第1章 入学編

第4話 入学初日①

「さて、と。ルートヴィッヒの妄言に付き合うのはこのくらいにするとしましょう」

「なっ!? アデル様! 妄言などではございません!」


 ロマンスグレーの顔を真っ赤に染めて声を荒げるルートヴィッヒ。

 この三ヶ月で分かったことですが、ルートヴィッヒは非常に優秀な執事でありながら、時折このように妄言を吐くことがあるのです。

 やれやれ、困ったものですね。


「落ち着きなさい、ルートヴィッヒ。今日は大事な私の入学の日ではないですか。早く出発すべきでしょう。――どうです? 制服に袖を通してみましたが変ではないですか?」


 学園の制服は上着は赤を基調とした服で、右肩から前部にかけて金糸の飾り紐が吊るされており、左胸の部分には青色の丸い勲章のようなものが取り付けてあります。


 一見すると軍服のように見えますが、堅苦しいということもないですし、動きにくいということもありません。

 ズボンは黒一色のスラックスタイプと言えばよいでしょうか。

 目の前でクルリと一回転してみせる私を見て、ルートヴィッヒはハッとした顔をします。


「そ、そうでした! ――アデル様の御姿におかしなところなどあるはずがございません。あると言う者がいるとすれば、その者の視覚がおかしいのです」

「ルートヴィッヒ、それは言い過ぎですよ……」

「言い過ぎなどではありません! 三ヶ月前のアデル様であれば確かに豚にも劣る御姿でしたが、今のアデル様をそのように評する者は誰ひとりおりません」


 ルートヴィッヒが、素晴らしい笑顔で言い切りますが……以前の私は豚にも劣りますか……。

 ルートヴィッヒの言葉に落ち込みながらも、私は気を取り直して部屋を出ます。

 広く長い廊下を抜けて外へ続く扉を開けると、そこには使用人達が二手に分かれて並んでいました。


「「「「「いってらっしゃいませ、アデル様!」」」」」

「はい、行ってきます。皆さん、お父様とお母様のこと、そして屋敷のことを頼みましたよ」

「「「「「はっ! お任せ下さい!」」」」」


 使用人たちの折り目正しい挨拶に笑みで答えます。

 一部の使用人はやはり表情を取り繕っているだけのようですが、見送りに来てくれただけでも喜ばしいと思っておきましょう。

 私は使用人達の横を通り抜け、電磁車の近くに行きます。


 この世界では電気によく似たエネルギー、電磁が主要なエネルギーとして普及していました。

 灯りも、テレビも空調や暖房設備、お風呂に調理器具、そして目の前の車に至るまで、全てが電磁で稼働します。

 オール電化ならぬオール電磁といったところでしょうかね。

 電磁の源となるものについては詳しくないので、機会があれば調べてみることにしましょう。


 電磁車の隣にはディクセンとアリシア、そして私より二歳下の双子の兄妹が私を見ています。

 私はルートヴィッヒに習った礼儀作法を用い、優雅にお辞儀をすると、ディクセンとアリシアの顔を見ました。


「お父様、お母様。これより学園に行ってまいります。ヴァインベルガー家の継嗣として、精一杯励む所存です」

「……うむ」

「くれぐれもヴァインベルガー家の名を汚すことのないようにしなさい」

 

 二人の言葉にはやはりトゲがありますねぇ。

 実の我が子がこれから出発するというのに……困ったものです。

 誰にも悟られないように軽く溜め息を吐くと、すぐ横から突き刺すような視線を感じました。

 弟のミシェルです。


「フンっ! 兄上。無様な真似だけは曝さない様に注意してくださいよ。ヴァインベルガー家の恥になりますから」

「ふふ、心配してくれるんですね、ミシェル。大丈夫ですよ。頑張ってきますから」

「し、心配なんかしてません!」


 プイッと顔を背ける仕草もまた可愛らしいですねぇ。

 一人っ子でしたから、兄妹がいるというのは新鮮なものです。

 愛らしい弟の頭を無意識のうちに私は撫でていました。


「止めてください! 僕は子供じゃありませんっ」

「あぁ……つい撫でてしまいました。ゴメンなさい、ミシェル」

「……別に、嫌なわけじゃありません」


 横を向いて少し頬を染める我が弟は何と可愛いのでしょう!

 これが、父性というものでしょうか……。


「お兄様! ミシェルばかりずるいですわっ。私の頭も撫でて下さいませ!」


 そう言って抱きついてきたのは妹のマリーです。

 ミシェルもマリーもアリシア似で整った容姿ですが、マリーはミシェル以上にお姫様のような愛らしさがありますね。


「マリーは甘えん坊さんですね。ほら、よしよし」

「えへへ~。お兄様なら学園で直ぐ一番になれますわ! 私が保証致しますっ」

「ふふ、可愛い妹に保証されては頑張るしかありませんね」

「か、可愛いだなんて……お兄様ったら!」


 ガシッと抱きついた状態で、だらしない顔をしているマリーもまた愛らしい。

 三ヶ月前は話しかけても返事もしてくれず、視線すら合わせてくれなかったことを考えると、非常に感慨深いものがあります。

 ――何やら、ミシェルが羨ましそうに見ているような気がするのも、ディクセンとアリシアが憎々しげにこちらを睨んでいるような気がするのもきっと気のせいでしょう。


 とはいえ、ずっとこのままというわけにもいきませんね。

 入学初日に遅刻なんて以ての外です。


 時間とは、無限ではありません。

 時は金なり、と言いますからね。

 時間も守れないような人間が紳士を名乗ることなどあってはなりません。

 

 抱きついていたマリーから離れると、マリーは心底残念そうな表情を見せます。

 しかし、今は残念ながらマリーと戯れる優美なひと時を選んでいる場合ではありません。

 私は電磁車の前で振り返り、最後にもう一度家族と使用人達に向かってお辞儀をしました。


「それでは――行ってきます」





「――ここが学園ですか」


 電磁車が走り出して、約一時間半。

 山奥の森を抜けて辿り着いた学園は、広大な敷地を持つそれは立派なものでした。

 歴史ある学園という話でしたので、もっと格式ある――有り体に言ってしまえば古い校舎を想像していたのですが、実際に見てみると全くそんなことはありません。

 ガラスをふんだんに使用した、開放感溢れる近未来的な建造物。

 その建造物こそ、私が今日から通うことになる"聖ケテル学園"です。

 正門をくぐった広場から遠景に臨める校舎の姿がそこにありました。

 う~ん、毎回呼ぶには長いので学園でいいでしょう。


 学園の所在地は、私が住んでいた屋敷から約百キロほど離れた山の上にあります。

 教育機関としては、レーベンハイト公国に幾つかある学校の中でも、特に異能の力を伸ばすことに特化しているとパンフレットに書かれていました。


 設立から今年で二百年と長く、学園の名前の由来は、来たるべき脅威に備えて英雄ケテルを育て上げようということらしいです。

 来たるべき脅威というのは、授業でも習うようなのでここでは割愛しましょう。


 四年間一貫教育制を取り、全学年合わせて学生数は四百人程度だそうです。

 公国が出資しているだけあり、資本を惜しげもなく投入されているのが窺えますね。


 全寮制で、学生達は例外なく決められた寮から通学することになっています。

 四百人という学生数に比べ広すぎる敷地の周囲は、余すところなく白く高い壁に取り囲まれていました。

 まるで外敵・・に備えた城塞のようにも見えます。


 学生達が敷地の外へ出るのは原則禁止されており、年に二回、夏と冬の時期にのみ帰省が許されているそうです。

 但し、十日以内という制限付きですが。


「後は自分で運ぶので、ここまででいいですよ。ご苦労様でした」


 ここまで運転をしてくれた使用人に労いの言葉をかけ、私は荷物の入った、英国のグローブトロッターのサファリに似たキャリーケースを片手に、学園の正門をくぐり抜けます。

 広場には私と同じように荷物を持った、新入生らしき学生の姿がちらほら見えますね。

 ふむ、女性用の制服は勲章の代わりに、薄い青みがかったスカーフに下は白のフレアスカートに黒のタイツですか。

 

 その制服を着ていた女性と目があったので軽く微笑むと、女性は恥ずかしそうに俯きながら足早に校舎に歩いて行きました。

 う~ん、やはり女性の服を凝視するというのは紳士にあるまじき行為でしたね、気を付けないといけません。

 気を取り直して校舎の扉をくぐります。


「――これは……素晴らしい」


 近代的な外観から中も同じかと思っていたのですが、全く違いました。

 ロマン主義的な回廊が奥へと続き、見上げるほど高い天井にはこの世界の神様らしき人物が描かれています。

 通路の幅も天井の高さに相応しいだけの広さで、シックな様式はどことなく中世のヨーロッパの歴史に出てくる建築めいていました。

 

 外観と内部との違いに驚きと感嘆の声を上げつつ、回廊を歩いていると前に見知った姿が。

 回廊は石造りのせいか、足音がよく響きます。

 足早に近づく私に気づいたのか、女性が後ろを振り返りました。

 

 私は頭を垂れて膝をつきます。

 さながら美しき女王に忠誠を誓う騎士のように。

 女性が驚きで一歩後ずさろうとしますが、彼女の不安を払うように、恭しい所作で目の前の女性の透き通るような白い手を取りました。


「お久しぶりです。リーゼロッテ様」


 三ヶ月ぶりに再会した事への感謝と、敬意を込めて彼女の手の甲に口づけをします。


「? あの……何処かでお会いしたかしら?」

「えっ?」

「えっ?」


 お互いに首を傾げる私とリーゼロッテ。

 おかしいですね……婚約を破棄したとはいえ、たった三ヶ月で顔を忘れてしまうほどに私の印象は薄いものだったのでしょうか?

 

「私のことを覚えておられませんか?」

「申し訳ないのだけれど……」

「そう、ですか」

「ごめんなさいね。一度でも会った人のことを私が忘れるはずはないのだけれど、貴方のことは……」

「一度と言わず何度もお会いしていると思いますよ」

「え!? 何度も……会っている?」


 リーゼロッテの顔が申し訳なさそうな表情から驚きへと変化していくのが見て取れます。

 ニコリと、私は全身で笑顔を作り、リーゼロッテに向けました。


「えぇ――アデル・フォン・ヴァインベルガーです」

「え……? ええええええええぇぇ!?」


 ――――あまりにも王女という立場からは相応しくない叫び声が、回廊に木霊こだまするのでした。

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