第64話 幕間「アデル一日密着取材 後編」

 廊下に出てきたアデルとともに、校門前に行ったフェリシア達の前に現れたのは、リーゼロッテを含むフィナール一年生の三人だ。

 事前に、アデルから今日が密着取材の日であると聞かされていたリーゼロッテ達は、特にフェリシア達を気にすることもなく、アデルとランニングを開始した。

 フェリシア達もついていこうとしたのだが、「いきなり走るには少しだけキツい距離ですから、ここで待っていてください」と言われてしまえば、大人しく従うしかない。


「……アデルくん達は、毎日これ・・を?」

「ええ、そうです。少々肌寒くなってきましたけど、走り終わると気持ちのよいものですよ」


 フェリシアの問いに対して、何も特別なことではないかのように平然と答えるアデルは、顔から流れ落ちる汗を持っていたタオルで拭き取る。

 アデルの息は弾み、頬は上気しているものの、"いい運動でした"という風情を崩していない。

 だが、彼の隣で息を切らせている三人を見る限り、そんな生易しいものではないことくらい、フェリシアにもエリカにも容易に想像がつく。


 倒れてこそいないが手を膝にやり、肩を大きく揺らしながら息をするリーゼロッテ達は、苦悶の表情を浮かべている。

 顔や首から汗が途切れることなく流れ落ち、どれだけキツいものであったかは明白だ。

 アデルは、三人にフェイスタオルとドリンクの入ったボトルを手渡した後、自身もドリンクに口をつけた。

 朝日に照らされたアデルの顔に見とれていたフェリシアだったが、ハッとして声をかける。

 

「でもこのランニングって何か意味があるの? 異能とは何も関係がなさそうなんだけど」

「ふふ、そう思われるもの仕方ありません。ですが、基礎体力を身につけておくのは重要なのですよ。それに、いざという時に動きが鈍いと対処も遅くなりますからね」


 アデルは、異能が便利ではあるし優れたものであることを認識してはいるが、万能だとは思っていない。

 最後に、ここ一番というところで重要なのは、やはり己の身体なのだ。


「異能はたいへん素晴らしい力です。人によって様々な種類の異能がありますし、無限の可能性を秘めています。しかし、異能を使う人間の心が弱くては使いこなすことは難しい。私はそう考えていることもあって、普段からランニングを続けているのです」

「ランニングで心が強くなるの……?」


 フェリシアの躊躇ためらいがちの問いに対して、首を左右に振るアデル。


「ランニングをするだけでは意味がありません。継続することに意味があるのです。ただ闇雲に努力すればよいというものでもありません。何の為に行うのか目的を明確にし、日々行動する。己が積み重ねてきたものが血となり肉となり、そして自信に繋がるのです。……後でこうしておけばよかったという、後悔だけはしたくありませんからね」


 最後の言葉が悲しそうに聞こえたのは気のせいだろうか。

 一瞬だけ、アデルが顔を曇らせたことにフェリシアとエリカは気づいたものの、彼は直ぐに笑みを浮かべたので二人とも問いかけることは出来なかった。





「さあ、召し上がってください」


 アデルがフェリシアとエリカの前に皿を置く。

 テーブルにはリーゼロッテやガウェイン、エミリアも同席しており、同じように皿が置かれていた。

 

「あの、これってアデル君が作ったの?」

「ええ。朝はほぼ私が作っていますよ。今日のメニューは、卵の白身をメレンゲ状になるまでかき混ぜてから焼いた、白いオムレツです。オムレツにかけてあるソースは、黄身とワインビネガーで合わせたものです。お口に合うとよいのですが」


 はにかみながら話すアデルの顔と皿を、何度も見返すフェリシアとエリカ。

 調理など数えるほど、しかもごく簡単なものしかしたことがない彼女たちにとって、目の前に差し出された白いオムレツは衝撃的であった。

 

「師匠の料理はどれも最高だからな。安心して食べるといい。一口食べれば、きっと君たちも虜になってしまうだろう」

「まったく……アデル君ならともかく、なんで兄さんが偉そうにしてるのよ」

「痛ッ! 妹よ、朝から人の足を踏むのはやめてくれないか。って、スルーしてもう食べてるだとっ!」


 エミリアは何も無かったかのように、黙々とオムレツを食べている。

 ガウェインは涙目だが、気にする素振りは全くない。


「貴方達、あれだけ走った後なのに元気ね……フェリシア先輩もせっかくなんだし、温かいうちに食べたほうがいいですよ。ほら、エリカも遠慮しないで」

「え、ええ。いただきます」

「いただきます!」


 リーゼロッテに促され、フェリシアとエリカはナイフとフォークを手に取り、丁寧に白いオムレツを一口大に切り分ける。

 口の中に入れた瞬間、二人の表情は一変した。


「え! 凄い柔らかくてふわふわしてるのに、歯ごたえがある!?」

 

 目を見開いて驚くフェリシアに対して、エリカは「美味しい……」と一心不乱に食べ続けている。


「普通のオムレツと違って白身だけだと、物足りなく感じてしまうのではと思いまして。中にナッツを入れています」


 ニコリと笑みを浮かべるアデルに、フェリシアは驚くばかりである。

 ちょっとしたひと工夫でしかないように思えるが、そこまでのことをする十五歳の男子学生がどれだけいるだろうか。

 ガウェインの言っていたとおりだ、と頭の中で思いながらフェリシアは、アデルの作った白いオムレツをあっという間に食べ終えた。





 午前中の講義は流石に密着することはせず、昼食の時間を迎える。

 アデル達とともに学食へとやってきたフェリシアとエリカだったが、周囲の突き刺すような視線が痛い。

 その殆どが"アデル親衛隊"のものだ。

 彼女たちには、フェリシアの"伝令神メルクリウスの囁き"で事前に密着取材のことを伝えているし、シュヴァルツから二人が指名されたことも当然伝えている。

 だが、"アデル親衛隊"の面々からすれば、頭では理解できても納得は出来ない。

 何故なら――。


「フェリシア先輩、エリカさん。飲み物をお持ちしましょう。どれがいいか希望はありますか?」

「え、そんな! 悪いわよっ」

「それくらい私達でできますから!」


 取材対象であるアデルに、給仕めいたことをさせるわけにはいかないと慌てる二人。

 朝は訳も分からぬ内であったし人の目を多くはなかったが、今は違う。

 学園にいる大半の生徒が集まっているのだ。

 歯軋はぎしりの聞こえてきそうな怒気が、周囲から漂い出ていた。

 が、人の視線や感情に敏感なアデルのこと。

 負の感情に気づかないはずはない。

 周囲を見渡しながらフッと柔らかな表情を浮かべると、さきほどまでの刺々しい空気が一瞬のうちに霧散した。

 アデルは視線をフェリシアとエリカに戻すと、優しく語りかける。


「お気になさらずに。私の分を取りにいくついでですから。リーゼロッテ様やエミリアさんはいつもので構いませんか?」

「ええ、お願い」

「有難う、アデル君」


 リーゼロッテとエミリアは慣れたもの、というか既に何度も同じやり取りをしている為、今では素直に任せている。

 ガウェインだけは「師匠一人にそのようなことをさせるわけにはいきません! お手伝いします!」と言って、立ち上がっていた。

 ずっと笑みを浮かべているアデルの視線に耐え切れず、根負けしたフェリシアとエリカは、「じゃあ、お言葉に甘えてお願いします」と飲み物を持ってきてもらう。

 至れり尽くせりの状況に困惑する二人だが、アデルにとっては普段通りの自分を見せているに過ぎない。

 彼は何も特別なことなどしていないのだ。





 午後も、地面に置かれた小石につまづいて転びそうになったフェリシアの手を取り、「大丈夫ですか?」とアデルに抱き寄せられて悶絶するといった偶発的出来事ハプニングも起こったりしたものの、一日密着取材は終盤を迎えた。

 イベントの一つである、学園のパンフレットの表紙を撮影する。

 場所は学園にある教室の一つ。

 壁は白一色であり、撮影するにはちょうど良い場所だ。

 教室内には撮影対象であるアデルとリーゼロッテ、撮影する側のエリカ、それとフェリシアやガウェイン、エミリアもいた。

 後ろではシュヴァルツが壁に寄りかかり、腕組みをしながら眺めている。

 

「じゃあ写真を撮るから、アデル君もリーゼロッテ様もそっちの壁に移動してください。……そう、それで大丈夫です」

「私たちはどのように立っていればよいでしょうか?」


 アデルの質問に、エリカは「んー」と軽く腕組みをすると、二人を見ながら考える。

 アデルもリーゼロッテも整った顔立ちをしていて見目麗しい。

 正直言って、どんな姿勢をしても絵になるだろう。

 しかし、アデルはいつもと変わらぬ笑みを浮かべているが、リーゼロッテは距離が近いせいか、少し表情が硬い。

 顔を向き合ったりすればもっと硬くなってしまうだろうと考えたエリカは、それならばと結論を出した。


「そうですね。じゃあ背中合わせになってもらえますか」

「背中合わせ、ですか?」

「こんな感じかしら?」


 エリカの要望通りに背中合わせになるアデルとリーゼロッテ。

 お互いの身体が触れ合うほど近いので、リーゼロッテの表情は硬いままだが撮影する分には問題ない。


「いいですね! リーゼロッテ様はスカートの前で手を重ねる感じで……そうです。アデル君は、んー、左手を差し出して『こっちへおいでよ』みたいな……はぅ! う、うん。完璧」


 二人の顔は対照的だ。

 アデルは柔らかな微笑で、リーゼロッテはどちらかといえばツンとすました表情を浮かべている。

 貴公子とお姫様といった表現がピッタリだ。――実際にその通りなのだが。

 後ろにいるフェリシアが、「はあ~! カッコいい……」と言いながら息を荒くしているが、気にしてはいけない。

 エリカは意識をファインダー越しに見えるアデルとリーゼロッテに集中させ、幾度もシャッターを切る。

 数分後、二人の撮影を終えたエリカはやり遂げた興奮から、満面の笑みを浮かべていた。


「表紙の背景ですが、お二人に合うように加工しておきます。完成したらお見せしますので楽しみにしていてくださいねっ」

「承知しました」

「楽しみにしているわ」



 ――その後、アデル一人の写真を撮っている最中に、フェリシアが興奮して「制服を脱いでみましょうかっ、いやなんだったらシャツも――」と言ったところで、シュヴァルツに追い出されたのは言うまでもない。

 こうして、アデル一日密着取材は終わりを告げた。


 数日後、完成した表紙を最初に見たシュヴァルツが、「素晴らしい。頼んで正解だった」と称賛した。

 入学希望者数が、男子が例年の二倍、女子に至っては例年の五倍にまで膨れ上がったことをアデル達が知らされるのは、数ヵ月後のことである。

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