、仲良くしているわ」


 仲良く、という言葉を口にするのが恥ずかしかったのか、ぷいっと顔を赤らめながらそっぽを向くリーゼロッテ。

 ああ、それではマリーに信じてもらえないではありませんか。


 マリーの反応を見るべく、私は恐る恐る彼女に視線を戻しました。

 マリーは軽く目を瞬いた後、リーゼロッテの顔を興味深そうにまじまじと凝視しています。

 かと思えば、急に胸の前で両手をパンと叩き、「ははーん、そういうことですのね」と言ってニヤリと口角を上げました。


「リーゼロッテ様」

「な、何かしら?」


 マリーの短い言葉に、リーゼロッテはびくりと震えてマリーを見ました。

 

「お兄様のこと、どう思っていらっしゃるのでしょうか?」

「はいいぃ!? な、な、な、な」


 リーゼロッテからすれば、望外の問いだったのでしょう。

 お姫様とは思えない素っ頓狂な声を上げ、呂律も回っていませんでした。

 その様子にマリーは満足したのか、ニッコリと可愛らしい笑みを浮かべながら頷いています。


「有難うございます。今のでおおよそ理解しましたわ」


 なんと!

 今のリーゼロッテの言葉だけで理解できるとは、マリーは天才ですかっ!

 心の中で驚きと賞賛の声を上げていると、リーゼロッテも目を丸くしてマリーを見つめています。

 マリーはリーゼロッテに近づくと、「ただ、そう簡単には認めてさしあげないですわよ、リーゼロッテお姉様・・・」と告げました。


「お、お姉様だなんて……」

 

 リーゼロッテは両手で顔を覆うような仕草をして照れているようですが、マリーは何故リーゼロッテのことを「お姉様」と言ったのでしょうか?

 首を傾げて二人の様子を眺めていると、向こうにいた二人がこちらにやってきました。


「アデル……よね?」

「母上、何を言っているのですか? どこからどう見ても兄上でしょう。――お久しぶりです、兄上」


 疑いの眼差しを向けながら話しかけてきたのは私の母、アリシア。 そのアリシアをたしなめて挨拶をしてきたのは、マリーの双子の兄であり、私の可愛い弟でもあるミシェルです。


「お母様、お久しぶりです。お元気そうで安心致しました。それに――ミシェルも久しぶりですね。うん、男らしい顔つきになって、兄は嬉しいですよ」


 アリシアに向かって礼をした後、マリーにした時と同じように、ミシェルの頭を優しく撫でました。


「男らしくなったと言いつつ、子供扱いしないでください……」


 目を逸らしてから拗ねるように、ぼそっとミシェルはそう言いつつも、手を振り払おうとはせず、大人しく撫でられています。


「久しぶりの再会なのです。少しくらいはよいでしょう?」

「――構いません。僕も、久しぶりにお会い出来て嬉しいので」


 ああ、やはり可愛い……。

 後ろからマリーの突き刺すような視線を感じますが、後でまた撫でてあげるとしましょう。

 こうして触れ合うと、やはり家族というものが恋しくなりますね。

 冬休みは必ず屋敷に戻らねばなりません。


 っと、感慨にふけるのはこれくらいにしておかねば。

 所在無さげにこちらを見ているアリシアも、私に用があるようですし。

 私は頭を撫でていた手を止め、ミシェルに声をかけました。


「ミシェル、私はお母様と少しお話があります。貴方はリーゼロッテ様にご挨拶をしてきなさい。一人でも出来ますね?」

「と、当然です!」

「そうですか、いい子ですね」


 ミシェルの返事に、私はフッと笑ってからもう一度だけ頭を撫でると、ミシェルは気持ちよさそうに目を細めます。

 しかし、直ぐに表情を引き締めると、慌ててリーゼロッテの方へ走っていきました。


「アデル、その、五騎士に選ばれたんですってね。それに異能まで……おめでとう」


 アリシアは、こちらを窺うような感じで祝福の言葉を投げかけます。

 昨日ディクセンに会った時にも感じたことですが、入学式前の刺々しさはありません。

 どちらかといえば、最初に私に話しかけてきたように、本当にあのアデルなのか、といったところでしょうか。


「これもひとえに、お父様やお母様が学園に送り出してくださったからです。有難うございます」


 私がそう言うと、「お、親ですもの、当然でしょう」と、アリシアはホッと胸を撫で下ろしていました。

 屋敷を出るまで無能呼ばわりされていた我が子が異能を発現出来るようになり、五騎士に選ばれるほどになったとあれば、困惑するのも当然でしょう。


 態度が変わったことに対して思うところがないわけではありませんが、生前のアデルの行いを鑑みれば、辛辣な態度を取られても仕方のないことです。

 人がよいと言われてしまえばそれまでですが、世の中にはもっと酷い仕打ちを受けている子供だっているのですから。

 これから良い関係を築いていけるのであれば、それもまた良しです。


 その後は、アリシアに学園での出来事を簡単に説明しました。

 異能を発現したこと、新人戦、そして五騎士選抜戦のことなど。

 シャルロッテのことも告げて、国賓として招待を受けたという話をした時は、目を大きく見開き驚いていました。


 ――流石に求婚されたことは伝えていませんが。

 招待を受けたと報告しただけでこの驚きようなのですから、求婚されたと言えば、もしかしたらショックで気を失ってしまうかもしれません。


 一通りの説明を終えた後は、リーゼロッテのところへ一緒に行きました。


「リーゼロッテ様、お久しぶりです」

「アリシア、久しぶりね。元気そうで何よりだわ」


 挨拶を交わした後、アリシアとリーゼロッテは会話を続けていたのですが、不意にマリーがアリシアに近づき、耳元で何やら呟きます。

 アリシアは「ほ、本当なのっ!?」と驚くほど大きな声を上げますが、直ぐにハッとして小声で「間違いないのね?」とマリーに問いかけました。


「百パーセント間違いないですわ、お母様」


 自信に満ちたマリーの答えに、アリシアはゴクリと喉を鳴らすと、私とリーゼロッテの方へ向き直り、「リーゼロッテ様、旦那様に用事がありますので、申し訳ございませんがこれで失礼致します。アデル、明日もまた見に来るわ」と言って、足早に去っていきました。


「あ! お母様、お待ちになって。お兄様! 明日も応援しておりますわっ」

「兄上、頑張って下さい!」


 そう言って、アリシアの後を追いかけるように去っていくマリーとミシェル。

 

「いったい、何だったんでしょう?」

「さあ、私には分からないわ」


 少し目を泳がせているリーゼロッテが気になりましたが、「それよりも、ほら! お父様に会いにいくわよっ」と言った後、急かすように歩き始めた為、この話は終わりになりました。

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