第37話 リーゼロッテ・フォン・レーベンハイト
新人戦の全ての日程が終わり、今は懇親会。
私は挨拶にやって来る他校の生徒と挨拶を交わしながら、彼の姿を探す。
――居た。
彼――アデル・フォン・ヴァインベルガーは、聖ルゴス学院の一年生、オスカー・バーンズと談笑していた。
最終戦のあの日、私に向かって勝利を捧げると宣言し、その言葉通りにオスカーに勝利してみせたアデル。
私は、アデルが勝利した後に戻ってきた時の出来事を思い出した。
◇
「少々お見苦しい戦いをお見せしてしまいましたが、お約束通り、この勝利をリーゼロッテ様に捧げたく思います。――受け取って頂けますか、淑女?」
私の前に跪き、上目遣いにそう告げるアデルの姿に、胸の高鳴りを感じながらも顔に出ないように必死に堪える。
「――ええ。良くやったわね。褒めてあげるわ」
私の馬鹿! 褒めてあげるわ、じゃないでしょう!
もっと他の言い方があるじゃない!
『私の為に頑張ってくれて有難う』とか、『貴方が勝ってくれて私も嬉しいわ』とか、『貴方が無事で良かった』とか、色々言いたい事はあるはずなのに、第一王女としての私が頑なに拒んでいる。
だってそうじゃない。
アデルから婚約破棄を申し出て私が受けた、と周囲は思っているけれど、実際は私から婚約破棄をしようとしていたのよ?
それを今更無かった事にして欲しい?
無理よ、無理。恥ずかしくて言えるはずがないでしょう。
顔を逸らしながら告げた私を見たアデルは、嫌な顔一つせず「有難うございます」と微笑みながら答えた。
はうっ!? 何なの一体!
アデルの動き一つ一つが全て格好よく見える。
私達のやり取りを見ていた周囲の女子生徒達がざわついているけれど、仕方ないわ。
だって、それほどまでにアデルは人の目を引く存在なんですもの。
◇
初めてアデルと出会ったのは、私が七歳の時。
お城でレーベンハイト王であるお父様の隣に座る私の前に、父親のディクセンとともに現れたのがアデルだったわ。
当時のアデルは、今のアデルを小さく、そして幼くした感じかしら。
とても綺麗で、こんな男の子がこの世に存在するんだって子供ながらに驚いたのをよく覚えている。
お父様に「リーゼロッテ、大きくなったらお前はこのアデルと一緒になるんだぞ」と言われてたことも、アデルから「アデル・フォン・ヴァインベルガーと申します。お目にかかれて光栄です、リーゼロッテ様」と挨拶をされたことも昨日の事のよう。
その夜、アデルが世界最高の魔力の持ち主であること、レーベンハイト公王家の――ひいてはレーベンハイト公国の次代を担う重要な人物となるから、お前が妻となり支えるようにと告げられた。
幼くても私はこの国の王女。
自分で相手を選ぶことが出来ないのはお母様から聞いていたし、綺麗なアデルと一緒になれるのならと喜んでもいた。
初めて会った日を境に、アデルは何度も私に会いに来てくれたわ。
私からアデルのところへ会いに行ったことだってある。
いつも花が咲いたような美しい笑顔を向けてくれていたアデル。
言葉を交わすたびに私はアデルの事を好きになっていた。
そして、きっとアデルも……。
でもいつの頃からか、アデルは笑顔を見せなくなった。
少しずつ暗くなり、アデルがお城に来る回数も徐々に減っていったわ。
毎週来てくれていたのが、二週に一度になり、月に一度になり、半年に一度になり……最後には全く来てくれなくなってしまった。
今思えば、笑わなくなった理由もお城に来なくなった理由も、いつまでも異能を発現することが出来なかったからだと分かる。
先に異能を発現出来た私は、笑いながら「いつかアデルも発現出来るようになるわ」と言ったのだけれど、「……そうですね。頑張ります」と返すアデルの顔は確か……。
だけど、当時の私は気付いて上げることが出来なかった。
お父様から支えてあげなさいと言われていたにもかかわらず、全く来なくなったアデルに憤っていただけ。
暫くしてアデルの屋敷へ行った時の、アデルに会った時の衝撃は忘れられない。
だってそうでしょう?
あんなに美しくて綺麗だった男の子が、樽のようになってしまっているのですもの。
美しく輝いていた碧眼はギラギラとした陰鬱なものに変わってしまっていたし、最初に見た時はアデルと分からない程だったんだから。
「帰ってください」と素っ気ない態度を取られた、私の気持ちが分かる者はいないでしょうね。
その後も定期的にアデルの様子を報告してもらっていたのだけれど、異能を発現出来ずに周囲に当り散らす、使用人に無理難題を押し付けて強制的に退職に追い込む、勉学には一切手を付けない、食生活も乱れており全てにおいて改善の余地がない、とそれはもう散々なものばかりだったわ。
私自身、既に愛想を尽かしていたし、このままではお父様からもいずれ婚約破棄の話が出ると思った矢先に、アデルが原因不明の高熱で生死を彷徨っていると報告を受けた。
――お見舞いついでにアデルの両親に婚約破棄を告げに行こう。
そう考えた私は、直ぐに準備をし、ヴァインベルガー公爵家へと足を運んだ。
「……そうですか。いや、リーゼロッテ様がそう仰るのも当然です。アレは駄目だ」
「ええ。リーゼロッテ様の婚約者として相応しくありませんもの。当然ですわ」
アデルの父であり当主でもあるディクセンも、母であるアリシアも私の提案を当然のように受け入れた。
二人とも数年の間、少しでも素行が良くなるように手を尽くしたが、どうすることも出来なかったと嘆いていたわ。
やっぱり婚約破棄しかないわね。
そう思っていた時よ。
『はい、失礼致します』
アデルが私達の居る広間に入ってきたの。
最初に会った時とは比べるべくもない、だらしない姿。
私は蔑みを込めて「元気そうで良かったわ」と告げたのだけれど、返ってきた言葉は「えぇ。ご心配をお掛けしたようで申し訳ございません。この通り動けるまでに回復致しました」よ。
しかも有り得ないくらい丁寧な一礼つきで。
思わず「本当に貴方はあのアデルなの?」って聞いてしまうほどあり得なかったわ。
その後の会話も以前とは全く違ったわね。
私から婚約破棄を告げようとしたら理由を問われ、見当がつかないと言うし。
自分の持つ魔力量や、学園の事も良く分かっていないような口ぶり。
かと思えば、自分から婚約破棄を申し出る始末。
熱で完全に頭をやられてしまったのね、とあの時は思ったわ。
◇
――無事に婚約破棄が成立してから三ヶ月。
その間、お父様からは特に何も言われなかった。
アデルの状況をお父様も知ってらしたようだし、当然といえば当然よね。
いずれ新たな婚約者を紹介されるかもしれないけれど、今は忘れて学園生活を楽しみましょう。
そう思って、一歩踏み出したのだけれど……。
後ろから近づく足音に気付いて振り返る。
サラサラと流れるような美しい金髪に、キラキラと輝く碧眼を持つ男子生徒。
この世のものとは思えないほど綺麗で整った顔立ちに、スラリとした体形はまるでお伽話に出てくる王子様のよう。
いきなり頭を垂れて跪き、手の甲に口づけをされた時にはお姫様になった気分だったわ、ってお姫様なのだけれども。
男子生徒がアデルだと分かった時の驚きといったら、例えようがないわ。
考えてもみなさい。
たった三ヶ月で樽が王子になったのよ?
叫んでしまうのも仕方ないでしょう。
しかも、問い詰めて返ってきた答えが「努力の結果です」の一点張り。
言葉遣いや所作もやけに丁寧だし、本当に
いえ、驚いたのはこれだけじゃないわね。
入学式後で起きた花の園での事件――確かデリックと言ったかしら。
ウルティモの異能者である彼を相手にした時もビックリしたわ。
私の目で追いきれないほどの凄まじい攻撃を、アデルは全て躱してみせた。
そればかりか、たった一度の攻撃でデリックに勝利したのよ。
聞けばアデル自身、ハッキリとは見えていないって言うじゃない。
予測だけで相手の動きを捉えることが可能だなんて、少なくとも私には無理。
まあ、戦う姿は格好良かったと言えなくもないわね。
女子生徒――ミーシャが顔を赤くするのも仕方ないわ。
あんな無防備な笑顔を見せられたら、私だって――――んんっ!
凶器よ凶器!
禁止しないと女の子の身がもたないわ!
と思って注意したら、直ぐに身体に触れるし、「私で力になれることがあれば、いつでも力になりましょう」なんて殺し文句を言うし。
タチが悪いのは、アデル自身が全く自覚なく行っているということね。
ハァ……。
◇
それからもアデルにはずっと驚かされることばかり。
今まで全く発現出来ていなかった異能を、シュヴァルツ先輩との初めての手合わせで発現しちゃうし。
学食の大勢がいる中で「私色に染めてみせます」なんて新たな殺し文句を言って、学園の殆どの女子生徒を虜にするし。
"アデル親衛隊"なんて出来ちゃうし、ミネルヴァには……こ、子種が欲しいと言われるし、リビエラの胸を揉むし……あ、思い出すとイライラしてくるわね。
「リ、リーゼロッテ様、大丈夫ですか?」
不意に掛けられた言葉に意識が引き戻される。
周囲を見渡すと懇親会の会場で、目の前には聖エポナ女学院の女子生徒達数人。
そうだった。
話をしている最中だったわね。
「ええ。大丈夫よ、ちょっと考え事をしていたものだから」
「そうですか。それならいいんですけど……」
いけないわね。
第一王女としてしっかりしないと。
ホールが和やかな雰囲気に包まれた中、急に音楽が流れ始めた。
同時に男子生徒達が、女子生徒に向かいダンスの申し込みをしているのが見える。
ただ、恥ずかしいのか、中々男子の手を取ろうとする者はいないようね。
――何かキッカケがあれば皆踊り始めるのでしょうけど。
と、人垣の奥から見知った顔――アデルが私の前に出ると、右手を差し出し恭しく一礼した。
「私と一曲お相手願えませんか?」
「……喜んで」
私も作法通りに一礼を返すと、アデルの手を取る。
アデルは柔らかに微笑みながら、私を中央へエスコートしてくれた。
「リーゼロッテ様ほど上手に踊れるか自信がありませんが、精一杯リードさせて頂きます」
どこが自信がありません、ですって!
アデルのリードは美しさと優雅さ、そして気品を全て兼ね備えた踊りだった。
私の意図を正確に汲み取り、完璧に合わせてくれているのが分かる。
視線が合うと軽く微笑んでくるのが、また――。
ハッ!? 公衆の面前なのよ、リーゼロッテ!
しっかりなさい!
意識を何とか保ち続けた私は、踊り終えると気分を変えるべく一人外へ向かう。
ホールでは私とアデルがダンスをしたのが良かったのでしょうね。
今では多くの生徒が踊っていた。
アデルも他の女子生徒に囲まれて、お誘いを受けているみたい。
――――チクッ。
胸の奥に小さな痛みが走るけれど、外に出る。
「ふぅ……」
花の園までやってきた私は一人溜め息を吐く。
顔が凄く熱くなっているのが分かる。
同時に胸の奥がチクチク痛むのも。
目を閉じれば浮かぶのは、アデルの笑顔。
私ってこんなに嫉妬深い性格だったかしら?
アデルは私の気持ちに気付いていないというのに。
ミネルヴァには諦めるつもりはないし、負けないとも言ったけれど、私にその資格があるの……?
アデルが辛い時期に何もせず、一旦は見捨てて婚約破棄しておきながら、格好良くなって異能が使えるようになったからって、掌を返したように近づく嫌な女。
今のアデルなら全く気にしないかもしれないし、実際にそんな素振りは一切見せていない。
でも――もし私から告白して拒絶されたら、私は立ち直れないでしょう。
私は、皆が思っているほど強くはないの。
強くあろうとしているだけ。
本当は誰かに守ってほしい。
それが自分の好きな、愛する
だけど、少なくとも今の私にアデルから愛される権利なんて――――ない。
酷い仕打ちをしたのに、気にもせず接してくれたアデル。
弱っていた私に勝利を捧げると言って、実際に勝利を捧げてくれたアデル。
――私は何もアデルに返せていない。
返せていないのに、愛される資格なんてあるわけがないじゃない!
そう、せめて私自身がアデルに相応しくなったと思えるまではこの想い、しまっておこう。
「――こんなところにおいででしたか」
「えっ?」
アデルっ!?
振り返るとそこにいたのは微笑むアデル。
私は泣きそうになっていた顔を懸命に抑え込み、いつもの表情を作る。
「……踊っていたんじゃないの?」
「ええ。ですが、外に出るリーゼロッテ様の姿が見えたものですから。心配になって追いかけてしまいました」
ニコリと優しく微笑むアデルに思わずクラっとしかけるが、何とか意識を保つ。
くうっ! 何が「心配になって追いかけてしまいました」よ!
人がせっかく決意したばかりだというのに、この天然タラシ王子っ!
「夜風に当たりたくなっただけよ。直ぐに戻るから貴方は先に戻りなさい」
赤くなっているであろう顔を見られないように後ろを向き、素っ気ない返事を返す。
コツコツと何故か足音が近づいてくる。
そして――。
ギュッっと後ろから優しく抱きしめられた。
え? えっ?
何、何なの一体!?
「貴方が心配なのです、リーゼロッテ様」
「し、心配って……無礼よ、離しなさい!」
「私は力を入れていません。お嫌でしたらこの手を振りほどいて下さい」
「嫌だったら……?」
「はい」
よーし、振りほどいてあげようじゃない!
いくわよ! ……いくわよ。
くっ、無理に決まってるじゃないのっ!
私は両手をダラリと下げる。
「そのまま動かないで下さい」
耳元で囁くように告げるアデルの心地よい声に、思わず目を瞑ってしまう。
人気の無い暗い場所で二人きり。
もしかして――――。
「むぐっ――!?」
そんな淡い妄想に陥った次の瞬間。
私は口を布のようなもので塞がれる。
アデルっ!? 一体どういうことなの……?
「申し訳ございません。貴女をどうしても欲しいと仰る方がいましてね」
「――――ッ!?」
私の意識はどんどん遠のいていく。
何で……アデル……。
朦朧とする意識の中で、前方から声が聞こえた。
「リーゼロッテ様に触れている、その薄汚い手を離しなさい」
声の主は――――
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