第42話 幕間「アデルの夏休み 後編」
――海に行く当日の朝。
集合場所である学園の校門前にリーゼロッテ達三人と向かうと、そこには中型サイズのバスとシュヴァルツの姿がありました。
「お早うございます、シュヴァルツ先輩。本日は宜しくお願い致します」
「お早う。なに、俺もたまには息抜きが必要だからね。気にすることはない」
「有難うございます」
折り目正しく一礼すると、遅れて三人も私に
シュヴァルツは返事をする代わりに、軽く微笑みながら片手を上げました。
「ちゃんと水着は用意してきた?」
「お早うございます、ヴァイス先輩。もちろん持ってきていますよ……ヴァイス先輩も海に行かれるのですか? それにリーラ先輩も」
声のした方を振り返ると、そこにいたのはヴァイスとリーラ。
まさか、二人が同行するとは思いませんでした。
「こんな面白そうなことを知ったら、行くしかないでしょ」
「たまには羽を伸ばすのも悪くないと思ってな。私達が同行しても特に問題はないだろう?」
二カッと笑みを浮かべるヴァイスと、淡々と話すリーラという、全く対称的な二人に思わず苦笑いを浮かべるしかありません。
「ええ、もちろんですよ。お二人とも今日は宜しくお願い致します。シュヴァルツ先輩、海へ向かうのはこれで全員でしょうか?」
この場に居るのは私を含めて七人。
"アデル親衛隊"の子達が、何度もシュヴァルツに海へ同行したいと嘆願したそうですが、誰ひとりいないという事は、願いは聞き届けられなかったようですね。
と思っていたのですが、シュヴァルツが口を開きます。
「いや、実は他に二人来ることになっているんだが……ああ、来たようだ」
シュヴァルツの視線を辿ると、こちらに向かって走ってくる二人の姿が。
見覚えのある二人はやがてバスの前に着くと、肩で息をしながら話しかけてきました。
「ハァハァ……お、遅れて申し訳ありません」
「も、申し訳ありません!」
これでもかというくらい頭を下げてきたのは、ミーシャとエリカでした。
何故この二人が?
「これから出発するところだから気にすることはないさ。アデル君、彼女達は言ってしまえば"アデル親衛隊"枠といったところだ」
「彼女達が、ですか?」
「代表で嘆願してきた女子生徒があまりにも真に迫っていたものでね。だが、俺としても簡単に許可を与えるわけにもいかない。そこで、アデル君と接点のある二人ならばと提案したんだ」
そう言えば確かミーシャさん達も、"アデル親衛隊"の腕章をつけていましたね。
二人に目を向けると、二人とも困ったような顔をしています。
「何が何でも必ずアデル君の写真を撮って来いって、脅は……いえ、お願いされました……」
ミーシャが一瞬言葉を詰まらせます。
今、脅迫と言おうとしましたよね?
私の水着姿など価値があるとは思えませんし、そこまで必死になるようなものでも無いでしょうに。
ですが、お二人の表情を見るに、撮って帰らなければならないという使命感というものがヒシヒシと伝わってきます。
ならば、それに応えてあげるのは当然のことでしょう。
「私の写真で良ければ別に構いませんよ」
「ほ、本当ですか!?」
「後でやっぱり撮らせませんとかは無しですよっ」
「ふふっ、そのようなことはしませんから安心してください」
詰め寄る二人の勢いに内心驚きつつも、笑みを絶やさず頷いてみせると、二人は手を取り合って喜んでいました。
うーん、本当に大したことなどないのですが。
二人の様子を見ていたシュヴァルツは苦笑しつつ手を叩きます。
「さあ、全員揃ったことだし、バスに乗ってくれ。海までは少し時間が掛かるから寛いでほしい」
私達は一斉に頷き、荷物を抱えたままバスに乗り込みました。
間も無くシュヴァルツも運転席に乗り込み、バスは海へ向かって走り出しました。
◇
雲一つない晴天に恵まれ、道中特に渋滞にも巻き込まれることなく走り続けた結果、およそ二時間半ほどで目的地である海、エーゲリンデ海岸へ到着しました。
この場所は公国にあるビーチの中でも、特に海が綺麗なところだそうです。
バスから降りて実際に海を眺めてみると、なるほど確かに透き通った綺麗な海です。
綺麗なのは海だけではありません。
眩しい太陽が照りつける白い砂浜も、砂丘の風紋のように山が連なっており、とても美しいですね。
まさに自然の楽園といったところでしょう。
「フフ、綺麗なところだろう?」
「ええ、本当に綺麗ですね」
シュヴァルツの問いに素直に頷くと、皆さんも同じく海に釘付けになっているようで、暫し見入っていました。
「さて、ぼーっとしていたら時間が勿体無いぞ。早速着替えるとしよう」
シュヴァルツの言葉に私達は頷き、ビーチに備え付けられた更衣室へと向かいました。
とは言っても、男の着替えなどたかが知れています。
直ぐに着替えた私とガウェインはビーチに戻り、他のメンバーを待ちます。
二、三分もしない内にシュヴァルツとヴァイスがやってきました。
シュヴァルツの鍛え抜かれた肉体美は太陽の光と相まって、輝きを放っているかのようです。
ヴァイスはというと――。
「ヴァイス先輩、つかぬ事をお聞きしますが」
「んー? なぁに?」
「何でTシャツを着ていらっしゃるのでしょう?」
ヴァイスは膝までかかりそうなほど長めの青いTシャツを着ており、一見するとシャツしか着ていないように見えます。
まあ、そんな事は当然ないでしょうから、下にちゃんと水着を着ているはずですが。
「なになに、アデル君はボクの水着姿が気になるのかな?」
ニヤリと笑みを浮かべて、ヴァイスが覗き込むように顔を近づけました。
――この場合はどう答えるべきでしょうか。
気になるかならないかで言えば、非常に気になります。
どんな水着なのか、というよりも本当に彼は男性なのか、という意味で。
答えに困っていると、ヴァイスは徐ろにシャツの裾に手をかけました。
「ボクの水着はねー」
ゆっくりと、少しずつ上げられていくシャツ。
ゴクリ、と唾を飲み込む音が聞こえました。
目を向けると音の主はガウェインで、興奮しているのか若干ですが目が血走っています。
せっかくの二枚目が台無しですよ……。
太ももまで上がり、もう少しで水着が見えるところで、ヴァイスの頭に拳が振り下ろされました。
思わずシャツを掴んでいた手を離し、頭をさするヴァイス。
「痛いなぁ、何するんですかシュヴァルツ様」
「後輩をからかって遊ぶんじゃない、ヴァイス。すまないな二人とも」
「いえ、お気になさらずに。ねぇ、ガウェイン君」
「へっ!? あ! そ、そうですね、はい!」
急に話を振られて慌てふためくガウェインの肩を軽く叩いて落ち着かせます。
見るとシュヴァルツは苦笑し、ヴァイスは頭をさすりながらも成功したといった表情を浮かべていました。
それから更に数分して女性陣が姿を現しました。
「待たせたかしら」
そう言ってきたのはリーゼロッテ。
彼女が着ている水着は上下ともにフリルのついた無地のビキニ。
美しい銀髪と良く合っており、神秘的な魅力を強調しています。
その隣にいるエミリアは、落ち着いた色のワンピースを着ていました。
リーゼロッテの水着と違い、余計な飾りが無いシンプルなデザインでしたが、彼女のスレンダーなプロポーションを引き立たせています。
「お待たせしたようで申し訳ありません」
朝の時と同じく謝るミーシャは、色々な図形が組み合わさった幾何学模様柄のビキニ姿。
胸が強調されているデザインのせいか、いつもよりも大人っぽく見えるのは海のせいということにしておきましょう。
エリカは反対に、フリルを多用した如何にも少女らしいワンピースです。
明るい表情を見せている彼女にはよく似合っていました。
「男の着替えなど直ぐに済みますからお気になさらずに。皆さんよく似合ってらっしゃいます。お綺麗ですよ」
頷きながら素直な感想を口にすると、途端に四人の顔が赤くなります。
おや?
「アデル! よくもまぁそんな恥ずかしいことを真顔で言えるわね」
「恥ずかしい、ですか? 事実を述べただけなのですから、恥ずかしいと仰る事の方が理解出来ないのですが。綺麗なものは綺麗で良いではありませんか」
「――ッ!? これだから、貴方は……はぁ」
「リーゼロッテ様、諦めましょう。アデル君のアレはもう手遅れです」
エミリアの言葉にウンウンと頷くミーシャとエリカ。
リーゼロッテは力なさげに「そうね……」と返しています。
手遅れと言われてしまいましたが、どの辺りが手遅れなのでしょう?
「師匠! 流石ですッ」
「フッ、くく。アデル君は相変わらず面白いな」
ガウェインからは何故か尊敬の眼差しを向けられ、シュヴァルツは口元を抑えながら頷いています。
その隣ではヴァイスがお腹を抱えて笑っていました。
むう……納得いきませんが、ずっとここにいるわけにもいきませんね。
せっかく海に来たのですから、しっかりと泳がねば。
ん? そういえばリーラがまだ来ていないような。
「私が最後か。シュヴァルツ様、遅れて申し訳ございません。皆も遅れて済まない」
皆が一斉にリーラの方を向いたのですが、そこで全員固まってしまいました。
いえ、シュヴァルツとヴァイスだけは知っていたようで、二人の表情は変わっていません。
「むっ? どうした、固まって。似合っていないか?」
「いえ、そうではないのですが……」
リーラの水着は黒のビキニ。
落ち着いた大人の女性を醸し出している彼女に似合っているのですが、それ以上に強調されているのが胸元です。
溢れんばかりの豊かな胸は、リーラの普段の制服姿からは想像もつきませんでした。
「リーラ先輩の胸ってそんなに大きかったんですか?」
意を決して問いかけたのはリーゼロッテでした。
「ん? ああ、これか。普段はサラシを巻いて固定している。戦いには必要ないものだからな。だが流石に海でサラシという訳にもいかんだろう。全く、動きにくくてたまらん」
「そ、そうですか……羨ましい」
溜め息を吐きながら自身の胸を押しやるリーラに、リーゼロッテが小さな声で何か呟いたような気がしましたが、何と言ったのでしょう?
と、やけに視線が私達に集中していることに気づきました。
周囲を見渡すと男性、女性関係なく、好奇の目を向けています。
何か興味を引くようなものでもあったでしょうか?
――ありましたね。
シュヴァルツ達男性陣も、リーゼロッテ達女性陣も、非常に顔が整っていますし、スタイルも良い。
水着姿ということもあり、更に魅力が強調されています。
無理もありませんが、少々視線が露骨すぎますね。
こちらに向けられている視線の一つ一つに、目を合わせるように笑顔を向けると、男女ともに慌てて目を逸らしました。
これでよし、と。
「さあ、せっかく海に来たんだ。帰りの事も考えるとあまり時間はないが、楽しんでくれ」
シュヴァルツの声に頷くと、リーゼロッテ達三人は一斉に海へ走り出そうとします。
むっ! もしやそのまま海に入るつもりですか。
「皆さん、お待ちください」
「アデル、一体何なの」
「海へ入る前に、まずは準備体操です」
「「「え?」」」
「準備体操です、いいですね?」
「「「……はい」」」
まったく、いきなり海に入って万が一溺れでもしたらどうするのですか。
海に入る前には必ず準備体操をする、当然のことです。
四人並んで、しっかりと準備体操をしてから海へ向かいました。
◇
眩しくも青い空が、私の正面に広がっています。
穏やかな海面に背中を預け、有るか無いかの波の間をプカプカと漂っていました。
――気持ちいいですね。
少し前まではガウェインと派手な水飛沫を上げながら沖まで競争したり、浜辺でリーゼロッテ達と水の掛け合いをして遊んでいました。
かと思えば、シュヴァルツやリーラの背中に何故か日焼け止めのオイルを塗らされたりしていたのですが、こうやって一人でゆったりと波に揺られるのも良いものです。
女性陣はガウェインを交えて砂浜で遊んでいました。
近くにはシュヴァルツ達もいますし、ちょっかいを出す不届き者はいないでしょう。
――そう言えば、
確か、溺れているところを助けたのがきっかけでしたか。
そんな昔の事を頭の中で考えていた時。
日差しの降り注ぐ夏の空気を突如切り裂く悲鳴。
悲鳴のする方へ目を向けると、一人の女性が手をばたつかせていましたが、やがて水中へと沈んでいきました。
距離にして三十メートル。
運の悪いことに周囲には他に人が居ません。
考えるよりも早く、私の身体は女性に向かって泳ぎ始めていました。
女性が見えなくなった場所付近まで辿り着くと、水中に潜ります。
見えなくなってからそれほど時間は経っていないから、すぐ見つかるはず――居ました!
女性の腰に背後から手を回すと、意識が無いのか反応がありません。
思い切り水を蹴って海面に浮上しましたが、やはり意識を失っているようです。
女性を抱えたまま、浜辺に向かって泳ぎ続けました。
「アデル! 大丈夫なの!?」
「お静かに!」
浜辺にいたリーゼロッテ達も海での出来事を見ていたようで、声をかけてきたのですが、片手で制します。
今は時間との戦いです。
「大丈夫ですか! 私の声が聞こえますか!」
意識を失っている女性の耳元で呼びかけますが、反応がありません。
次に鎖骨を叩きます。
ですが、これにも反応がありません。
ならば――。
女性の顎を持ち上げて気道を確保し、顔を近づけます。
「アデル? 一体何を――って!?」
女性の鼻をつまんで息を吹き込みます。
大丈夫、戻ってきなさい。
人工呼吸を何度か繰り返すと、「けほっ!」という声とともに、女性が意識を取り戻しました。
「大丈夫ですか、淑女。私が分かりますか?」
「……お、王子様? ここは天国?」
「王子様でも天国でもありませんよ。どうやら、まだ意識が混濁しているようですね。どなたか、この女性を救護施設に運んでくださいっ」
「あのっ! せめて、お名前だけでもっ」
「アデルです」
「アデル様……」
近くにいたビーチを管理している関係者の方が、女性を運んで行きました。
ふう、無事に助けることが出来て何よりです。
っと、人が多いはずなのにやけに静かですね。
周囲を見渡すと、何故か皆さん私をジッと見ていました。
「あ、アデル。貴方、キスを――」
「リーゼロッテ様。あれは人命救助の為の人工呼吸です。人の命を救うのにそんなことを言っている場合ではありません。いいですね」
「うっ! わ、分かったわよ……」
リーゼロッテは頷いてくれましたが、どこか納得のいっていないような表情をしています。
見ればエミリアやミーシャ達も同じような顔をしていますが、どこが納得出来ないのでしょう。
「良いですか? 私の呼吸で救える生命があるのであれば、いくらでもこの口を捧げましょう。人命救助とはそれほど尊いものなのですよ」
その言葉を聞いた多くの女性が、浅瀬にも関わらず揃って溺れたフリをして「私にも人工呼吸をっ」と言い始めました。
「そんな浅い場所で溺れるはずがないでしょ!」
キレの良いツッコミを入れるリーゼロッテに、「もう帰るわよ!」と強制的に終了を告げられたのは、それから直ぐのことでした。
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