第62話 幕間「アデル一日密着取材 前編」
五騎士選抜戦が終了し、シャルロッテ達がオルブライト王国へと帰国して早一ヶ月。
季節は
日中は、日差しの影響でそれほどでもないが朝晩はひんやり肌寒く、聖ケテル学園の周囲に広がる森林も、深緑から鮮やかな赤や黄色へ色づき始める頃。
「フェリシアさん、ちょっといいかな?」
「……へ? あ! シュ、シュヴァルツ先輩!? それにヴァイス君にリーラさんまで!?」
"アデル親衛隊"二十番、フェリシア・クレメンスが"五騎士"筆頭であるシュヴァルツ・ラインハルトから声を掛けられたのは、一日の授業を終えてウルティモ寮へ戻ろうと教室を出た直後であった。
フェリシアが、シュヴァルツから直接声をかけられることなど滅多に――いや、通常であれば有り得ない。
彼女は三年であり、クラスもウルティモである。
外見も、濃い赤紫色のショートの髪型は活発な印象を与え、目鼻立ちも良い方だと彼女も自覚しているが、あくまでも平均よりは上といったところで、特筆すべき点ではない。
シュヴァルツとの接点など無いに等しいのだ。
声を掛けられたのは、八月にアデル達が夏休みの期間を利用して海に行くという情報を得たとき以来。
シュヴァルツ一人ですら緊張するというのに今回彼の両隣には、同じく"五騎士"であるヴァイスとリーラが控えていた。
ウルティモの教室にこの三人が揃って来るなど、前代未聞のことである。
フェリシアは一緒に教室を出た友人二人に助けを求めようと、後ろを振り返ったのだが……どこにもいない。
ほんの少し前まで一緒にいたのに、いったいどこに……視線を少しずつ変えていくと、シュヴァルツ達がいる廊下とは反対方向を脱兎のごとく走り去っていく友人達の姿を発見する。
フェリシアは心の中で「薄情もの~!」と叫ぶが、既に二人の姿は小さくなっており、教室内に居た生徒も危険を察知したのかもぬけの殻。
残念だが、彼女を助けてくれる者は誰もいない。
フェリシアは諦めとともに「はぁ」と溜息を吐き、覚悟を決めて振り返る。
「えーと、私にいったい何の御用でしょうか?」
あの夏休みの出来事以降、特にシュヴァルツ達から声を掛けられるようなことはしていないはずだと、頭の中をフル回転させているフェリシアに対し、シュヴァルツの表情は柔らかく笑みさえ浮かべている。
「ああ、少し君に、というか"アデル親衛隊"にお願いしたいことがあってね」
「"アデル親衛隊"に、ですか?」
フェリシアは考える。
"アデル親衛隊"に頼みたいこと、しかも"五騎士"が三人も揃って来るほどだ。
どう考えても嫌な予感しかしない。
何か理由をつけて立ち去ったほうがよいのでは? と考えたフェリシアだったが、先程までシュヴァルツの隣にいたはずのヴァイスとリーラが、いつの間にかフェリシアの両隣にいた。
天使のような笑みを浮かべて、「まさか逃げないよね?」と言うヴァイスと、感情を一切表に出さない顔で、ただただジッと見つめてくるリーラ達の圧力に屈したフェリシアは、彼らとともに歩き始める。
◇
フィナール寮にある共同のリビングルームに通されたフェリシアの視線は、対面に座るシュヴァルツを見ていた。
放課後のリビングルームというのは、本来であれば憩いの場としてそれなりに生徒が集まっているはずなのだが、この場にいるのはフェリシアとシュヴァルツ達の四人のみ。
「わざわざここまで来てもらってすまないね。さて、話の前にまずは何か飲むとしよう。紅茶でいいかな? それともコーヒーかな?」
「こ、紅茶でお願いします」
「フフ、紅茶だね。リーラ、頼むよ」
「畏まりました」
リーラが流れるような手つきで準備を始めた。
その動きには一切の無駄がない。
やがて、紙のような薄い磁器へ湯気の立つ琥珀色の液体が注がれると、二人の前へ静かに置かれる。
シュヴァルツはそれを手に持つと顔にカップを近づけ、瞳を閉じた。
香りを楽しむように何度かカップを回してみせた後に、ゆっくりと喉に流すと目を開けて微笑んだ。
「うん、今日も見事だ」
「恐れ入ります」
まるでこの寮の主であるかのごとく振舞うシュヴァルツに対し、恭しく礼をするリーラ。
四年生であることや"五騎士"筆頭であることを考えると、あながち間違いだとも言えない。
シュヴァルツは手に持ったままジッと紅茶を眺めているフェリシアを不思議に思い、軽く首を傾げながら話しかける。
「どうしたんだい? もしかして緊張しているのかな? だとしたら悪かったね。気を楽にして遠慮せずに飲むといい」
ほとんど強制的に連れてこられて緊張するなというほうが無理なんじゃ、と思いつつも素直に従い、ようやく紅茶を口に含むフェリシア。
コクりと喉を通り抜けた瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれる。
「お、美味しい!」
「それは何より」
これほど美味しい紅茶をフェリシアは飲んだことがなかった。
シュヴァルツの傍らに直立不動で佇むリーラに目を向けるも、彼女は微動だにしない。
気づけばカップの中身は空になっていた。
「フフ、お代わりはいるかな?」
「い、いただきます」
「構わないとも。リーラ、頼むよ」
「畏まりました」
リーラによって、フェリシアのカップに再び紅茶が注がれる。
そしてそのまま、シュヴァルツとフェリシアは何でもない世間話にしばらく興じた。
ただ、フェリシアの方は何を話したか全く覚えていない。
それも無理からぬことであった。
シュヴァルツ・ラインハルト――自分よりも一歳しか違わないはずの目の前の青年からは、伯爵家という血筋と育ちにより醸成された気品と風格はすでに威厳すら放っていた。
柔らかい物腰に棘めいたものは一切なく、端正な顔立ちは大人の色香すら感じさせる。
アデルを至上と考えているフェリシアではあったが、彼と同レベルの美形に目を向けられて舞い上がらないはずがない。
二人の談笑は続き、シュヴァルツが一杯、フェリシアに至っては三杯を飲み干したところで話はようやく本題に入った。
「フェリシアさん、今日来てもらったのは他でもない。以前から君たちが申請をしていた件についてだ」
「申請をしていた件……あ! もしかして」
「そう、アデル君への一日密着取材だよ」
アデルへの一日密着取材――それは"アデル親衛隊"が結成されてから、彼女たちが何度も申請してきたことであった。
アデルに心酔している彼女達にとって、彼に関わることであれば何でも知りたいと願うファン心理は、ある程度理解できなくもない。
ただ、シュヴァルツから「ダメだ」と幾度となく却下されている。
何故シュヴァルツの許可が必要なのか。
最初の申し込みは直接アデルにお願いに行ったのだが、ちょうどシュヴァルツが居合わせており、話の内容を聞くなり「許しが欲しいのであればまず、俺を通すように。アデル君もそれで構わないかな?」と言ったのだ。
"密着取材"という言葉に若干引き気味であったアデルも、どう断ろうか迷っていたのだ。
少々困り顔を浮かべながらも「ええ、構いませんよ」と言われてしまえば、フェリシア達はそれ以上どうしようもなかった。
それからというもの、幾度となく申請するも色よい返事をシュヴァルツからもらうことは出来ず、半年近く経っている。
「ええと、もしかしてアデル君への一日密着取材の許可をいただける、とかじゃないですよね……?」
「その通り。よく分かったね」
「ですよねー。許可なんていただけるはずが……えっ!? 今なんて?」
フェリシア自身、シュヴァルツの言葉が信じられなかった。
先程までのことなど一気に吹き飛び、目を大きく見開いて彼の顔を凝視している。
その様子があまりにも滑稽に見えたのか、シュヴァルツは手を口元に当てて苦笑していた。
「だから、アデル君への一日密着取材を『許可する』と言ったんだよ。これは既にアデル君にも伝えてあるし、本人にも了承を得ている」
「本当ですかっ。やった! ああ、神様……!」
フェリシアは天にも昇る気持ちだった。
まさか夢が叶うなんて、と。
一日彼の近くで彼の行動をつぶさに観察、ではなく取材出来るのだ。
このことを知った仲間たちはどれほど喜ぶだろうか、と思ったところで急に冷静になる。
今まであれほど却下されていたのに、ここにきて何故許可が下りたのか。
フェリシアは恐る恐るシュヴァルツを見ると、絞り出すように口を開く。
「あのう、一日密着取材が出来るのは嬉しいんですけど、それだけですか……?」
「よく分かったね」
シュヴァルツから先程までの柔和な雰囲気が消えている。
思わずフェリシアは緊張の色を濃くした表情を浮かべて身構えるが、シュヴァルツはフッと軽く微笑んでみせた。
「なに、そんなに警戒しなくてもいい。無理難題を言って君たちを困らせるつもりはないんだ」
「そ、そうですか? じゃあ、いったいどんなことを?」
「先月の五騎士選抜戦で、新たにアデル君とリーゼロッテさんが選ばれたのは知っているね?」
「もちろんです」
「宜しい。では、学園が毎年入学希望者用に向けたパンフレットを作成していることも知っているかな?」
「え? ええ、私もパンフレットを見て、この学園に決めましたから」
どの学園、学校でも毎年案内資料、いわゆるパンフレットを作成して配布していた。
伝統や実績、うちに入ればこんな良い利点がありますよ、というアピールはとても重要である。
優秀な人材というものは、ただ待っているだけでは入ってはくれないのだ。
「大変宜しい。であるなら、我が学園のパンフレットの表紙がどのようなものであったかも知っているね?」
「表紙ですか? 確か、"五騎士"の方々だったような……」
「そう。そして今回は我々"五騎士"の中でも、アデル君とリーゼロッテさんの二人に表紙を飾ってもらおうと考えている。――そこで、だ。君達には表紙の作成をお願いしたい」
「えっ!? パンフレットの表紙を私達が?」
シュヴァルツが、このような提案を同じ学生である"アデル親衛隊"にしたのは、二つの理由があった。
一つは、彼女達の中にプロ顔負けの撮影技術を持つ者がいること。
これは独自の情報網で確認が取れている。
そしてもう一つは、アデルを心酔している彼女達ならば、彼の魅力を余すところなく表現してくれるはず、と見込んでのことだった。
未だ戸惑いを見せるフェリシアに、シュヴァルツはダメ押しの言葉を投げかける。
「見開き二ページはアデル君の特集にするつもりだ。俺の監修の元ではあるが、そちらについても君達に任せようと思っているんだが――引き受けてくれるかな?」
「やりましょう! いえ、むしろ是非やらせてください!」
即答であった。
つい先ほどまでの、戸惑う顔はなんだったのかと呆れてしまうほどの切り替えの早さだ。
シュヴァルツは期待通りの答えに満足しつつ、「宜しく頼むよ」と右手を差し出す。
――この二日後、アデル一日密着取材とパンフレットの撮影が行われることになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます