第38話 新人戦⑫

「リーゼロッテ様に触れている、その薄汚い手を離しなさい」


 ――間に合ったようですね。

 私は目の前でリーゼロッテを抱きしめている"もう一人の私"がゆっくり口を開きます。


「……何故、分かったのですか?」

「最初に感じた違和感は、試合開始前の握手です」

「握手?」

「ええ。右手に違和感を感じたのですよ。異能を読み取る際に感じるような妙な感覚です」

「ほう」


 "もう一人の私"が目を細めて感嘆の声を漏らしました。


「次に感じた違和感は、試合中に槍を奪い取った時。私の異能は相手の異能に触れる事で、異能を構成している情報や想いを読み取り再現します。にもかかわらず、『勝利をもたらす灼熱の槍』を読み取る事が出来なかった」

「ただ単に貴方が再現出来ない異能だったとは考えられませんか? 人の想いの数だけ異能は存在します。十分可能性はあるでしょう?」

「確かにその可能性もありえなくはないでしょう。――ですが、決定的な違和感があったのですよ」

「決定的な違和感……?」


 "もう一人の私"が訝しげな目で私を見つめています。

 全く……声や動作の一つ一つが私にそっくりで驚かされますね。

 なるほど――リーゼロッテも騙されたのも無理はありません。

 意識を失っているリーゼロッテに目を向けつつ、"もう一人の私"に頷きました。


「そうです。私が最後に放った一撃。ですが、拳は殴ったという感覚がほとんどありませんでした。それもそのはず。何故なら、貴方は私の拳に触れる直前、タイミングを見計らって後ろに飛んでダメージを最小限に抑えたのですから」

「へぇ……ですが、それを決定的な違和感と私を疑うというのは、些か無理があるのではありませんか」


 "もう一人の私"が軽薄そうな笑みを浮かべていますが、私は首を横に振ります。


「――私の目が、告げているのですよ。貴方は違う、とね」

「目が告げている? それは一体……?」

「さて、私にも今ひとつ把握しきれていない力、とでも申しましょうか……失礼しました。いずれにせよ、私が来た時点でもう貴方の企みはここまでです、オスカー・バーンズ――いえ、本当の名前は別にあるのでしょう?」


 私の言葉に男は一瞬目を丸くしたかと思うと、口の端を吊り上げ、大声で笑い出しました。


「……ふふ、くはははは! そこまで分かっているのであれば仕方ないねぇ。ふむ、名前かね。では"薔薇十字団ローゼンクロイツ"の"顔なしニヒツゲズィヒト"とでも呼んでくれたまえ」


 口調をくだけたものに変えて、"顔なし"は狂喜しながらそう告げてきました。

 外見は私そのものなので、もの凄く違和感があります。


「"顔なし"、ですか。触れる事で外見を対象そっくりに変化させ、対象の異能も使えるようになる、といったところでしょうか」

「もう一つ付け加えるなら、記憶や口調、ちょっとした癖まで再現する事が出来るのだよ。便利だとは思わないかね? この異能を使えば誰も疑うことはない。なんといっても王女様が騙されたくらいだからねぇ」

 

 抱いているリーゼロッテに目を向けて笑う"顔なし"。

 ――厄介な異能ですね。

 外見だけであれば、ちょっとした仕草で別人と分かることもあるでしょうが、全てを完璧に再現出来るとなるとそうはいきません。

 記憶、という事は私の前世の記憶まで知られているということでしょうか?

 

「私の記憶はどの程度把握しているのです?」

「ん? それはもちろん全てに決まっているのだよ」

「――では、最上紳士に聞き覚えは?」

「モガミシンジ? 何かのおまじないかね?」


 "顔なし"は何度も首を傾げながら私に問い返しました。

 最上紳士が分からないとなると――私の前世の記憶までは読み取ることが出来ていないようですね。

 こちらに来る前の記憶だからか、それとも別の要因があるのか。

 どちらにせよ私の記憶を完璧に読み取れていないということは恐らく――。


「ええ、そんなところです。――ところで。いい加減リーゼロッテ様から離れて頂けませんか」

「それは無理な相談というものだよ。私の目的は王女様を"あの方"の所まで連れて行く事だからね」

「"あの方"?」

「あぁ。そうだ、良かったら君も来ないかね、アデル君。世界最高の魔力と素晴らしい異能を持つ君であれば、"あの方"もお喜びになるのだよ」


 "顔なし"が目を細めながら提案をしてきました。

 ふむ、二日目の晩に連絡を取り合っていたのが"あの方"とやらでしょうか?

 少なくとも単独犯でないことは確かですが、私の答えは当然決まっています。


「答えは『否定ナイン』です。そもそも、貴方のような方を私は信用出来ません」

「そうかね、残念なのだよ」


 口では残念だと言いつつも、せせら笑う"顔なし"。

 初めから期待はしていなかったようです。

 

「貴方と"あの方"とやらの関係性をお聞きしたいところですが、今は優先すべき事があります」


 "顔なし"に向かい一歩踏み出そうとすると、彼はニヤケた顔で私を制しました。


「おっと、近づかないでくれたまえよ。王女様は私の腕の中なのだよ。妙な動きをすると、何かの拍子で傷つけてしまうかもしれないねぇ」 

「リーゼロッテ様を"あの方"とやらの所まで連れて行かねばならないのでしょう? 傷つけてしまって良いのですか?」

「くふふふふ、生きてさえいれば問題ないのだよ。多少傷がついていようと構いやしない――おっと、そんなに怖い顔をしないでおくれよ。驚いて何をしてしまうか分からないからねぇ」


 おっと、"顔なし"の挑発に乗って、無意識の内に怒りが顔に出てしまっていたようです。

 ふぅ、いけませんね。

 こういう時こそ落ち着かなければ。

 私が焦る必要などないのですから。

 内から溢れ出す怒りを抑え、軽く息を整えると、"顔なし"を見ます。


「一つ、お聞きしてもよろしいですか」

「何かね」

「貴方が変化していたオスカー。彼は無事でしょうね?」

「オスカー君か。もちろん無事なのだよ。これでも私は博愛主義者でね。簡単に人の命を奪うような真似はしないのだよ。……無論、必要があれば躊躇なく奪うがね」

「そうですか」


 本物のオスカー君が無事で良かった。

 もし彼が亡くなっているのであれば、きっとご家族の方が悲しまれます。

 っと、そろそろ時間ですね。

 私は再度"顔なし"に視線を向けます。

 その場から一歩も動く素振りは見せずに。

 リーゼロッテを連れて逃げると分かっているのに、私が動かない事を不審に思ったのでしょう。

 訝しむように、"顔なし"が目を細めました。


「何故動かないのかね? このままだと私が王女様を連れ出してしまうのだよ」

「答えは簡単です。私が焦って動く必要がないからですよ」

「? それは一体どういうことかね?」

「――――こういうことよ」


 刹那――赤い月明かりの花の園に深い闇が満ちました。

 きらめく一等星のような点が残影となり、物理法則を無視した突風となって"顔なし"の傍を通過しました。

 舞い上がる花弁と風圧に、反射的にまぶたを閉じます。


「ぐわああぁぁッ!」


 再び瞼を持ち上げた時には、"顔なし"の腕の中にはリーゼロッテはおらず、彼の腕はダラリと垂れ下がっていました。

 リーゼロッテはどこにいるのかというと――。


「君が何故ここにいるのかねッ!?」


 "顔なし"が私の横にいる人物に向かって吠えます。

 その人物の腕の中には、気を失っているリーゼロッテが。


「リーゼロッテ様をお守りするのが私の役目だからに決まっているでしょう。そんな事も分からないの?」

「くッ……!」


 冷たい視線を"顔なし"に向けているのは、風使いの美少女、リビエラでした。

 彼女を包む空気は、いつもの飄々としたものではなく、研ぎ澄まされた刃のように鋭く。

 口調も間延びしたものではありません。

 リビエラの姿に頼もしさを感じつつ、私は"顔なし"を見ます。


「形勢逆転のようですね」

「……王族に代々仕える近衛騎士がいると聞いたことがあったのだがね、君とは思わなかったのだよ」


 彼女の家、ウェリントン家は王族に代々仕えており、父親も公王の近衛騎士として仕えているそうです。

 リビエラも幼少の頃より、リーゼロッテに仕えるべく過酷な訓練を積んできました。

 

 "顔なし"が誰かと連絡していたあの夜。

 リビエラは偶然私を見つけた訳ではありませんでした。

 オスカー、つまり"顔なし"が人目を避けて出歩いたのを不審に思ったリビエラが自身の異能を使って偵察していたところ、私が近づいたのに気づき、あのように話しかけてきたというわけです。


 帰り道でその話を聞いた私は、どうせなら最終日に尻尾を出したところを抑えようというリビエラの提案に乗りました。

 リーゼロッテを危険な目に合わせてしまったことは悔やまれますが、無事に助け出せましたし、一安心といったところでしょうか。


 さて、後は"顔なし"を捕まえるだけですね。

 私は一歩前に出て、後ろに声を掛けます。


「リビエラさんはリーゼロッテ様に危険が及ばないようにもう少し離れていて下さい」

「せっかく数の上で有利なのだから二人で攻めるべきと思うけど?」

「万に一つでもリーゼロッテ様を危険に晒す可能性がある以上、リビエラさんには後方で待機して頂いた方が良いのですよ。それに大丈夫です」

「大丈夫?」


 眉根を潜めて問いかけてくるリビエラに私は頷きます。


「ええ。彼があの姿のまま戦うつもりでしたら、直ぐに決着はつくでしょう」


 そして、私は"顔なし"に向かって歩き出しました。


「――この姿のままでは直ぐに決着がつくとは、面白いことを言うのだね」

「事実ですから」

「……面白い。試してみるといいのだよ」


 呆れというより、鬱陶しいといった風情で埃を払いながら立ち上がる"顔なし"。

 同じ顔の二人が対峙し、同じ構えをします。

 そして、同じ言葉を口にしました。


「『――――英雄達の幻燈投影!』」

「『――――英雄達の幻燈投影!』」


 結果は明白――。


「馬鹿なッ! 何故発現しないのだねッ」


 私の両手には"正統なる王者の剣"と"雷を切り裂く剣"が握られており、"顔なし"の手には何も握られていません。

 やっぱりですか。

 

「異能とは人の想いを形にしたもの。私の記憶を完全に読み取ることが出来ていない以上、『英雄達の幻燈投影』を発現する事など出来はしませんよ」

「完全に読み取る事が出来ていないだとっ。そんな筈はないのだよ、私の異能は完璧なのだよ! 『――――英雄達の幻燈投影!』……くそっ!」


 何度も詠唱を繰り返す"顔なし"ですが、発現することはありません。

 ――仮に読み取れたとしても、私と貴方とでは魔力量に差があり過ぎますから、どのみち発現出来ないとは思いますよ。

 

「気は済みましたか。だから言ったでしょう? 直ぐに決着がつくと」

「……君の言うとおりなのだよ。だが、それならこうするまでなのだよッ。『――――千の無貌を持つ神ナイアルラートホテップ!』」


 すると、"顔なし"は私からオスカーへと姿を変え、今度は"勝利をもたらす灼熱の槍"を発現させました。

 

「喰らえッ」


 即座に槍を突き出す"顔なし"。

 槍の先端、五つの切っ先は光線となって発射され、私に向かってきました。

 あまりの早業に、私は思わず瞠目します。

 後ろにはリビエラとリーゼロッテがいる為、避けるわけにはいきません。


「ハァッ!」

 

 私は両手の剣を振り抜き、光線を全て切りつけます。

 五つ全てを切り伏せると"顔なし"へ――。

 ――居ないッ!?


「くはははは! 今日のところはこれで失礼するのだよ! また会おうッ」


 いつの間に……。

 既に二百メートル以上離れた場所から叫ぶ"顔なし"。

 私もまだまだですね。

 ですが――。


「"顔なし"さん。私から逃げることが出来ても、彼からは逃げられますかね?」

「負け惜しみかねッ。――ん? 彼?」


 "顔なし"の前方に見える人影。

 漆黒の双眸で逃走者を捉える長身の男性の名はシュヴァルツ。

 彼の右手には黄金に光輝く剣が握られていました。

 

「ぬぅ! そこをどきたまえッ!」


 同時に、"顔なし"が槍を突き出しました。

 弾丸の如き高速の五連撃が放たれようとしますが、シュヴァルツは"正統なる王者の剣"を振り上げると、刀身が輝きを増します。


「二度も侵入者に逃げられるわけにはいかないんだ。『――――勝利すべき王者の剣カリバーン!』」

 

 それは、まさしく王者の剣と呼ぶに相応しい輝きを放っていました。

 昼間と変わらぬほどの光を放つ"勝利すべき王者の剣"を、シュヴァルツは無造作に振り下ろします。

 

「ぐおおおおおお――――ッ!?」


 落雷めいた轟音と共に、闇夜を照らす一撃が"顔なし"に落ちていきました。

 それは斬撃でありながら高熱を帯び、宙を走る炎が"顔なし"に襲いかかり、"勝利をもたらす灼熱の槍"と重なったその瞬間、弾ける火炎の爆発が発生します。

 轟く大音響と炎の大輪が夜に咲き、"顔なし"は煙を吹きながら地面に落下しました。


 こ、これがシュヴァルツの第二位階。

 凄まじいという言葉では言い表せない威力でした。

 追いついた私は、倒れている"顔なし"に近づくと、微かに唸る声がするので死んではいないようです。

 

「……ふむ。少しやりすぎてしまったか」


 これで少しですか!? 

 漆黒の瞳を細めて軽い調子で呟くシュヴァルツに、私は驚愕するしかありませんでした。

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