第365話:ある夜の出来事
豪商ビーン家の屋敷。貴重品を集めた部屋の前に、ボクは居た。団長たちは部屋の中だ。
たくさんの小さな商店を騙して買わせた、商品の売上げ。それはざっと一万エアにも上るそうだ。
お金に出自が記録されているわけではなし、そんな額を持ち運ぶのも嵩張って仕方がない。
だから保管庫を蹴り破って散らばった宝石を、適当に拾い集めている。
「居たぞ、やっぱりあそこだ!」
建物に入るのもこっそり静かにではなかったので、すぐに見つかった。団長たちはボクを置いて、派手に窓を破って夜の闇へと消えていく。
「外へ逃げたぞ、追え! まだ残っている奴が居るかもしれん、お前たちはそっちだ!」
追っ手の一部が、荒らされた部屋の中を覗く。誰も残っていないことを確認すると、屋外へ追っていった人たちとは別の方向へ駆けていった。
その中の一人は、なぜかこの場に残る。
「おい、大丈夫か」
その人が声をかけたのは、床に倒れている少年。この屋敷の使い走りの服を着ている。
まあ、ボクだ。
「はい大丈夫です。すみません、たまたま通りかかったら、こんなことに」
殴りつけられたところを痛がる演技で、頭を押さえる。
「おい、本当に大丈夫か」
「──ええ、たぶん。メイドの誰かに見てもらいますから、あなたもあいつらを追ってください」
俺が呼んでくるからお前は動くな。と、その人は言って去っていった。近くにある階段を降りたので、踊り場に転がされているこの部屋の見張りたちにも気付くだろう。
またすぐに人が来るのは間違いない。ボクもすぐに逃げなくては。
団長たちは保管庫から宝石を奪いはしても、持ち去ることはしなかった。だから万が一に捕まったとして、盗品は見つけられない。
宝石は、まだこの部屋の中にある。破壊された保管庫の破片の下から袋を取り出して、ボクも屋敷を出た。
音を立てず、静かに移動するだけならボクにも出来る。団員のみんなには敵わなくとも、ハンブルに気取られない程度には。
屋敷の外には、騒ぎを聞きつけたらしい港湾隊がもういくらか集まっていた。幸いにも見知った人は居ないので、そそくさと路地裏へ逃げ込む。
日常で歩き慣れた、古街区や旧街区のとは違う。人そのものや、生活からはみ出た残滓が数多い。
決して慌ててはいけない。ちょっと急いでいるだけなんです、くらいに早足で。
大きな建物のある辺りを抜けて、酒場や商店が増えてくる。深みのない、薄っぺらい音が響いている。港湾隊の呼び笛だ。
ボクが逃げるのとは見当違いの方向ばかりで、みんなまだまだ追いかけっこを楽しんでいるらしい。
「そこの君、ちょっといいかな」
大きめの通りを横切って、また路地裏へ入ろうとしたところで後ろから声をかけられた。聞き覚えのある、会いたい気持ちはあってもここで会ってはいけない相手の声だ。
「港湾隊は、十人隊長筆頭のミリア=エルダと言います。君のような身なりのいい少年が、そんなところを歩いては危ない」
どうしたものかな。このまま走って逃げるのでもいいのだけれど、それではあまりに世知辛い。
「ミリア隊長でしたか。体調など、お変わりないですか」
心臓が激しく鼓動を打っていることなどしらばっくれて、世間話に応じるくらいの気軽さで返した。
同時に振り返ったボクの目には、顔を認めて微笑む彼女が映る。
新しい部下だろうか。知らない顔の男たちを三人連れて、その中の一人が「お知り合いですか」と尋ねている。
いや。と答えていても、視線はボクにまっすぐ突き刺さったまま外れない。
まんまるな瞳に、何か意味はあるのだろうか。少し前ならそれも分かったかもしれないけれど、今は全く伝わらない。
「小官も、多少は名が売れてしまったということでしょう」
「なるほど。このような小間使いまでとなると、有名税を納めねばなりませんな」
若いのにおっさん臭い冗談を言う部下には構わず、ミリア隊長の顔に笑みが増していく。
いつかどこかで見たような、にやりと皮肉の効いた表情。
「ミーティアキトノだ、捕縛せよ! 増援を呼べ!」
冗談を言った部下が慌てて笛を取り出そうとする間に、ボクは路地へと走り込んだ。追っ手が付いた以上は、直線で逃げるわけにはいかない。もうすぐ旧街区に入るというのに、かなりの回り道をした。
どんな事態にも臆することなく、諦めることをしない。彼女の恐ろしさは、知っているつもりだった。
けれども実際に追われてみて、それがつもりだったと痛感する。
小路を駆使して逃げ回っても、視線を切って高所に逃げても、いくらかするとまた後ろに居る。キトルの耳か、ギールの鼻か、そんな物でも付いているのではと疑うほどにしつこい。
「まさかギールと結婚したお子さんですか!」
「なっ──ななななな、何をっ!」
動揺でもしてくれればと思って言うと、期待以上に慌てているようだった。でもなんだか嫌な予感もして、予定していなかった曲がり角を折れる。
一瞬遅れて、ボクの居た場所を投げナイフが過ぎ去っていく。
「危な……」
余裕を見せている場合ではなさそうだ。旧街区でも、放置された建物の多い辺りへと移動する。
「よし、区画整理の手伝いだ。邪魔な物は破壊しても良し!」
「荒っぽいなあ──」
息を切らして、ぜえぜえとさえ言えなくなりつつある部下たち。それでも命令には従って、一見して廃墟と分かるような建物は蹴倒されていく。
ここまでされるとは予想していなかった。このままだと、逃げる段取りが狂う。そう思っているところに、またミリア隊長の声が轟く。
「きっ、きさま! そこで何をしているか!」
「ありゃ、気付かれたにゃ」
どうも団長は、建物を壊すのにちゃっかり参加していたらしい。
剥がれた土壁を塗り直すのに、槌で壊すのなんかは面白い。たぶんそういう感じで、やってみたくなったのだろう。
「見つかったから逃げるにゃ」
「だんちょお、りょうかいみゅ!」
向こうでまだ、どっかんどっかんと壁を蹴っていた一人が振り向いた。そのメイさんと団長は、それぞれ違う方向に逃げていく。
「ちいっ! 追え!」
二人にも人員を割いて、ミリア隊長は団長を追うのだと思った。しかし続けてボクに向かってくる。
「盗品を持っているのはあいつだ! 絶対に逃がすな!」
なんでばれているんだ。
いい加減にどうにかしなければまずい。焦るけれど、この人数ならどうにかなる。
いよいよとなったら、ここへ逃げ込むと決めていた一帯がある。やはり廃墟の多い付近で、人通りもない。
「路地が細い、見失うな!」
走ってでは二人並べない通り。そこに小さな水溜まりがある。ボクは避けて走り、続く港湾隊の誰かはそれを踏んだ。
「ごふっ! た、隊長!」
水溜まりからはもくもくと煙が上がり、既に息切れの激しい隊員たちは胸いっぱいに吸い込んだだろう。
あれを吸うとしばらく咳が止まらなくなって、全力で走るなど到底出来ない──と聞いている。
ちらと後ろを窺うと、ミリア隊長は避けたらしい。
やれやれ、あれは使いたくなかったんだが。と気を重くしながらも、使わないわけにはいかないようだ。
窓や出入り口の扉は全てなくなっている家屋を抜けて、中に下がっているロープを引いた。
ボクの走った数歩あとから、大量の液体が流れ落ちてくる。勢い止まらず、全身に液体を被ったミリア隊長は「これしき!」と前に出た。
──が、そこまでだ。
足元には、ロープの切れ端やらボロ布やらが撒いてある。そのことごとくが彼女の脚に絡みつき、転ぶ。転べばまた腕や胴体、顔にまでもゴミ屑が纏わり付く。
「何だこれは!」
「水ですぐ落とせますよ!」
一応の対処だけは言い残して、ボクはとっととその場を離れた。
そこからアジトへと戻る道中、また一人の女性が待ち受けているのが見える。
「うまくいったかしら」
「うん、すごくね。助かったよ」
怪我を負わせることなく、無力化させる罠。その恐るべき製作者は、「そう、良かったわ」と淡々とした感想だけを言った。
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