第3話 最上紳士、決意を胸に行動する

 リーゼロッテの口から出た突然の婚約破棄という言葉に一瞬呆然としましたが、直ぐに気を取り直し質問を投げかけます。


「一つ、お聞きしても宜しいですか?」

「何かしら?」

「私との婚約破棄の理由をお教え下さいませんか?」

「理由……ね。私の口から聞かないと分からないかしら?」

「申し訳ございませんが、皆目見当がつきません」


 そこでリーゼロッテはフッと笑みを浮かべました。

 但し、その笑みには多分に蔑みが含まれておりましたが。

 アデルの記憶を辿れば良いのでしょうが、今そこまでしている時間はありません。


「高熱で今までの記憶が何処かに飛んでしまったのかしら。……いいでしょう。理由は二つ。一つは異能がいつまで経っても発現しないこと。せっかく世界で唯一"最高位"に該当する魔力量をその身に秘めているというのに、外に発現出来ないのであれば宝の持ち腐れでしかないわ」


 ほう、私の身体にそれほどの魔力があると……異能というのは魔力を使う事によって発現する特殊な力といったところでしょうか?

 

「そしてもう一つは、貴方のここ数年の傍若無人な振る舞い。相当な数の使用人が辞めた、もしくは不当に解雇させられたと聞いているわよ? それに勉強も訓練も全くしていないそうじゃない。そんな男性が第一王女である私と結婚なんて認められないわ。はぁ、三ヶ月後に入学する学園での生活も、先が思いやられるわね」

「学園……ですか?」


 頭を傾げる私を見て、呆れた顔をするリーゼロッテ。


「貴方本当に大丈夫なの? 貴族は誰でも十五歳になる年に学園へ通うことになっているでしょう。……まさか忘れていたんじゃないわよね?」


 リーゼロッテが冷ややかな瞳で私を睨んできます。

 

「いえいえ、そんな事はありません。熱にうなされていたせいか、記憶が曖昧なのですよ。それよりも、リーゼロッテ」

「何かしら?」

「婚約破棄の理由は良く分かりました。確かに今の私では貴方に相応しくありません」

「あら、良く分かってるじゃない。なら――」

「えぇ。婚約破棄自体に否などありません。但し、リーゼロッテからの申し出ではなく、私から婚約破棄を申し出た事にして欲しいのですが、いかがでしょう?」

「……どういうことかしら?」

「女性から婚約破棄というのはどれほど男性側に理由があるといえど、外聞的に宜しくないかと。であれば、私の方から貴女に婚約破棄してきたということにすれば、世間は私の方を第一王女との婚約を破棄した愚かな男と指差すでしょう」

「そんな事をして貴方に何のメリットがあるというの?」

「下世話な者達の目から貴女を守ることができるではありませんか」

「っ――!?」


 リーゼロッテは、美しい瞳を目一杯開いて驚いているように見えます。

 おや? ディクセンもアリシアも同じ顔をしていますね。

 

「貴方……馬鹿なの?」

「馬鹿とは心外です。貴女の名誉と私のあって無いような名誉。どちらが大事か比べるまでもないでしょう? それで……お受け頂けますか、リーゼロッテ?」

「はぁ……いいわ。私としては婚約が破棄されるのであればどちらでも構わないのだし、貴方の申し出を受けましょう」


 リーゼロッテが私の申し出を受けてくれたようで何よりです。

 入学まで三ヶ月しかないのであれば、やらねばならないことは山のようにあります。

 のんびりしているわけにはいきません。


「有難うございます。では、お父様、お母様」

「な、何だ」

「何です、急に」

「後の事はお二人にお任せしても宜しいでしょうか? 私は早急にやっておかねばならない事が出来ましたので」

「「やっておかねばならない事?」」

「えぇ。ですので申し訳ございませんがここで失礼致します。リーゼロッテ。それでは三ヶ月後に学園でお会いしましょう」

「え、えぇ」


 目を丸くしている三人に向かってお辞儀すると、元きた扉を開けて廊下に出ます。

 廊下にはルートヴィッヒが立っていました。

 どうやらずっと待っていたようです。


「アデル様! お話はお済みになったのですかっ?」

「えぇ」

「そ、それでは――」

「リーゼロッテ様との婚約は破棄されました」

「そうですか……それは、なんと言いますか、その……」

「ルートヴィッヒ。ヴァインベルガー家の執事たるもの、そのような顔をするものではありませんよ。私の行いがいけなかったのですから、婚約破棄は当然の結果です」

「それはそうかもしれませんが……あ!」


 やはりルートヴィッヒも、アデルに対する評価は中にいる三人と同じようですね。

 というより、アデルを知っている全ての人間は、現時点ではアデルに良い感情を持っている者はいないでしょう。


 徐々に頭の中に浮かんでくるアデルのこれまでの所業に、流石の私も怒りを禁じえません。

 なるほど、今助かっても遅かれ早かれ死ぬというのはこういうことですか。

 確かに今のままの生活を続けていれば、どこかで殺されていたかもしれません。

 ですが、私がこの身体に転生したからには、そのような結末になどさせませんよ。


「私の評価が低いのは、私自身が一番良く分かっていますよ。そこでルートヴィッヒ。貴方に頼みがあります」

「頼み、ですか? ……何でしょう?」


 そんなに身構えなくても無理難題を言うつもりはないのですが……今までのアデルの行いを考えると仕方のない事かもしれませんね。


「それほど難しいことではありません。私に勉強を教えて欲しいのです」

「へっ……?」

「そんなに驚く事はないでしょう。元々貴方は私の家庭教師の役目も担っているはずです。違いますか?」

「そ、それはそうですが……ここ数年は私が何度進言しても、全く聞く耳を持たれなかったではないですか」

「それについては本当に申し訳なかったと反省しています。学園に入るまでの三ヶ月で必要な知識を全て頭に叩き込む必要があるのです。貴方の力を貸して下さい、この通りです」


 私はルートヴィッヒに頭を下げました。


「あ、頭をお上げください! 公爵家の嫡男たるアデル様が、私ごときに軽々しく頭を下げてはなりませんっ」

「ですが、これは今まで貴方の言葉に耳を傾けずに惚けていた私の罪です。自分自身が悪いと思ったのであれば頭を下げる。そこに身分など関係ありません」

「そこまでお考えでしたか……!」


 ルートヴィッヒは驚きと困惑に満ちた顔をした後、その場に跪きました。 


「……畏まりました。不肖このルートヴィッヒ、アデル様が学園に入っても恥をかくことが無いよう、精一杯勤めさせて頂きます」

「お願いしますね。あぁ、そうそう。後は今この屋敷にいる全ての使用人を庭に集めて下さい」

「全て……ですか?」

「えぇ。全てです」


 ニッコリと笑みを浮かべて言う私に、一瞬困惑するような表情を見せたルートヴィッヒでしたが、直ぐに顔を引き締めてスッと立ち上がり「畏まりました」と返事をして、クルリと踵を返します。


 ――十分後。

 庭にはルートヴィッヒを含め、総勢三十人もの使用人達が集まっていました。

 理由も告げられずにルートヴィッヒによって集められた使用人達は、皆一様に首を傾げていましたが、私の姿を目に捉えると急に訝しげな表情に変化していきます。


「皆さん。忙しい中、集まってくれて有難うございます。今日は私から皆さんにどうしても一言だけ伝えたいことがあり、こうして集まっていただきました」


 皆が眉根を寄せて私に視線を向けていました。

 使用人の中には、「どういうつもりだ」と言っている者もいるようです。

 使用人達一人一人の顔を見ながら、語りかけるように話し始めました。


「私は今まで意味もなく皆さんに当たってきました。皆さんは公爵家に雇われているという立場上、私に逆らうわけにもいかず、私の理不尽な振る舞いに歯を食いしばって耐えた者、耐え切れず涙した者もいるでしょう」


 私の言葉に、皆一斉に歯を食いしばり厳しい表情をしています。

 中には俯いて涙を零す者もいました。


「自分の境遇に甘え、いつまで経っても異能を発現出来ないからと周囲に当たり散らし、わがままにわがままを重ねてきた結果、皆には本来かけずともよい苦労をかけてしまいました。既にこの屋敷にいない者も数名いますが、その者達を含め、皆には本当に悪いことをしてしまったと悔やんでいます。――今まで本当に申し訳ございませんでした」


 使用人達の前で精一杯の謝罪を込めて私は深く、深く頭を下げました。

 少しの間をおき、頭を上げるとそこには驚きに染まった使用人達の顔がありました。


「こうして謝ったからといって、今までしてきた行いが、苦痛を感じた過去は消えません。――だから皆さんに許して欲しいと言うつもりは毛頭ないのです。私が望むのはただ一つ。これからの私の行いを見ていて欲しいということです」


 使用人達の間でざわめきが広がっていきます。

 ルートヴィッヒは不安そうな表情を浮かべて、私の方を見ていました。


「学園に入るまでの三ヶ月。私は必死で勉学や礼儀作法、そして異能発現の為の訓練に励みます。過去に勝る未来を築くよう努めます。そんな事が出来るはずなどないと思う者もいるでしょう。ですが、私はきっとやり遂げます。アデル・フォン・ヴァインベルガーの名にかけて、やり遂げてみせると、この場にいる貴方達に誓いましょう」


 名にかけて誓うというのは、この世界ではかなり重い誓いのはずです。

 実際、ルートヴィッヒを含めた使用人達全員が目を大きく見開いているので、間違いないでしょう。


「今日のこの誓いを胸に私は頑張りますので、どうか見ていて下さい。私がヴァインベルガー公爵家継嗣として本来成すべきことを為す姿を。――――これが、今日皆さんに集まってもらった理由です。貴重な時間を割いていただいてありがとうございました。さぁ! 仕事に戻って下さい」


 最後に終わりの言葉を紡いで、もう一度使用人達に深く一礼をすると、直ぐに解散するように促します。

 時間にすると数分程度ですが、集まるまでの時間を含めるとかなりの時間、拘束してしまいましたからね。

 使用人達はお辞儀をしながら庭を後にしていきます。

 少しは信じてくれる者もいるといいのですが。

 

「アデル様」


 ルートヴィッヒが歩み寄ってきました。


「何ですか?」

「大丈夫です、きっとアデル様のお気持ちは使用人達の心に届いていますよ」

「ふふ、そうだといいのですがね」

「間違いなく届いていますよ。この私に届いているのです。他の使用人に届かないはずがございません」

「ルートヴィッヒ……ありがとうございます」

「いえいえ」


 ルートヴィッヒに礼を述べると、彼は優しい眼をして私に笑いかけてきます。

 うん、これなら頑張れそうですね。





 使用人達を前にした誓いからの三ヶ月は、とにかく勉強、礼儀作法、異能発現の訓練の日々であっという間に過ぎていきました。


 あ、加えて食生活の改善と筋力トレーニングも行いました。

 流石にあの身体では見苦しいにも程がありましたしね。

 せめて六十キロ程度にはしないといけないと思い、皮が弛まないように細心の注意を払って一ヶ月十キロを目標に取り組むと、身体は徐々に痩せていきました。


 やはり食事の量と適切な運動は大切です。

 次第に変化する服のサイズを見て、痩せている実感が湧き、もっと頑張ろうという気になりました。


 勉強と礼儀作法も順調だったのですが、異能の発現だけは上手くいきません。

 魔力を調べるだけでは、本人がどんな異能を持っているかの判断が出来ないそうです。


 人の数だけ異能があると言われているくらい、異能の種類は多いようで、何がきっかけで発現するかも定かではないそうですし、簡単に発現しているのであれば、元のアデルも良い子だったかもしれません。


 私を見るディクセンとアリシアの目は冷ややかなものでしたが、使用人達は最初に挨拶をしたのが功を奏したのか、殆どの使用人が好意的でした。

 一部、最後まで私に好意的でない使用人もいましたが、それも仕方の無いことでしょう。

 どうしても許せない事だってあるはずですし、三ヶ月という短い期間で人はそう変わるはずもありません。


「そうですよね、ルートヴィッヒ?」

「何がそうですよね、なのか分かりかねます、アデル様……」

「おっと、心の声の続きを貴方に話していたようです、失敗失敗」


 そう言って軽く笑みを浮かべます。

 私の顔を見たルートヴィッヒは、途端に顔を背けました。

 若干顔が赤いような気がするのは気のせいでしょうか?


「……アデル様。そのように唐突に笑みを浮かべるのはお止めになった方が宜しいかと」

「? 何故です?」


 小首を傾げる私を見て、ルートヴィッヒは大きな溜め息を吐きます。


「アデル様は三ヶ月前とは違うのです。もう少しご自身の御姿というものを自覚して頂きませんと困ります」

「そうですかね? 確かに目標値に痩せはしましたけど、そこまで変わったようには見えませんよ」

「……本気で言っておられますか?」

「えぇ」


 頭をガックリとうな垂れるルートヴィッヒ。

 何をそんなに落ち込むことがあるというのでしょう?

 すると急にルートヴィッヒは立ち上がり、部屋に立て掛けてある鏡を持ってきました。


「この御姿を見てもそこまで変わっていないと仰りますかっ!」


 鏡に映っている私の姿は――樽、のような体形ではなく、スラッとしています。

 顔も以前とは比べるべくもなくホッソリしており、まるで貴公子のように見えなくもありません。


「う~ん、貴公子のように見えなくもないですが、私の気のせいでしょうか?」

「そんなはずがないでしょう! 誰が見ても今のアデル様は貴公子にしか見えませんっ!」


 私が貴公子?

 大声で主張するルートヴィッヒに、私はやはり首を傾げるのでした。

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