第7話 入学初日④

「むっ――!?」


 リーゼロッテの言葉を聞いた直後、私は背後から嫌な気配を感じました。

 全身の毛が逆立つような感覚に襲われ、とてつもなく危険だと本能が叫んでいます。

 何かが――何かが来るっ!


「お二人とも、失礼します!」

「え?」

「ひゃっ!」


 私はリーゼロッテとミーシャを両脇に抱えて、前に向かってその場を蹴り出します。

 直後に雷鳴が木霊しました。

 後ろを振り返ると、元いた場所は数十センチほど地面が抉られており、焼け焦げたような跡が出来ています。


 ふぅ……自分の直感を信じて良かったですね。

 っと、いつまでも淑女と密着したままという訳にはいきません。

 二人の腰に回していた手を離して、地面に降ろします。


「申し訳ございません。仕方がなかったとはいえ、許可なくお二人の身体に触れてしまいました。どこか痛いところはございませんか?」

「……私は大丈夫よ」

「わ、私も大丈夫ですっ」


 リーゼロッテもミーシャも顔が赤くさせながら返事をしていますが、私と目を合わせようとしません。

 やはりいきなり触れてしまったのは、紳士としてあるまじき行為だったようです……気をつけなければ。


 そんな事を考えていた私の前に、一人の学生が現れました。


「へぇ~。今のを避けるか。中々やるね」

「……どちら様でしょうか?」

「ボクかい? ボクはヴァイス・フェンリスヴォルフ。この学園の三年でキミと同じフィナールさ。宜しくね、アデル・フォン・ヴァインベルガー君」


 肩まで伸ばした白髪に、美しい碧眼。

 身長は私より十センチほど低いでしょうか。

 着ている制服からして恐らく男性なのでしょうが――ビスクドールのような外見に加えて、天使のように微笑む姿はあまりに中性的で、女性だと言われても信じてしまいそうなほどです。

 

「先輩でしたか、これは失礼しました。ですが、何故私の名前をご存知なのでしょうか?」

「アハハ、そりゃ同じフィナールだからね。知ってるかい? フィナールの数は少ないんだ。全学年含めても二十人しかいないんだよ。おっと――もちろん、アナタの事も知っていますよ、リーゼロッテ王女様」

「……王女と呼ぶのは止めてちょうだい」

「あれ? そういうの気にする方でしたか。失礼しました。今後は気をつけましょう」


 そう言って微笑みながらお辞儀をするヴァイスですが、言葉も態度も全く心が込もっていないようでした。

 別の言い方で置き換えるならば――そう、慇懃無礼な感じといえばよいでしょうか。

 少なくともリーゼロッテに対して、敬意を持っているようには感じられません。


「それで、ヴァイス先輩は一体どのような理由があって、先ほどの攻撃を仕掛けてこられたのでしょうか? 仮にどんな理由があるにせよ、些か危険な攻撃だったのではないかと思いますが」


 そうです、私が咄嗟に二人と抱えて避ける事が出来たから良かったものの、直撃していれば三人とも軽傷では済まされないダメージを受けていたはずです。


 リーゼロッテとミーシャを守るようにして前に出ると、抗議の意味も込めてヴァイスを睨みつけますが、まるで意に介していないのかニコニコと笑みを浮かべたまま、私の顔を見ていました。


「いや~、実はアデル君とそこで気絶してる子の戦いを最初から見てたんだよね。最初は見てるだけのつもりだったんだけどさぁ、キミがあんまり彼を見事に倒すもんだから、ウズウズしちゃって、つい」

「つい、であの電撃ですか……」

「軽い挨拶みたいなものじゃないか。おっと、そんな怖い顔しないでよ。そんなに睨まれちゃうと怖くて――また攻撃しちゃうかもしれないよ?」


 口元を明け方の三日月のような笑みを浮かべるヴァイスの身体から雷電が迸り始め、徐々に全身に広がっていくのが分かります。

 どうやら先ほどの比では無いように見えますが……。


 接近戦であれば何とかする自信はあるのですが、遠距離攻撃が使える相手となると今の私では少々厳しいですね。


 ですが、これしきのことで諦める訳にもいきません。

 何せ後ろにはリーゼロッテとミーシャがいるのです。

 挑む前に泣き言をいうのは止めておきましょう。

 まずは全霊を尽くして、それからですね。


 ヴァイスの正面に立ち、真っ向迎撃するべく構えます。

 それを見たヴァイスは目を弓なりにしたかと思うと、身体に纏う雷電が一気に膨れ上がりました。

 幕が切って落とされようとした、まさに寸前――。


「ほ~ら、行く――」

「そこまでだ、ヴァイス。それ以上の戦闘は許可しない」


 両者の間に静かに、ですがハッキリとした声が届きました。

 その声は、どこか現実味を欠いた感の、しかし絶対の強制力を持っていました。

 事実、呼ばれたヴァイスは動きを止め、即座に身に纏っていた雷電を解いています。


「は~い。――残念だけど、また今度ねっ」


 先程までとは百八十度雰囲気を変えたヴァイスの物言いに、私は戸惑いました。

 しかし、その考えは直ぐに霧散します。

 何故なら――。


「やぁ、ヴァイスが迷惑をかけたね」


 花園の奥から私達の前に姿を現したのは、一人の長身の学生でした。

 背中まで伸びた黒髪を後ろに一つに纏め、こちらを見つめる双眸は黒。

 どこか日本人を思わせる懐かしい顔立ちは非常に整っています。

 威厳と隙の無い気配は、まるで凍結した鋼のようですが、威圧的な感じはしません。


 ……いえ、違いますね。

 これは――この人は本当にここに居るのでしょうか?

 目の前に居るはずなのに、ここには居ない様な、幻影のような不確かな存在感を滲ませています。


 従うのが当然だと思わせる男。

 そんな、全てを超越したような、完成した存在でした。


「いえ……っと、アデル・フォン・ヴァインベルガーと申します。あの、先輩もフィナールでしょうか?」

「……何故俺が先輩だと思ったんだい?」


 総てを見透かしているかのような、漆黒の瞳が私を見つめています。

 ここは優雅に一礼をして答えると致しましょう。


「ヴァイス先輩が素直に言うことを聞く程のお相手です。ヴァイス先輩と言葉を交わしたのは今日が初めてですが、力無き者の言葉に従うとも思えません。普通に考えて三年生か四年生と考えるのが妥当であると愚考致しました」

「――うん。いいね。実にいい。ヴァイスの性格もよく分析できてるじゃないか。素晴らしい」

「恐れ入ります」


 柔和な笑みを浮かべて満足そうに頷く偉丈夫。

 彼は続けざまに自己紹介を始めました。


「俺の名前はシュヴァルツ・ラインハルト。アデル君の言うとおりフィナールで今年で四年になる。学園の"五騎士ヘルトリッター"の筆頭だ」

「"五騎士"……ですか?」

「あぁ。君も覚えておくといい。この学園には所謂、生徒会のような組織は存在しない代わりに、俺やヴァイスのような"五騎士"が存在する。"五騎士"は主に実力重視で選ばれた生徒でね。年に一度行われている学園対抗戦に参加したり、学園内の秩序を管理する役目も果たしているんだ」

「学園内の秩序を管理……ですか?」


 私がジロリとヴァイスの方に目を向けると、ヴァイスは目を逸らし口笛を吹きながら明後日の方を見ています。


「ハハッ。ヴァイスも普段はいい子なんだ。ただ、強そうな相手を見つけると我慢が出来ないみたいでね。そうだな――アデル君がそこでまだ寝ている子と許可なく決闘したことを不問にするから、それで許してくれないか?」

「え――!?」

「俺達が止める前に始めちゃったけど、本来学園内での私的な決闘は禁じられているんだよ? 通常は教師か俺達"五騎士"が立ち会わないと決闘は出来ないんだ」

「そ、そうだったのですか……」


 まさか、そんな校則があったとは……。

 

「まぁ、次から気をつけてくれればいい」

「はい……申し訳ありませんでした」

「あぁ、そこで謝らない。全く……君は律儀だね。さて、アデル君の事は不問にするけど、彼は少し話を聞く必要がありそうだから、連れて行くよ。いいね?」

「それは仕方の無いことですから、はい」


 デリックについては弁護のしようがありませんからね。

 私に倒されて、更に先輩に怒られてと踏んだり蹴ったりでしょうが、これも人生の勉強と思って大人しく享受して下さいね。

 私は心の中で手を合わせます。

 

 返事を聞いたシュヴァルツは、ヴァイスの方に顔を向けました。


「悪いね。――ヴァイス、運んでくれ」

「えぇ!? ボクが~?」

「お前の異能を使えば難しいことではないだろう?」

「ちぇっ、筆頭様は人使いが荒いんだから、もぅ」

「何か言ったかい、ヴァイス?」

「いえ! 何にも全く言ってませんよ、ハイ! さ~て、運びますかっ『――戦死者を選定する乙女ヴァルキューレ!』」


 ヴァイスが異能を発動させると、彼と同じ大きさの電気人形が三体、姿を現しました。

 形を成す程とは……とてつもない魔力が込められていますね。


「三体もいれば十分だよね。それじゃ運ぶよ~」


 三体はデリックの身体を持ち上げて、校舎に向かって歩き出しました。

 あれは……痺れないんでしょうか?


「さて、じゃあ俺達はこれで失礼するよ。学園についての詳しい説明は夜に、フィナール寮にある共同のリビングルームでするから、その時に」

「アデル君、まったね~」


 片手を上げながらそう言うと、シュヴァルツとヴァイスも校舎に向かって歩いていったのでした。

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