第35話 新人戦⑩
炎と風が徐々に収まり、私は閉じていた目をゆっくりと開きます。
リーゼロッテとリビエラはどうなったのでしょうか?
開けた眼を中央に向けると、そこには驚きの光景がありました。
リーゼロッテが地面に崩れ落ち、リビエラは彼女から十メートルほど離れた場所で浮かんでいたのです。
リーゼロッテは肩で息をしており、激しく消耗しているのが見て取れますが、一方のリビエラは"灼熱の紅炎"を受けたにも関わらず、変わった様子は見られません。
「王女様も思い切ったことをするね~。至近距離から撃ってくるなんて~。ちょっとだけビックリしちゃったよ~」
「……ビックリしたのは私の方よ。まさか、
「んふふ~、私の異能も~、色んな使い方があるんだよね~」
そう言って、リビエラは先程と同じように右手を前に突き出しました。
すると、彼女の右手を中心に風が発生し、さながら障壁のようになります。
――なるほど、あれで"灼熱の紅炎"の直撃を避けたというわけですか。
避ける事が出来ないと咄嗟に判断してから直ぐに障壁を張る技量といい、かなり戦い慣れているような気がします。
リーゼロッテに目を向けると、諦めがついたのでしょう。
ゆっくり立ち上がると、悔しさを滲ませながら「私の負けよ」と一言だけ告げました。
「もうちょっと障壁を張るのが遅かったら~、私の負けだったかも~。ほら、見てみて~。障壁を張った右手がちょっと
ウンウンと頷きながらリーゼロッテを褒めるリビエラ。
彼女の右手の甲には、確かに火傷と分かる痕が出来ています。
「ただの嫌味にしか聞こえないわよ」
「そんな事はないんだけどな~」
「――まぁいいわ。この借りは学園対抗戦で返させてもらうわよ」
「ん~? 私も王女様も選ばれるとは限らないけどね~」
「くっ……選ばれたらの話よ!」
「あははは、怒らない怒らない~」
リーゼロッテは疲れきった表情をしていますが、試合のせいだけではないでしょうね。
何を言っても
握手を交わしたリーゼロッテは、こちらへ戻ってきました。
「ごめんなさい、負けてしまったわ」
リーゼロッテは一言述べると、私達に向かって頭を下げます。
「仕方がありません。仮にあのまま試合を続けていても、リビエラさんには通じなかったでしょう」
私の言葉にシュヴァルツが頷きました。
「そうだな。どうやら俺が思っていた以上の使い手だったようだ。ただ――」
一旦言葉を区切ったシュヴァルツは、視線を私に向けました。
――流石は"五騎士"ですね、気づきましたか。
「ええ、リビエラさんはまだ本当の力を見せていないでしょうね」
「何ですって!?」
リーゼロッテが驚きからでしょう、美しい瞳をこれでもかと開いて私とシュヴァルツを見てきました。
「あくまで私の主観ですが。恐らく彼女もリーゼロッテ様と同じく第二位階を使えるのではないかと思っています……あぁ、だからといって手を抜いていた訳ではないと思いますよ。最後に彼女が見せた驚きの顔は本物でしたし」
肯定するように頷くシュヴァルツを見たリーゼロッテの顔は、疑問符で埋め尽くされたように何度も目を瞬かせており、口もパクパクさせています。
「……アデルはどうしてリビエラが実力を隠していると、手を抜いていないと思ったの?」
「どうして、ですか?」
疑うような眼差しで私を見るリーゼロッテ。
ふむ、説明が難しいですね。
「そうですね。簡単に言ってしまうと、『
「『そう視えた』って、貴方……」
「申し訳ございません。説明するには少々難しいのです。ですが、あながち間違いではないと思っております。私だけであれば只の妄言でしょうが、シュヴァルツ先輩も同様に感じているご様子。私達の直感、信じては頂けませんか?」
何度も私とシュヴァルツの顔を見ていたリーゼロッテでしたが、やがて大きな溜め息を吐きつつ頷いてくれました。
リビエラが第二位階を使えるにもかかわらず、発現しなかったのは何らかの制約があるのでしょうか、それとも別の理由があるのでしょうか?
気になるところではありますが、既に試合が終わってしまっている以上、答えは分かりません。
それに、第二位階が使えない可能性だってあります。
あくまでも、私とシュヴァルツが使えるのではないかと思っただけですからね。
思考に耽っていた私が目の前にいるリーゼロッテを見ると、彼女は俯いていました。
公国の第一王女といえど一人のうら若き少女。
リーラ以外に負けてしまったことに対するショックがこみ上げてきたのでしょう。
酷く落ち込んでいる様子のリーゼロッテの肩に手を置くと、彼女はゆっくりと顔を上げ、私の方を見ました。
「リーゼロッテ様。大丈夫、などと安易な言葉をかけるつもりはありません。負けは負けです。負けてしまったという過去は変わりません。事実から目を背けず、次にリビエラさんと相対した時に、勝つという未来を築くよう努めれば良いのです」
「アデル……」
「良いですか? 私達一人ひとりには自分の世界があります。リーゼロッテ様の世界を変えられるのはリーゼロッテ様だけなのです。貴女さえ望むのであれば、世界は如何様にでも変わります。世界を変えようとする意志がお有りなのであれば、貴女の為に私はいつでも喜んでお力添えを致しましょう」
悩める
ニッコリとなるべく優しく微笑みながら告げた言葉の効果があったのか、リーゼロッテの表情は徐々に明るさを増していきました。
と思ったのも束の間、今度は泣き出すような表情をされ、事実、目には大粒の涙を浮かべているではありませんか。
涙に反応した私は、内ポケットに忍ばせたハンカチを出そうとしたのですが、リーゼロッテがいきなり私に抱きついてきました。
そして、耳元で「アデル、有難う」と呟いてきたのです。
「「「「「キャアアア――――!」」」」」
歓声、というより絶叫にも似た大きな声が、爆発しました。
――そういえば。
今日は私が試合に出るということもあり、"アデル親衛隊"の皆さんが来ているのでした。
彼女達は口々に「
"私達の"と言われましても、私は誰のものでもないのですが……。
当のリーゼロッテは、この歓声に気付いていないのか、ギュッと私の胸にしがみついたまま離れようとしません。
隣ではガウェインがウンウン頷いていますし、エミリアは顔を両手で覆いつつ、目の部分だけはしっかり開けて、瞳を輝かせながらこちらを見ていました。
困りましたね……このままでは試合に行くことも出来ません。
と、シュヴァルツが苦笑しながら私に近づきます。
「ふふ、リーゼロッテさん。アデル君に優しい言葉を掛けられて感極まってしまったのも分からなくはないが、公衆の面前で貴女は公国の第一王女だ。周囲に要らぬ邪推をさせない為にも、一度離れたほうがいいんじゃないかな」
「ふぇ? ……ハッ!?」
シュヴァルツの言葉に反応したリーゼロッテが顔を上げて振り返ると、"アデル親衛隊"を中心に多くの観戦者の視線。
今度は恐る恐る私の顔を見てきたので笑みを返すと、顔を赤らめながら私から勢いよく離れました。
「こ、これはね、何というか――その……」
コロコロと表情を変えて慌てふためくリーゼロッテを前にした私は、思わず苦笑してしまいます。
このような姿を見せる彼女は初めてかもしれません。
私は先程出すことが出来なかったハンカチを取り出すと、リーゼロッテの顔に近づけて目尻に残る涙を優しく拭き取ります。
「落ち着いて下さい、リーゼロッテ様。少々気が動転しておられるご様子――――エミリアさん」
「は、はい!」
「いつまでもニヤケた顔をしながら見ていないで、リーゼロッテ様のお傍に居てあげて下さい。あまりオスカー君を待たせる訳にもいきませんし」
中央では既にオスカーが立っており、こちらの様子を目を細めながら眺めています。
「に、ニヤケてなんかないわよ! ……リーゼロッテ様、本当に違いますからね!」
リーゼロッテに対して必死で弁明するエミリアですが、リーゼロッテの顔は私の方を向いたままジッと見つめていました。
年齢に見合わぬ、幼子のような表情。
「アデル――」
「リーゼロッテ様」
リーゼロッテの言葉を遮り、彼女の前に跪いて手を取ると、手の甲に軽く口づけをします。
「私の試合をよく見ていて下さい」
「アデル?」
「私が貴女に勝利を捧げましょう」
リーゼロッテの美しい蒼色の双眸が大きく見開かれ、頬が赤く染まっていきました。
隣に居るエミリアの顔も赤く染まっており、「ヤバい、これはヤバい!」と何やら訳の分からぬ言葉を口にしています。
単に不安を取り除こうと、元気になっていただこうと思って口にした言葉のどこがヤバイというのでしょうか?
「フフフ。それでこそアデル君だ。だが相手のオスカー君もきっと手強いだろう。それでも勝つと?」
「もちろんです。私は一度口にしたことを、約束を
私は立ち上がるとシュヴァルツに一礼してクルリと振り返り、中央に向かって歩き出しました。
「随分とお待たせしてしまったようで申し訳ありません」
「いや、中々面白いものを見せて頂きました」
「面白いもの、ですか? はて、何かオスカー君を笑わせるようなことをしましたかね?」
「くっ、くくく――失礼。アデル君は面白いんだね。色んな噂を聞いていたからどんな人物かと思っていたんだけど、所詮は噂というわけか」
「噂?」
――私が転生する前のアデルのことでしょうか?
「下らない噂だから気にしないで下さい。それよりも今日は宜しくお願いします」
「これはご丁寧に。こちらこそ宜しくお願い致します」
そう言って差し出されるオスカーの右手を握り返します。
――おや?
一瞬、右手に違和感を覚えます。
私が相手の異能を読み取る際に感じるものによく似ていますが、どこか違う。
思わず首を傾げます。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ、お気になさらずに。何でもありません。きっと気のせいでしょう」
「それなら良いのですが……」
ふむ、中々の好青年といったところでしょうか。
紳士の素質は十分ありますね。
違和感は気になりますが、今は試合に集中しなくては。
握手を終えると、私達はそれぞれ開始線まで下がります。
そしてオスカーに視線を向けました。
息を呑むほどに整った容姿の少年ですね。
眉目の秀麗さは言うまでもありませんが、姿勢の正しさ、凛とした隙のない気配、全てが研がれ極まっているように感じます。
ある種の芸術品であるかのように佇むオスカーを前に、思わず感嘆を漏らしました。
強いのは間違いないでしょう。
ですが――。
一度だけ振り返ると、私をジッと見つめているリーゼロッテに対し、微笑を返します。
そしてオスカーに向き直りました。
「そういえば――」
唐突にオスカーが口を開きます。
「勝利を捧げるという言葉が聞こえたのですが」
「ええ、その通りです」
「ということは、アデル君は僕に勝つと?」
オスカーの問いに、私は頷きで返します。
「そうですか。……面白い」
オスカーの顔が綻んで、結花したかのような妖しさを見せました。
「であるならば、見せてもらいましょうか。アデル君が僕に勝てると言った根拠をね」
「無論です。――ソフィア先生、お願いします」
「は、はいなのです! ――――それでは第二試合、始めなのです!」
それが――私にとって新人戦最後の試合。
試合の名を借りた、死闘の幕開けを告げる合図でした。
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