第63話 幕間「アデル一日密着取材 中編」
アデルの生活習慣は基本的に崩れることはない。
それは、彼が
その日の夜も、彼は予定していた就寝時間である十時半にベッドに入る。
目を
シュヴァルツから、学園の案内資料を作成するのでリーゼロッテと一緒に協力して欲しい、とお願いされたのは三日前。
転生前に社会人として働いていた
この国の第一王女であるリーゼロッテはともかく、自分が広告塔足り得るのかという疑問は持ったものの、毎年"五騎士"が表紙を飾ることになっていると言われてしまえば、引き受けるしかない。
ただし、以前シュヴァルツが却下した一日密着取材も受けて欲しいと言われた時は、アデルも流石に驚いた。
撮影をするのが"アデル親衛隊"の生徒であることや、いざという時はシュヴァルツが如何様にも対処する、と頭を下げられたのだ。
アデルは、その場に同席していたヴァイスとリーラの目が丸くなっていたのを思い出す。
後で聞いた話によると、シュヴァルツが誰かに頭を下げるところなど見たことがないと言う。
それに、目上の相手に頭を下げられるとアデルも断りにくい。
学園の宣伝の為になるのであれば、と己を納得させてどちらも承諾したのだ。
どうせ明日一日だけだし、密着取材と言っても普段の様子を近くで取材するくらいだろう。 薄れつつある意識の中で、そんな事を考えながらアデルは眠りについた。
――それが間違いであったことに気づくのは、数時間後のことである。
◇
深夜三時。
アデルがいつも起床する時間からは一時間半ほど早く、外は当然暗い。
フィナール男子寮の廊下も薄暗いのだが、アデルの部屋の前には二つの影があった。
「はーい。それではこれより、『アデル君寝起き直撃大作戦』を実行しようと思いまーす」
「あのう、フェリシア先輩。これって一歩間違ったら私達って変質者……」
「しっ! 静かに。……大丈夫、シュヴァルツ先輩からマスターキーを渡されているんだし、何も妨害をしてこないということは、これは想定の範囲内ということよ。つまりは問題なし」
「ええ~、そうかなぁ……」
小さな声で正論だと言わんばかりに告げるフェリシアの隣で、カメラを持っているエリカが疑いの眼差しを向けつつ、溜息を吐く。
何故二人がこの場にいるのか。
それは、フェリシアが一日密着取材のインタビュアーであり、エリカがシュヴァルツの言っていたプロ顔負けの撮影技術を持つ者だからだ。
エリカは趣味で撮影をしていた父親の影響で写真を撮り始めるうちに、あっという間に父親を追い越し、小さな展示会ではあるが賞をもらうほど上達した。
アデルと交わした一日密着取材の約束は、今日の零時から二十三時五十九分までなので、確かに既に取材は始まっている。
始まっているのだが……まさか、アデルもこんな夜中に直撃取材を敢行されるとは思っていなかっただろうな、とエリカはフェリシアに呆れ混じりの眼差しを向けた。
当のフェリシアは、鼻歌を歌いながらマスターキーをアデルのドアの鍵穴に差し込んでいる。
カチャッと鍵が開く音が廊下内に響き渡るが、誰も気づいた様子はない。
フェリシアはゆっくりとドアノブを回して扉を開く。
「お邪魔しまーす」
「いいのかなぁ……」
薄暗い部屋に入った二人がまず感じたのは、部屋が広いということ。
間取りは同じなのだが、フィナール以外の学生は相部屋なので、そう感じるのも仕方の無いことだった。
次に感じたのは――香りだ。
「――何だかいい匂いがする」
「そうですね。男の人の部屋に入ったのは初めてですけど、こんないい匂いがするものですかね? ただ、どこかで嗅いだことがあるような……」
「あら? エリカも? 私もそうなのよね。でも、どこで嗅いだんだっけ?」
そう言いながら、二人は鼻いっぱいに部屋に広がる香りを吸い込む。
柑橘系のように爽やかでありながら少し甘い、そんな香りだ。
当然だが部屋に芳香剤は置いていないし、アデル自身も香水はつけていない。
では、どこから匂いがするのか?
匂いの元を辿る二人が行き着く先にいたのは――ベッドで穏やかに眠るアデルだった。
「え? アデル君から? ……ホントだ、いい香りがする。ああ、睫毛もこんなに長いし、寝ている顔も綺麗だわ……ハァハァ。あ、鼻血出そう」
「ちょっとフェリシア先輩っ。はい、ティッシュです」
「あ、ありがと」
エリカから差し出されたティッシュを受け取り、鼻を押さえるフェリシア。
今の場面だけ切り取れば、完全に変質者である。
エリカはアデルが起きはしないか内心ドキドキしていたのだが、今のところアデルが起きる様子がないことに胸を撫で下ろす。
小声だろうとあれだけ騒がしければ気づかれてもおかしくはないのだが、幸運なことにアデルは寝つきが良かった。
自身に危険が迫るといったことが発生しない限り、簡単に起きることはない。
眼前でスヤスヤと寝息を立てて眠っている姿に、フェリシアとエリカの頭の中では、"眠り姫"ならぬ"眠り王子"という言葉が浮かぶ。
「それにしても綺麗ね……溜息が出ちゃうほどに」
「そうですね……同じ人間とは思えません」
二人揃って溜息を吐く。
と、その声に反応したわけではないだろうが、アデルが「ん、ううん……」と艶かしい吐息を漏らす。
あまりの色っぽい声にフェリシアとエリカの視線は、アデルに釘付けだ。
寝返りをうったアデルにかかっていたシーツがずれるのだが――。
「え? あっ!?」
「あわわ……!」
二人は思わず両手で目を覆う。
何故なら、アデルは就寝用のナイトローブを身に纏っていた。
シーツがずれたことにより、アデルの太ももが露わになっていたのだ。
引き締まった彼の大腿四頭筋は美しく、ある種の芸術と言ってもよいほどである。
十代で男性に免疫のないフェリシアとエリカにとって、心酔しているアデルの太ももは刺激が強すぎた。
寝起き直撃大作戦どころではなくなった二人は、何とかしようと考え、シーツを元に戻そうという結論に至る。
「いい? エリカ。ゆっくりよ、ゆっくり」
「分かってますよ。って、何で私が戻さないといけないんですかっ」
「それは……先輩命令よ!」
「酷いっ!」
「ちょ! 声が大きいから。起きちゃうでしょ」
理不尽だと思いつつ、エリカはアデルの太ももを見ないようにしてシーツを掴むと、彼の身体にゆっくりとかけ――たところで、目が合った。
誰と目が合ったのかは言うまでもない。
混乱したエリカが最初に口にした言葉は、あまりにも普通の言葉だった。
「ア、アデルくん……お早う」
「はい、お早うございます。まあ、挨拶はいいとしてエリカさん、ここは私の部屋のはずですが、いったい何をされているのでしょう? ――ああ、フェリシア先輩? 貴女もですよ」
エリカを囮にして部屋を出ようとしたフェリシアを呼び止めるアデル。
振り返り苦笑いを浮かべるフェリシアと、申し訳なさそうな顔をするエリカに、アデルは思わず溜息を吐く。
二人して部屋に居ることからおおよその見当はついている。
だが、まさかこんな朝早くから一日密着取材を開始するとは、アデルも思っていなかった。
二人ともアデルに言われるまでもなく正座して、地面に頭を擦りつけている。
いわゆる土下座の姿勢だ。
寝起き直撃大作戦など、どこの特番イベントだと思ったアデルであったが顔には出さず、優しく言い聞かせるようにフェリシア達に話しかけた。
「シュヴァルツ先輩がフェリシア先輩にマスターキーを渡したということは、このような事態も想定されていたのでしょう。そこに気付けなかったのは私の落ち度でもありますし、確かに一日密着取材の期間は始まっていますから、今回のことについては何も言いません」
「ほ、本当にっ?」
「いいの……?」
フェリシアもエリカも後ろめたさがあったのは事実なので、叱られることも覚悟していたのだが、アデルの寛大な処置に驚きを隠せない。
上目遣いの二人に微笑を浮かべウインクしながら、「ただし、今回だけにしてくださいね」と返事をするアデルに、感激するフェリシアとエリカ。
アデルは眠い目を擦りながら灯りを点け、時計を見ると四時を指していた。
いつも起きる時間には三十分ほど早いが仕方ないと、自分に言い聞かせて立ち上がる。
「さて、これから着替えて朝の日課であるランニングに行きますが、ご一緒なさいますか?」
「密着取材ですから、もちろんついて行きます!」
気合を入れて応えるフェリシアと、それに同意して頷くエリカを見ながら、アデルは微笑みを返す。
その後、暫く待つアデルだったが二人が部屋を出る様子はなく、アデルと見つめあう状態のままだ。
「……着替えたいので廊下で待っていていただけませんか? その、流石に恥ずかしいので」
アデルの整った顔が赤くなる。
その言葉にハッとしたフェリシアとエリカは、「失礼しましたッ」と声を揃えて一目散に部屋を出た。
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