最終話:走り続ける少年

 ビーン家の一件があった翌日、早速に宝石は換金されていた。小さなテーブルでは乗り切らないほどの金貨が、目に眩しい。


「どうしてこのテーブルに広げるんですか。向こうの大きいテーブルにすればいいのに」

「このほうが、いっぱいある気がするにゃ?」

「実際にいっぱいあるんだから、いいじゃないですか……」


 分け前として、ボクもフラウも金貨一枚ずつを貰った。フラウは「こんなに貰っていいの?」と言っていたけれど、遠慮することはない。

 彼女の仕掛けた罠に助けられたのは、ボクだけではないのだ。


「フロちが居るとアビたんも張り切るから、助かるのにゃ」

「そんなこと。アビスは頑張りやさんですよ」


 にゃにゃん、と団長は笑う。「知ってるにゃ」とも付け加えて。

 悪戯っぽい笑みはすぐに薄らいで、優しい微笑みに変わった。その目がボクとフラウとを交互に見るのが何だかくすぐったい。


「もう、何ですか」

「いやにゃ。本当にアビたんは変わったと思うにゃ」

「そうですか? そんなことはないと思いますよ」


 好きな人と出会って変わったなんて、その人を前にして言われたら恥ずかしくて堪らない。

 だから事実はともかく、まずは否定してしまった。なのにフラウは興味を隠さず、「そうなんですか?」と聞いている。


「アビたん、あたしに逆らったことなんてなかったにゃ?」

「え……まあ」


 殴りかかってしまったことを言っているのだろうか。あれはもう、これでもかというほどに謝った。お詫びに要求されたおやつなんかも、あれこれ買ってきた。

 いい加減に水に流してもらえれば、と思わないでもない。


「このアジトでも戦場でも、あたしは何度か、フロちを諦める選択肢を出したにゃ。でもアビたんは、どうしても嫌だと言ったにゃ」

「ああ──」


 どうも思っていたような、からかわれる話ではないらしい。ちょっとした思い出話をするように、団長自身も色々と振り返りながら話しているようだった。


「そもそも、これが欲しいってはっきり言われたのも初めてにゃ」

「私を──?」


 フラウの顔に、表情はまだ硬い。今の問い返しが驚いたのか照れているのか、嫌がってはいないと思うけれども。その辺りも分からない。

 団長は頷いて答えて、フラウの頬に手を添えた。


「だからあたしも、フロちに会えて良かったのにゃ」

「そういうのは恥ずかしいですから、ボクの居ないところで言ってもらえませんか──」


 耐えかねて言うと団長はくるりと回って、フラウを両腕の中に収める。表情は一転して、またいつもの笑みだ。


「フロちフロち。アビたんが団員のみんなを、どうやって呼び分けてるか知ってるにゃ?」

「呼び分け? メイさんと呼んだりトンちゃんと呼んだり、距離感の違いですか?」

「そういうことにゃ」

「分かりません」


 内緒話をする体で、団長はフラウに耳打ちをしている。でもそれにしては声が大きくて、声を包むための手もどちらかというとボクのほうに向いていないか。


 いやそれは団長にも言った覚えはない。気付かれているとも思っていなかった。からかうために適当に言っているのだと思いたいけれど、どうもそうではないらしい。


「あたしが呼ぶのと、一緒なのにゃ」

「団長さんが?」

「メイみたいに呼び捨てていたら、メイさんなのにゃ。あだ名で呼んでいたら、同じに呼ぶのにゃ」

「なるほど……」


 ああそうだ。それぞれの人とどういう風に付き合えばいいのか分からなかったから、全部団長の真似をしていたさ。

 トンちゃんなんかもそう呼びたかったけれど、さすがに馴れ馴れしすぎるかなとも思っていた。だからあだ名で呼ぶのが、ついこの間からになったのだ。


「私のことも、フロちでもいいのよ?」

「フラウまで──」


 放っておくと、また何を言われるか分からない。フラウの手を取って、強引に団長から引き離した。


「もう行くよ。買い物があると言っていたよね」

「ええ。今日でなくてもいいけれどね」


 返事は聞こえなかったことにして、部屋を出ようとした。その背中に、「フロち」と団長のフラウを呼ぶ声が当たる。

 緩やかに止まって振り返るフラウを、さすがに引き摺るまで出来はしない。


「フロちに感謝してるのは本当にゃ。それに申しわけないとも思っているにゃ。なるべく早く、髪を伸ばせるようにするにゃ」

「ありがとう。でもこの髪も、涼しくていいわ」


 買い物を楽しんでこいと、団長は送り出してくれた。髪のことを、あんなにはっきりと口にするとは。

 それだけ実現が難しいと、団長も感じているのかもしれない。口に出すことで、うやむやにしないために。


「帽子を被る?」

「そうね。あまりじろじろ見られても、歩きにくいわ」


 フラウの部屋に戻って、彼女はすぐに帽子を選んだ。たっぷりと布地を使った白い帽子で、頭から首すじ辺りまでがすっぽり隠れる。


 たぶんこの国だけでなく、大陸西方の多くの国々で同じだと思う。成人の女性が髪を短く切っているのは、罪人の証だ。

 それも店先の物を盗んだとかでなく、人を殺したとか国に反逆したとか、重罪人であることが多い。


 フラウが自分で髪を切ってしまったのはどうしてだったのか、一度聞いたのだけれど分からなかった。

 でもそれはいい。もう過去のことだ。


 けれども今のフラウは、その時に切ったよりもまだ短い髪をしている。言ってしまうと、ボクよりも短い。

 背もボクより低いので、衣服を替えれば遠目には幼い男の子に見えるだろう。

 そういう見た目であれば、ユーニア家にも見つかりにくいだろうからと。


 アジトを出て、港湾区の午後の市に向かう。髪のことがなくとも、盗賊としては警戒心を持って出歩くことになる。

 フラウはまだ団員として認知されていないだろうけれど、この先きっとそういうことにもなる。


「フラウ。後悔していない?」

「何をかしら」

「ええと──まあ色々だよ。何もないならいいんだ」


 そう? とフラウは気にかけた様子はなく、目当ての露店の前に行った。違う土地から運ばれた装身具の店のようだ。

 そういった物に興味のないボクとしては、やはり女の子だなと当たり前のことを納得してしまう。


 にゃあ。と足元で声がして、小さなキトンに「お散歩かい?」と話しかけた。彼女はお腹が空いたと言ったので、持っていたお菓子をあげる。


「これはボクの好きな人が作ったんだ。きっとおいしいよ」


 彼女はもう返事をしてくれなかったけれど、おいしそうにがつがつと食べてくれた。


「あら。また別の女の子?」

「ええ? 人聞きが悪いな。確かに女の子だけどさ」


 買い物が終わったらしいフラウは、アジトに帰ろうと言った。もっと他に見たい露店もあるだろうに、目的の物を買ったらすぐに帰ろうと。

 人通りの多いところで、そんな話をしても仕方がない。言う通りに戻って、そのまま屋上に誘われた。


 前のアジトなら周りが見渡せたのだけれど、今のアジトはそれほどでない。近いところはほとんどが壁で埋まって、海がどんな様子かはかろうじて分かる。


「風が気持ちいいわ」

「そうだね──」


 屋上に柵や壁はない。かなり広いから、風に煽られたとしても多少は大丈夫だけれど。

 フラウは風上に向かって歩いて、かなり壁際まで行った。


「危ないよ」

「後悔なんてしていないわ」

「え?」


 一瞬、何のことか分からなかった。でもすぐに、さっきの質問の答えだと思い至る。


「あなたが連れ出してくれなければ、私はずっと彷徨っているだけだった。暗い道を、一人で」

「でもボクが盗賊でなければ、もっと明るい道を歩けたかもしれない。ボクでない誰かであれば、そうなれたかもしれない」


 僅かに見える海を背に、フラウはこちらへ体を向ける。後ろ足で歩きながら。


「フラウ、危ない」

「別の誰かに救われてほしかったの?」


 表情のない顔にさえ影が差して、ボクは彼女を傷付けたのだと知った。

 ボクはよく間違う。自分自身がどうするべきか、何をするべきか迷い続けている。


「それは絶対に嫌だ。ボクはもう、フラウが居ないなんて考えられない」

「私だってそう。私のような嘘吐きは、信用出来ないかしら」

「そんなことがあるはずないじゃないか」


 それは本心だけれど、疑ってしまった直後では説得力などありはしない。

 何を言えば、どう表せば君に伝わるのか。

 今まで使う機会のなかった心のどこかに、蹴りを入れて動かした。


「私が居なければ、またあなたも自由になれる。あなたに残った枷は、もう私だけだもの。あなたこそ、私と居ることを後悔しているかもって──」


 最後は言葉が消え失せた。泣いてはいない。いないけれど、ボクの目にはフラウの悲しみが見えた気がした。


「ボクも後悔なんてしていないよ。もしも君が居なかったら、君の居ない一生を過ごすくらいなら。

 もう一度あの戦争を、一人でだって駆け抜ける。それで君を救えるなら、ボクは何度だって、何だってしてみせる」


 それに、と。目を見張るフラウが、返事をする前に付け足した。


「言ったはずだよ。嘘ばかりの君を、ボクは守ると決めたんだ。これからも、ずっとね」

「アビス……」


 力をなくして、フラウはその場に座り込む。そのまま向こうに落ちてしまいそうだったので、短い距離を全力で駆け寄った。


「ごめんね、不安にさせて。ずっと──ずっと一緒に居よう」

「ええ、そうしましょう。そうしたいわ」


 抱きしめたフラウが、しばらくして肩を叩いた。気のせいかなというくらいに、そっと。

 どうしたかと顔を見ると、目を閉じている。


 ええと、これは……もしかして?

 考えてみると、そういう行為はしたことがない。薬を飲ませたのは別件として。でもここでそれくらいしなければ、大人の男としては格好がつかないのかもしれない。恥ずかしいとか何とかは、一旦捨て去るとしよう。


 ボクも目を閉じて、それでも薄っすら見えるくらいにして距離を測る。近付く顔と顔が、互いの上がった体温を伝え合う。


「あんっ」


 強い風が吹き抜けて、フラウが妙に色っぽい声を上げた。それで捨てたはずの恥ずかしさが戻ってしまって、顔を離す。


「帽子が……」


 フラウの被っていた帽子が、風に乗って飛んでいく。まだアジトの屋上だけれど、すぐによそへ行ってしまうだろう。


「任せて!」


 フラウをきちんと座らせてから、そう言って走り出した。


「危ないわ!」

「大丈夫、無理はしないから!」


 今ならどこまでも、誰よりも速く辿り着けそうな気がする。もちろんそれは気のせいだとも知っている。

 でも決して無茶はしない。ボクには、ボクを案じてくれる人が居るのだから。

 屋上に注ぐ光をいっぱいに浴びて、真っ白な服を輝かせる女性が。


─終─

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