第9話 学園生活の始まり①

「ん……朝ですか……」


 小鳥の囀りによって目を覚ましました。

 上質なベッドから起き上がると、見慣れぬ部屋に一瞬首を傾げますが、直ぐに理由に気付きます。


 ――見慣れないのも当然ですね。

 この部屋で初めて体験する朝なのですから。

 ですが、意外と直ぐに馴染みそうな気もしますね。


 フィナール寮は男子寮、女子寮とも一階と二階に七部屋ずつあり、一階の角部屋が私の住処となっています。

 与えられた部屋を見渡すと、公爵家の自室に比べれば幾分こじんまりとしているものの、それでも学生が住むには十分な広さがありました。

 あるのは備え付けの家具のみですが、殺風景な印象は全くありません。

 むしろ気品が漂っていました。


 壁の一角には大きなガラス張りの窓があり、カーテンを開けると暖かな陽光が部屋を照らしてくれます。

 窓からは花園の入口が見えており、その彼方には優雅な曲線を描いた美しい山の稜線。

 まるで名画の一部を切り取ったかのような、美しい景色がそこにありました。

 

 フィナールは男性も女性も、一人につき一部屋が与えられています。

 他の寮では相部屋ということですから、これは破格の待遇と言って良いでしょう。

 実力主義の学園の中でも、フィナールには様々な特権が与えられているようです。

 こういうのを人参をぶら下げると言うんでしょうかね?


 より良い生活に憧れるのが、人の欲というものです。

 フィナールの優雅な姿を見せることで自分達もあの場所にと、他の学生も目指す価値を見出すのでしょう。

 やる気を出させるという意味では理にかなっているとは思いますが、私としてはあまり気持ちの良いものではありませんね――。


 私は備え付けてある洗面台で顔を洗うと、制服に着替えて朝食を摂りに行きました。





「アデル……貴方、シュヴァルツ先輩と知り合いだったの?」

「いえ、昨日が初対面のはずですが……」


 寮を出て直ぐにリーゼロッテと合流した私は、挨拶を交わして一緒に校舎へと向かっていました。

 そこまでは良かったのですが、花園に向かってのんびりと歩む背後から、不意に声をかけられたのです。

 振り返るとそこにいたのは、"五騎士"のシュヴァルツ、ヴァイス、リーラの三人でした。

 

「お早う、アデル君。それに、リーゼロッテさんもお早う。昨日はよく眠れたかな?」

「お早うございます、シュヴァルツ先輩。えぇ、ベッドのおかげで気持ちの良い朝を迎えることが出来ました」

「お早うございます。私もよく眠ることが出来ました」


 私とリーゼロッテは、シュヴァルツに向かって丁寧に一礼します。

 ヴァイスとリーラにも同じように礼儀正しく挨拶を述べましたが、ヴァイスは気軽な感じでこちらに手を上げて返し、リーラは表情を変えずに軽く頷き返してくるのみでした。


「フフ、それは良かった。どうだろう。せっかく同じフィナールなんだ。教室まで一緒に行かないか?」

「それは構いませんが……」


 はて? 記憶力には自信のある方ですし、転生してから今まで私はずっと公爵家にいました。

 少なくとも私とシュヴァルツとは昨日が初対面のはずなのですが、しかしながら目の前の彼の態度はとても知り合ったばかりのものには見えません。

 それともこれがシュヴァルツが人と接する際の距離なのでしょうか?


「アハハ、アデル君は幸運グリュックだよ? 筆頭様がこんな風に気にかけてくれることなんて滅多にないんだからさ」


 ヴァイスがコロコロと表情を変えながらそう告げると、シュヴァルツの後ろに控えていたリーラもその通りといった感じで頷いています。


「そうなのですか?」


 私がシュヴァルツに向かって問いかけると、ばつ悪げに照れ笑いを浮かべていました。

 

「なに、それだけ俺が君のことを買っているということだよ。それに――同じ境遇を体験した者として、助言できることもあるだろう」


 その時、ほんの一瞬ですが、シュヴァルツの笑顔が人の悪い――遠慮なく言わせていただくならば、邪悪な笑みに変わった気がしました。

 見間違いかと思い、もう一度シュヴァルツの顔を見ると、品のある笑みをしています。

 朝陽に照らされた漆黒の髪を揺らしながら、シュヴァルツは続けざまに言葉を発しました。 


「さて、それじゃあ一緒に行こうか」


 こうして、私とリーゼロッテはシュヴァルツ達と一緒に校舎に向かうことになりました。


「そういえばシュヴァルツ先輩。昨日のことで一つお聞きしたいことがあったのですが」

「おや? 何か気になることでもあったかな?」

「はい。確か代表選考会は秋の初めに行われると仰られてましたが、具体的にはいつ頃でしょうか?」

「なんだい、もう選考会のことを気にしてくれているのか。嬉しいね。――選考会は九月ゼプトに行われる」


 この世界では同じように一年が十二ヶ月で構成されています。

 季節という概念も勿論存在しており、但し、一ヶ月は等しく三十日と定まっていました。

 月の呼び方はシュヴァルツが言っていた通りですが、まぁ要するに秋の初め九月という言葉に偽りはないということです。


「そうだね、もう一つ情報を付け加えるなら、十一月ノヴェンには学園対抗戦シュラハトがあるんだ」

「学園対抗戦……ですか?」


 初めて聞く言葉に、私とリーゼロッテは首を傾げます。

 

「うん。簡単に言うとだね、公国内には我が学園以外にも七つの学園があるんだ。まぁ規模や力の入れ具合に違いはあるんだがね。代表者達は学園の威信を背負って、一対一で勝負をする」


 そこで一旦区切ったシュヴァルツは、私とリーゼロッテに向かってまろやかに微笑みました。

 

「但し、一対一の勝負ではあるが、どちらかの代表者が全て倒れるまで行われるというのが、この学園対抗戦の肝だ」

「ということは、順番は然程関係ないということでしょうか?」

「一概にそうだとは言えないな。異能にも相性というものがあるからね。いくら魔力量や異能が優れていても、対戦相手の持つ異能によっては敗れることもある」

「それは、シュヴァルツ先輩もですか?」


 シュヴァルツに視線を合わせると、その威厳に満ちた双眸をジッと覗き込みます。

 ――直後、シュヴァルツは涼しい顔で簡潔すぎる返事をあっさりと返しました。


「俺は学園対抗戦で対戦したことがないから分からないな」

「対戦したことが……ない?」

「あぁ。一年の時からずっと五人目だったんだ。一年の時は先輩方のおかげで一度も当たらず、二年になってからはヴァイスが先陣を引き受けてくれていてね。一人で学園に勝利をもたらしてくれている」

「ヴァイス先輩が、一人で全ての相手から勝利を……」

「他の学園の代表者なんて大した事ないからね~。って、そんなに見つめないでくれる? 照れるじゃないか」


 思わず凝視した私に向かって、天使のような笑みを浮かべながら暢気な返事をしているヴァイス。

 ――この学園がいくら異能に力を入れているとはいえ、曲がりなりにも他校の代表者を一人でとは……。

 であるならば、ヴァイスと同じく"五騎士"であるリーラも同程度、筆頭であるシュヴァルツは更にその上の力を持っているということなのでしょうか?


「フフ、リーラや俺の力が気になるかい?」


 思っていることが顔に出ていたのかどうかは分かりませんが、シュヴァルツは目敏く、総てを見透しているかのように、そう言いました。

 ヴァイスは面白いと言わんばかりに、リーラは真紅の眼を細めて私を見ています。

 三人の絶対者とも呼べる視線を集めた私は、背筋に冷たいものが流れ落ちるのを感じつつ、頷きを返します。


「……えぇ、まぁ正直なところ興味はあります」

「――そうか。いや、嬉しいね。だが逸ることはないよ。今日は早速訓練もあるんだ。その時にでも軽く手合わせをしてみようじゃないか」

「へっ!? っと、いきなり"五騎士"の方と手合わせというのは……少々酷ではないでしょうか?」


 紳士にあるまじき頓狂な声を上げつつ、私は無駄と思いながらも微かな抵抗を試みますが――。


「なに、我が学園には優秀な治癒の異能を持つ先生がいる。腕の一本や二本折れたところで瞬時に元通りさ。それに――痛みを伴わない教訓には意義などないよ。真に自らが望み動かない限り、異能を発現することなど出来はしない」


 腕は二本しかないのですが……それに痛み自体は感じますよね?

 私は軽く嘆息しますが、シュヴァルツの言いたいことは理解できました。

 最期の言葉、アレ・・に全てが込められている気がします。

 どのみち否応のない話。

 ならば答えは一つしかありません。


「――分かりました。胸をお借りします」


 短いながらも深く、万感の思いを込めながら答える私の言葉を受けて、シュヴァルツは、からかうように笑窪を浮かべて、「よく言った」と告げました。

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