第10話 学園生活の始まり②

 午前中にフィナール専用教室で講義を受けると、午後からは教室を出て、演習場に向かいました。


 演習場は講堂の隣に位置しているドーム状の建物で、高さは二十メートル程、広さは半径五十メートルくらいはあるでしょうか?

 扉を開けて中に入ると、中央付近に白線が二本引かれていました。

 白線の間が五メートルほど離れていることを考えると、恐らく開始線なのでしょう。

 そこまでは良いのです。良いのですが……。


「――シュヴァルツ先輩」

「うん? なんだい、アデル君」

「私は確か、シュヴァルツ先輩と手合わせするとお聞きしたと思ったのですが……」

「そうだね、確かにそう言ったよ」

「では何故、開始線に立っているのが私とシュヴァルツ先輩ではなく、リーゼロッテ様とリーラ先輩なのでしょう?」


 そうなのです。

 中央の開始線には、リーゼロッテとリーラが立っていました。

 二人が着ているものは制服ではなく、訓練用にと入学式の後に支給されたものです。

 選考会や学園対抗戦の際にも着用するとのことで、丈夫な作りになっていました。


 見た目は――そうですね、黒の軍服という表現が一番しっくりきます。

 左肩には赤い腕章が付けられており、腕章には学園を象徴する獅子と鷲の刺繍が施されていました。

 黒というと、どうしてもドイツを想像してしまうのですが、それには理由があり、何者にも染められぬ強い信念おもいを持って欲しいという意味が込められているそうです。

 その戦闘服を身に纏った二人が相対しているのですから、私が疑問を持つのも仕方の無いことでしょう。


「それはね、リーゼロッテさんが望んだ事だからだよ」

「リーゼロッテ様が……ですか?」

「あぁ。俺とアデル君が手合わせをするのであれば、その前に是非リーラと手合わせをお願いしたいと、ね」

「いつの間に……」


 私はリーゼロッテの方を見ますが、彼女は腰に手を当て胸を張ってこちらを見つめ返してきました。

 その、何の悪びれもない態度に、私だけでなく隣に並んで立っているシュヴァルツやヴァイスまでも苦笑を浮かべています。

 と、急に真面目な表情になってシュヴァルツが顔を近づけてきました。


「リーラは学園でも五本の指に入る遣い手だ。彼女の持つ異能の特性上、どうしても多人数を相手にした戦いが得意で、決して個人戦は得意とは言えないが、それでも俺やヴァイス以外で勝てる者はいない。――リーゼロッテさんも見所がありそうだ」


 息遣いが聞こえる距離で、囁くように投げかけられたその言葉に、私の心と身体が一気に強張っていきます。

 そんな相手と手合わせとはいえ、何故戦おうとするのでしょう?

 リーゼロッテの考えていることが理解できずにいた私に、シュヴァルツは柔かに、花でも愛でるような調子で言い放ちました。


「別に意外なことではないよ。彼女は可憐な王女ではなく、一人の勇敢な騎士だったというだけのことさ。男性が強い騎士に憧れるように、女性だって強い者に憧れるのだよ」

「そういうものでしょうか? 私には――よく分かりません」


 小さい頃から女性とは護るべき存在だと教えられて育った私にとって、シュヴァルツの言った言葉は少しも理解が出来ませんでした。


「おや? 意外だね。君には少なからず俺に似たところがあると思っていたんだが。まぁいい。いずれアデル君も分かるだろう。――さて、ソフィア先生。審判をお願いします」

「は~い。それにしても、リーラちゃんに挑むなんて今年の一年生は元気いっぱいですねぇ。うんうん、その気概だけは認めてあげるのですよ」


 ニパっと笑って後退ると、ソフィアはそのまま中央の開始線へ歩いて行きました。

 ソフィアはシュヴァルツが言っていた、優秀な治癒の異能を持つ女性の先生です。

 肩まで伸びた翡翠の髪に、同じく翡翠の瞳を持つ彼女の外見は幼く、妹のマリーと同じくらいに見えますが、今年で三十歳になるとか。

 眼鏡と白衣がアンバランスである事を更に強調しており、小さな女の子がコスプレをしているように見えてしまいます。

 

 ソフィアが開始線に辿り着いたので、始まるかと思ったのですが、今度はリーラがこちらに――正確にはシュヴァルツに向かってやってきました。

 シュヴァルツの前で跪き手を胸に当てる仕草をします。


「シュヴァルツ様に勝利ズィーク栄光エーレを捧げます」

「ふふ、いつもの君を俺に見せてくれ」

畏まりましたヤヴォール


 スッと立ち上がると、リーラはまた中央まで戻っていきました。

 それを確認したソフィアが言葉を発します。


「いいですか~? ルールはとっても単純なのです。武器さえ使わなければ後は基本的に何でもアリなのです。勝敗は一方が負けを認めるか、私が続行不能と判断した場合に決するのです。――以上、なのです!」


 愛らしい笑みを浮かべてルールを告げるソフィアに、リーゼロッテとリーラの双方が頷き、開始線で向かい合いました。

 表情は共に引き締まっており、それを見た私の表情も自然と引き締まります。

 手を伸ばしたところで届かない間合い。

 同じフィナール同士、互いの異能の優劣が勝負の分かれ目となるのでしょうか?

 ソフィアの合図を待っている間に、自然と場が静まり返ります。

 静寂が演習場内を支配した、その瞬間。


「――――始めるのですッ!」


 ソフィアの大きな合図で、リーゼロッテとリーラの手合わせ、その火蓋が切られました。


「『――灼熱世界ムスペルヘイム!』」


 開始直後にリーゼロッテが異能を発動させると、リーラを取り囲む檻のように、炎のカーテンが幾重もの壁をはためかせて揺らいでいます。

 炎の揺らめきとリーゼロッテの神々しい姿が相まって、まさに炉を司る女神と呼ぶに相応しい光景が目の前に繰り広げられていました。

 

「ほう――中々に素晴らしい異能を持っているね。しかもちゃんと使いこなしているようだ」

「へえ、面白いね~! 王女様とも一度ヤリあってみたいなぁ」


 面白がっているような声を上げたのはシュヴァルツとヴァイスでした。

 二人ともリーラが初手からピンチだというのに、焦っている様子は全くありません。

 むしろ余裕さえ感じられます。

 何故そんな態度でいられるのか、それは直ぐに分かりました。


「ふん、温いな」

「――何ですって?」

「温いと言ったのだ。この程度の炎で私を焼けるなどと思っていないだろうな?」


 凍てつくような鋭い視線で罵るリーラを前にして、リーゼロッテは気圧されたのか一歩後退ります。

 下がってしまった事に気付いたのか、リーゼロッテは二、三度頭を振り、異能を発現した事により変化した真紅の瞳で、キッとリーラを睨み返しました。

 炎の壁が一段高くなり、熱量も増したように感じられるのですが、リーラの表情に変化はありません。


「くッ!? それなら……!」


 リーゼロッテが右手を銃のような形にしてリーラに向けたかと思うと、指先に炎が集まっていくのが分かります。

 燃え盛る炎の塊は次第に大きくなり、バスケットボールくらいにまで膨れ上がりました。

 ――――そして、リーゼロッテは新たな異能をリーラに向けて発動したのです。


「喰らいなさいっ! 『――灼熱の紅炎ブレンネン・ヒッツェ!』」


 ある種兵器と化した炎熱の砲弾は、リーラに向かって一直線に飛んで行きました。

 瞬きほどの僅かな時間でリーラに着弾したかと思うと、リーラを爆心地として凄まじい爆音とともに炎が吹き荒れます。


 ……正直オーバーキルではないでしょうか?

 どう考えても無事では済みそうにない威力であるというのに、シュヴァルツとヴァイスは勿論、ソフィアや他のフィナールの学生達も慌てた様子はありません。

 皆の視線は爆心地に注がれていました。

 同じように見ると。うっすらとですが人影が確認できます。

 だんだんとハッキリしていくその姿を目の当たりにした時。

 リーゼロッテの双眸は驚愕に満ちていました。

 何故ならば――。


「温い。温い、温い、温すぎるぞ。これでは、私に損傷を与えるどころか、服の一片さえ燃やすことなど出来はしない」

 

 燃え盛る灼熱の世界の中、静かに冷たく告げたのは――傷一つ付いていない美しい姿のままのリーラだったのです。

 リーラがゆっくりと両手を広げたかと思うと、真紅の瞳が蒼に変化していきました。

 そして続けざまに一言。


「真なる檻とはこういうことを言うのだ。『――――永劫凍結の世界ニヴルヘイムッ!』」


 ――瞬間。

 リーラを覆っていた炎のカーテンは消失し、今度は吹雪とともに氷山がリーゼロッテの四方を取り囲みました。

 目の前に広がる光景はまさに氷の世界。

 リーゼロッテは抵抗しようと何度も異能を発動させようと魔力を込めていますが、うまく発動しないようです。

 その間も徐々に氷はリーゼロッテの身体から熱を奪っているようで、顔色が白くなっていくのが遠目からでも分かりました。

 

 異様な光景を目の当たりにして声が出せないでいる私に、ヴァイスとシュヴァルツがそれぞれ口を開きます。


「あらら~。やっぱりこうなっちゃったか。ま、リーラ相手によくもった方じゃないかな」

「リーゼロッテさんの異能も十分凄いんだけどね、リーラの異能とは相性が最悪と言っていいほど悪い。残念だけどここまでか」

 

 直後、シュヴァルツの言葉通り、リーゼロッテは一言「参りました」と告げ、リーラの圧倒的な勝利で手合わせは終了したのでした。

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