第34話 新人戦⑨

 ――新人戦三日目。

 今日は聖ルゴス学院との試合です。

 私達一年生四人の前に立つシュヴァルツが、柔かな笑みを浮かべながら話し始めました。


「今日は聖ルゴス学院との試合だ。新人戦の日程としてはまだ前半だが、君達フィナールにとっては最終日になる。――アデル君にリーゼロッテさん、身体の調子はどうかな?」

「問題ありません」

「私もです」


 私とリーゼロッテが頷きながら答えると、シュヴァルツも頷きを返し、漆黒の瞳で見返します。


「それは良かった。昨日までに対戦した二校も侮れない相手ではあったんだが、今日の相手は更に手強いからね」

「十分承知しております」

「――ほう? 何故だい?」


 私が即答するとは思わなかったのでしょう。

 シュヴァルツは瞳を細め、口の端を吊り上げながら尋ねてきました。


「上手く言えないのですが、昨日の試合も一昨日の試合も、私の目には彼らが力を出し切っていないように見えました」


 私の言葉に首を傾げるリーゼロッテとガウェイン、そしてエミリア。

 三人には分からなかったのでしょうか?

 ですが、シュヴァルツは何か思うところがあったのでしょう。

 突然笑い出しました。


「ふふっ、そうか、アデル君は聖ルゴス学院の二人が実力を出し切っていないと感じたわけだ」

「はい」

「――素晴らしい。俺もアデル君と同じ意見だ」


 まさか、といった感じでリーゼロッテ達の目は、大きく見開かれています。

 

「どのような力を隠しているかまでは分からない。だが、昨日までに見せた力が彼らの実力だと思わない方が良いだろう。今までの試合も油断はしていなかったと思うが、今日の試合は特に気を引き締めて臨んでほしい」

「「はいっ」」

「宜しい。では初戦だが、聖ルゴス学院側はリビエラ・ウェリントンを出してくるそうだ。リーゼロッテさん、お願い出来るかな?」


 シュヴァルツの問いかけに対し、大きく頷くリーゼロッテ。

 リビエラですか……気づくことなく近づいた事といい、彼女も厄介な相手でしょう。

 

「リーゼロッテ様、貴女の力を十分に発揮すれば問題ないと思っておりますが、お気を付け下さい」

「分かっているわ。アデルとシュヴァルツ先輩の二人揃って、実力を隠していると言う相手ですもの。でも、私が勝ってみせるわ」

「私もリーゼロッテ様が勝つと信じております。ここからしっかりと応援させて頂きます」

「ええ! 見てなさい……あら?」


 リーゼロッテが華やいだ笑みを浮かべたのも一瞬、直ぐに真顔になりました。

 私に近づくと、あろうことか顔を近づけて整った鼻をヒクヒクさせています。

 

「何だかいつもと匂いが違うわね」

「匂い、ですか?」

「えぇ。なんと言ったらいいか……とにかく甘い匂いがするわ。アデル、貴方誰かと会ったのかしら?」


 リーゼロッテは氷のような冷たい瞳でジッと私を見つめています。

 匂いがするなど私には全く分からないのですが、彼女には違いが分かるようですね。

 誰、と問われると思いつくのは一人しかいません。


「そういえば昨日の夜、ふと目が覚めてしまったので外を軽く散歩したのですよ。そこで偶然リビエラさんとお会いしまして。その時についてしまったのかもしれません」

「何もなかったでしょうね?」

「リビエラさんとは、今回の新人戦でお会いしたばかりですよ? 何も起こりはしませんし、私の気持ちは先日述べた通りです」


 今にも食って掛かってきそうなリーゼロッテに苦笑しつつ、私はやんわりと否定します。

 ちょっとした突発的な出来事はありましたが、意図したものではありませんし。

 ジト目で睨んでいたリーゼロッテでしたが、私が顔を逸らすことなく見つめていると、やがてハァ、と大きく溜め息を吐きました。


「アデルの場合、意図していないことでも相手からみれば驚かされることが多いのだけれど……いいわ、貴方を信じましょう」

「恐れ入ります」

「いいのよ。それに」


 リーゼロッテはその場を優雅に振り返ると、中央の開始線に立つリビエラを見据えて笑みを浮かべます。


「もう一人の当事者に聞けば分かることですもの」


 信じましょうと言いつつ、全く信じていらっしゃらないのですね……。

 そのままリーゼロッテは中央へ歩き出しました。


「王女様~。今日は宜しくね~」

「ええ、宜しく。ところで貴女に一つ聞きたいことがあるのだけれど」


 ニコニコと柔和な笑みを浮かべつつ、砕けた口調で挨拶をしてくるリビエラを前にしたリーゼロッテは、唐突に言葉を投げかけます。


「ん~? なぁに? 私で答えられることだといいんだけど~」

「昨日の夜、アデルと会ったそうね」

「イケメン君? うん~、確かに会ったよ~」

「イ、イケメン君……? コホン、まぁいいわ。アデルから貴女と同じ匂いがしたのだけれど、何かあったのかしら?」

「何か~? ん~、あったかなぁ……あ、そういえば~」


 右手の人差し指を唇に当てて考える仕草をするリビエラでしたが、直ぐに思いついたのか右手を自分の胸元にやると、いきなり揉み始めました。


「急に密着されてぇ、こ~んな感じで胸を揉まれちゃったんだよね~。いきなりだったからビックリしちゃった~」

「なっ! む、胸を揉まれたですって!? ……私だってされたことがないのに」


 ぐるん! と音が聞こえてきそうなほどの勢いで私の方に振り返るリーゼロッテ。

 彼女は厳しい眼差しで私を睨んでいますが、うっすら目尻に涙を浮かべているのは気のせいでしょうか。


「アデル……」

「何でしょう?」

「試合の後に話があるわ。いいわね?」

「……承知しました」


 有無を言わさぬ物言いに、私は頷くしかありませんでした。

 決して故意ではないのですが、淑女の心とは量りがたいものです。

 私が頷いたのを確認すると、リーゼロッテはリビエラに向き直りました。

 

「ふ~ん。王女様って~、わっかりやす~い」

「う、うるさいわね! 貴女もほぼ初対面の男性に胸を揉まれたのならもっと嫌そうになさい!」

「何で~? 別に嫌じゃなかったしぃ」

「なっ……!?」

「んふふ~、ホントからかい甲斐があるよね~。もっと澄ました感じかと思ってたけどぉ、全然違うし~」


 後ろからでも分かるくらい、リーゼロッテの肩がプルプルと震えています。

 よく見ると魔力が漏れ出ているのか、彼女の周囲が歪んでいました。


「……フフフ。いいわ。その口、直ぐに黙らせてあげましょう」

「や~ん、王女様ってば怖い~」

「……ソフィア先生」

「は、はいなのです!」


 急に呼ばれたソフィアは、身体をビクッとさせて直立不動の姿勢になります。

 今のリーゼロッテからは普段の凛とした姿とは違い、刃ではなく、薄く細い剃刀カミソリにも似た、滑り込んでくるような――言い方は悪いですが、殺意に近いものがありました。


 近くに居るソフィアやリビエラは直に感じているはず、現にソフィアの顔色はいつもと比べて青くなっています。

 リビエラもきっと同じ顔をしていると思いきや、先程と変わらない、ニコニコと柔和な笑みを浮かべたまま。

 普段のリーゼロッテであれば彼女の異常さに気づかぬはずはないのですが、頭に血が上っているのか、若干冷静さを失っているようです。


「試合開始の合図を」

「わ、分かったのです! ――――第一試合、開始なのです!」


 試合開始の合図と同時に、真っ先に動き出したのはリーゼロッテでした。


「行くわよ――」

「どうぞ~」


 どこまでも緩い返事をするリビエラに、リーゼロッテは両手を広げて声を張り上げます。


「『――灼熱世界ムスペルヘイム!』」

「『――西風を司りし神ファウォーニウス』」


 リビエラの周囲を取り囲む檻のように、炎のカーテンが幾重もの壁が出現しました。

 炎の高さはいつもよりも高く、リビエラの姿を確認することが出来ません。

 リーゼロッテは燃え盛る"灼熱世界"を見つめながら話し掛けます。


「悪いけどこのまま酸欠になってもらうわよ」


 確かにあの中に閉じ込められたままであれば、リビエラが酸欠で意識を失うのも時間の問題ですね。 

 リーゼロッテの方に目を向け――――なっ!?

 私の視線はリーゼロッテ、いえ、正確には彼女の後ろにいる人物に釘付けになりました。

 その人物とは――。


「王女様の髪って綺麗だよね~。羨ましいな~。あ、でも一本だけ傷んでる~。ちゃんとお手入れしないとね~」

「――え?」


 リーゼロッテが徐ろに振り返ると、そこに居たのは"灼熱世界"に閉じ込められているはずのリビエラでした。

 彼女はリーゼロッテの髪を優しく撫でています。


「くっ!」


 髪を触るリビエラの手を振り払い距離を取ろうとするリーゼロッテですが――。


「お肌もスベスベでいいなぁ~」

「なっ!?」


 またもやリーゼロッテの後ろに回り込み、今度は首の辺りを触っています。

 

 はやい……!。

 リビエラの"西風を司りし神"はその名が示す通り、風にちなんだ異能でしょう。

 身体能力を向上させるミネルヴァのようなタイプとは違い、色々な使い方がありそうです。


 リーゼロッテも観戦していたのと実際に相対するのとでは、勝手が違うのでしょう。

 全く反応出来ておらず、悉く先を行かれています。

 が、遊んでいるのか、リビエラは髪や身体に触れるだけで攻撃する素振りをみせません。


「このっ! 何で攻撃してこないのよっ」

「さあ~、何ででしょう~?」

「どこまでも巫山戯ふざけた態度を取るのなら!」


 相変わらず笑みを浮かべたままのリビエラ。

 余裕とも取れる態度を取る彼女に、リーゼロッテは苛立ちを隠せないのか語気を強めました。


「私の『灼熱世界』は、ただ壁を作るだけじゃないのよっ!」


 リーゼロッテが両手を広げると、今まで囲いとなっていた"灼熱世界"は幅十五メートル、高さ二メートルほどの直線に変化しました。


「この範囲なら! 行きなさい!」


 壁は壁でも押し寄せる壁と化した"灼熱世界"が、リビエラに襲いかかります。

 当然、その先にはリーゼロッテ自身もいるのですが、自分が当たってもダメージを受けないからこそ取れる戦法と言えるでしょう。


「うわ……これってピンチかも~」


 口ではピンチと言っておきながら、やはりリビエラの表情は変わりません。

 トントンとその場で小刻みに跳ね始めました。

 かなりの勢いで"灼熱世界"が押し寄せてきます。

 跳ねる動作を何度か繰り返した後、地面に足が触れた瞬間にリビエラの姿が消えました。

 "灼熱世界"はリビエラがいた場所を通過し、リーゼロッテを通り抜けたところでストップします。


「ふう~、危ない危ない~」


 リビエラはリーゼロッテから二十メートルほど離れた場所に立っており、汗を拭うようなポーズをしていますが、実際に彼女が汗をかいているようには見えません。


「そう、風を纏って移動しているというわけね……疾いわけだわ」

「あ、分かっちゃった~? 風はね~、こんな事も出来るんだ~」


 リビエラの身体が五メートルほど宙に浮きます。

 先程のリーゼロッテの"灼熱世界"も、飛んで躱したというわけですか。

 正直かなり相性が悪いですね……。

 どんなに火力があろうとも当たらなければ意味がありません。 

 リーゼロッテもそれが分かっているのでしょう。

 表情が険しいものになっています。

 と、何か思いついたのか"灼熱世界"を自身の前面に出すと、壁の高さを更に高くしています。

 五メートルはあるでしょうか。

 

「お~、それでどうするつもりかな~?」

「――リビエラさん」

「なぁに~?」


 空中に浮かんだまま首を傾げる仕草をするリビエラ。


「次で最後にしましょう」

「ん~? どういうこと~?」

「次の攻撃が躱されたら私の負けでいいわ。但し、貴女もちゃんと攻撃してきなさい」

「……いいよ~。面白そうだしぃ、受けてあげる~」


 ほんの一瞬、リビエラの表情が真顔になったように見えたのですが、気のせいだったのでしょうか?

 もう一度リビエラに目を向けると、柔和な笑みを浮かべています。


「有難う。――じゃあ、行くわよッ」


 リーゼロッテの"灼熱世界"が、リビエラ目掛けて移動を始めました。

 これが最後の攻撃?

 リビエラも攻撃をすべく、押し寄せる"灼熱世界"の更に上を飛翔すると、リーゼロッテ目掛けて飛んで行きます。


「これで~、終わり――!?」

「――そうね。これで終わりよ」


 リビエラの表情が、初めて笑顔から驚きへと変化しました。

 彼女の双眸は大きく見開かれています。

 何故ならば――。


「この距離で避ける事が出来るかしら?」


 リーゼロッテの右手が銃のような形をして、リビエラに向けていたからです。

 ここから繰り出される攻撃は一つしかありません。


「さぁ、勝負よ! 『――灼熱の紅炎ブレンネン・ヒッツェ!』」


 リビエラは方向転換をしようとしますが、空中で勢いがついているせいか、間に合いません。

 苦し紛れでしょうか、リビエラは右手を前に突き出します。


 ――彼女の右手が炎熱の砲弾に触れた瞬間、凄まじい爆音と炎とともに風が吹き荒れ、視界が閉ざされました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る