第6話 入学初日③
大柄な身体に似合わぬ俊敏さで飛びかかってきたデリックの渾身の右ストレート。
私は上体を後ろにそらすだけで、危なげなく避けます。
「テメェ、避けるんじゃねえ!」
右、左、右、更には下から上へと、力任せに拳を突き上げてきました。
縦横無尽に襲いかかる、デリックの芸術的とも言える四連撃。
その悉くを余裕を持ってサッと避けます。
風圧のせいで花園の花弁が舞い上がり、雪のようにヒラヒラと降り落ちていきました。
「っのやろォ! ちょこまかと動きやがって……!」
苛つきながらもデリックは止めることなく殴り続け、時には足蹴りも加えた攻撃は、一分近く続いたでしょうか。
無論、私は全て躱しきってみせるのですが、彼は軽く息を乱していました。
たかだか一分程度で息を切らしてしまうとは情けないですね……ですが、攻撃を当てた時と比べると避けられた際の疲労度の方が大きいと聞いたことがありますから、仕方のないことかもしれません。
「ふむ。多少格闘技をかじっているようですが、些か強引ですね。力があるのは認めますが、一つ一つが大振りな分、次の攻撃が分かり易くなっていますよ」
「なっ!?」
「恐らくですが……貴方は我流で腕を磨いてきたのでしょう。ですが、それではいけません。一流をその目で実際に見て、肌で感じて、その身に受けないことには本質は理解出来ません。そうして初めて本物に至るのです」
「へ、へへへへ……どこまでも舐めたことを抜かすヤツだぜ。だが、それよりも……テメェ、何故反撃してこねぇ?」
デリックが睨みつけてきますが、肩で息を切らせている様を見せていては、怖くも何ともありません。
「理由は一つ。手加減しないと言っておきながら本気を出さない相手に、反撃する必要などないでしょう」
「……何だと?」
「貴方は異能者だ。にもかかわらず生身の状態で私に勝とうとしている。違いますか?」
「当たり前だろうが。……異能を発現出来ない……無能者如きに――」
「そこです」
「あん?」
ようやく息が整ったデリックが身構えたまま、訝しげな目をこちらに向けています。
「異能を使わずとも私に勝てると思っているその甘さを捨てなさい。私は最初に言ったはずですよ。異能が使えなくとも何の問題もありません、と」
「舐めてるのか、テメ……ェ?」
デリックは私に向かって吠えようとしたのでしょうが、私の威圧に気圧されて声が小さくなってしまいました。
「舐めているのは貴方の方です。――さぁ、貴方が今出せる全てを私にぶつけてみなさい」
「――いいだろう。こっから先は遊び抜きだ。俺に向かってそこまで啖呵を切ったんだ、その綺麗な
そして――――。
デリックの雄叫びが花園に響き渡りました。
「『――――
デリックの瞳が怪しく光り、その身体が魔力を纏ったかと思った次の瞬間、私の視界から姿が消えました。
残されたのは、吹き飛ばされた無数の花びらと、花園に漂う濃密な香気を切り裂く竜巻めいた暴風。
消えた? いえ、そんなはずはありません。
風の流れと地を蹴りつける音を頼りに、目の前から消失したデリックの姿を追います。
デリックは右側を回り込むように移動していました。
そう――彼は、ただ単に走っているだけなのです。
違いがあるとすれば尋常でない速度でしょうか。
地を駆ける姿は、まるで獣の如き疾走。
花園を蹴散らし続ける、高速移動。
明らかに先程までとは比べものにならないですね。
っと、来る!
「おらッ!」
「――――ふっ」
デリックが初手に繰り出してきたのは、先程と同じで何の変哲もない右ストレート。
私は身体を捻って躱しますが、顔をすり抜ける拳の速さに肝が冷えていくのを感じます。
先程までは、デリックが動き出してから反応しても悠々避けることが出来ていた一撃が、今は皮一枚を切り裂くほどに速くなっているとは……いやはや、
「へっ、どうしたどうしたァッ! 今更ビビっても許してやらねぇぞ!」
走るだけで周囲の空気が弾け飛ぶほどの速度。
花園の芳香と鮮やかな花弁を撒きながら、デリックは風を纏った獣となっています。
確か、短距離陸上選手の最速で、時速約四十キロメートルあるかないかでしたね。
ですが、それはあくまで短距離での瞬間的な値に過ぎません。
今目の前にいるデリックの速度は、少なくとも私がいた世界の人間の範疇を大きく超えています。
その上、一直線に加速するばかりではなく、文字通り縦横無尽に駆け回っていました。
こうも高速で、しかも自由自在に動かれては、私の目では走る影を捉えるのがやっとですね。
「喰らいやがれッ!」
「っと――!」
「粘るなよっ、オラ! オラ! オラッ!」
「当たる、訳には、いきませんっ!」
ほんの一瞬すら静止しないデリックの戦術は、一瞬攻撃しては即座に駆け抜ける、ヒットアンドアウェイ戦法。
それが今度は三連続。
「むっ――――!」
全て避け切った後に、デリックは直ぐ続きの攻撃を繰り出してきました。
攻め手自体は発動前と何ら変わりはありません。
拳の軌道も、次の動きも丸分かりの、実に単純な大振りの右ストレート。
違いは、ただただ圧倒的な速力でした。
爆発的な加速を十二分に乗せて繰り出される右ストレートは、まさに鋼の鉄槌と言っても過言ではないでしょう。
軌道が分かったところで意味はありません。
私の動きよりも速いこの拳を避ける術などありはしないのですから。
まぁ、
デリックの異能の正体は、実に単純です。
彼の身体――筋肉と骨格から生み出される、人外とも呼べる速度と威力。
至極単純で、しかし最も強力なる力そのものというわけです。
――なるほど、己の力を過信するわけですね。
「おや?」
一瞬たりとも停止しなかったデリックが姿を現しました。
私との距離は、二十メートルほど離れているでしょうか。
厳しい表情でこちらを睨んでいるのは、先程までの攻撃で私を倒せると確信していたからでしょうね。
「もう終わりですか?」
「……アデル・フォン・ヴァインベルガー。テメエ、なんでまだ立ってやがる? 何か力を使ってやがるだろう? 異能が使えないってのは嘘か?」
「いえいえ、異能が使えないのは本当ですよ。今も魔力を感じないでしょう?」
「じゃあ! 何でテメエはまだ立っているんだっ! 何で俺の攻撃が当たりもしねぇ!」
「そう言われても困るのですがね。私のこれは、単なる技術ですから」
「技術……だと?」
デリックの目が驚きに包まれていくのが分かります。
「そうです。異能とは全くの無関係。経験に基づいた、至極真っ当な力です。本来人間とは、この程度の芸当は誰でも出来るようになるのですよ。まぁ、当人の研鑽次第ではありますが」
「ほー、ほー、へー……技術か。技術ねぇ……オイコラ、テメエは俺と同じ歳で達人気取りかァ? 異能も使わずに金剛撃滅を使ってる俺の攻撃を避け続けたってのか? ふははは……とことん舐めた真似をしてくれる」
「ふむ。別に冗談で言ったつもりはないのですがね」
「それが真実だろうと嘘だろうと、御託はもういい。次で終いだ。覚悟しなっ!」
デリックはクラウチングスタートに似た格好をして、私に照準を合わせています。
その姿はまるで発射台にも見えました。
二十メートルという助走距離から生まれる加速は、こちらが何をどうこうしたところで防げはしない、凶悪無比の一撃で私を粉砕してのけるのだという表れでしょう。
「くたばりやがれええええ――――!」
圧倒的な速度で押し潰そうと襲い来るデリック。
――しかし。
「ふっ!」
「――――っガァ!?」
顎を打ち抜かれたデリックは、何が起こったか分からないでしょう。宙に舞っています。
その高さは遥か真上。
「これはこれは。結構な高さまで飛びましたね」
「――アデル。貴方一体何をしたの?」
勝負が着いたと判断したのか、今まで傍観していたリーゼロッテが私のもとへやってきました。
その傍らには小柄な少女もいます。
「別に難しいことは何もしていませんよ。ただ、彼の力を利用させてもらっただけです」
「デリックの力を、利用?」
何を言っているのか分からないようで、首を傾げるリーゼロッテと小柄な少女。
合気道の一種なのですが、説明が難しいですね。
「まぁ簡単に言ってしまえば、彼の突進に使ったエネルギーを全て真上に押し上げたんですよ。本来は投げ技なのですが、それでは勝負はつきませんからね。掌底で顎を打ち抜かせて頂きました」
「打ち抜かせて頂きましたって……貴方にはアレが見えたの?」
「いえ? 見えませんでしたよ?」
「えっ……!?」
「ですが、予測自体は可能です。力と速度は確かに恐るべきものでしたが、彼の技術は未熟で単純です。あれだけの距離があれば、次の行動に対する予測も対応も出来ますよ。――それよりも」
私の視線に合わせて二人も宙を見上げました。
どこまでも高く上がっていたデリックでしたが、重力に従って墜落を始めます。
う~ん、キレイに顎に入ったせいなのか、気絶しているようですね。
あの高さから地面にぶつかったら、骨の一本や二本では済まないでしょう。
空中でピクリとも動かないデリックを見て、私は軽く溜め息を吐きます。
――仕方ないですね。
地面に打ち付けられる寸前で、私は落ちてきたデリックを受け止めました。
ぐっ! これは……流石にキツい、ですね。
彼の重さと落下速度による衝撃もあり、かなりの負荷が私の両腕にかかりましたが何とか堪えます。
デリックの身体を地面にゆっくりと下ろすと、後ろを振り返りました。
リーゼロッテは呆れたような顔をして見ています。
「貴方ね……さっきまであれだけやりあっていたっていうのに。いつからそんなにお人好しになったの?」
「おや? お人好しとは心外ですね。せめて紳士と仰って下さい」
「ふふ、紳士ね。まぁいいわ。それよりも――異能を使わずにウルティモであるデリックに勝つなんてやるじゃない。少しだけ見直したわ」
「有難うございます」
柔らかな笑みを浮かべて目を細めるリーゼロッテ。
私はそんなリーゼロッテに向かって優雅に一礼をします。
「まぁ、アデルにあんな動きが出来た事にもビックリなのだけれど」
「それは……この三ヶ月の間、私なりに研鑽を積んでまいりましたので」
「たった三ヶ月で出来るようになるとは思えないけど……いいわ、今はとやかく言うのは止めておきましょう」
「恐れ入ります」
「あ、あのっ!」
「ん? 何ですか淑女?」
ずっと黙っていた小柄な少女が、声をかけてきました。
少女はショートカットの金髪にハッキリとした目鼻立ちで、活発な感じがします。
上目遣いに私を見る瞳は、デリックに向けていたものに比べると、刺々しさは全くなく、むしろ愛らしいという言葉がピッタリです。
同じ歳のはずですが、身長は百五十センチあるかないかといったところでしょうか。
無邪気に微笑みを向けているその姿はリーゼロッテとは違った魅力に溢れていました。
「助けてくれて有難うございましたっ」
「いえいえ、礼にはおよびません。私はただ自分の成すべきことを為しただけですから」
「それでもですっ。本当に有難うございました!」
頭をこれでもかというくらい下げられ、私は目を丸くしますが同時に心地よい気分になります。
なんにせよ、感謝されるというのは気分の良いものですね。
「私ミーシャ・ラングレーって言います」
「これはご丁寧にどうも。私はアデル・フォン・ヴァインベルガーと申します」
「私は――」
「リーゼロッテ様ですよね! 答辞に立たれた姿、素敵でしたっ」
「そ、そう? 有難う」
ミーシャの勢いに圧されたのか、それとも無邪気に褒められたのが恥ずかしいのか。
リーゼロッテは少しだけ頬を染めてミーシャに礼を述べていました。
「……あの」
「はい、何でしょう?」
柔らかい笑みを浮かべながらミーシャに話しかけます。
すると、ミーシャは何故か顔を真っ赤にしてしまいました。
横で見ていたリーゼロッテは冷ややかな視線を私に向けています。
「――アデル。これから私の許可なく女性に笑いかける事を禁止します」
リーゼロッテは、突き刺さるような一声を私に告げたのでした。
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