第364話:執事のお仕事ー18

 サマムでの対面から、十日ほども経ったある日。崩された城の主要部とは離れていたために、ほとんど被害のなかった別棟に執事は居た。

 上級兵士の宿舎などに使われていたらしく、仮の住まいとするには申し分ない。しかし首都に残してきた邸宅と比べると、手狭ではあるし建具なども質が劣る。


「閣下。ここでの寝起きも幾分か過ごされましたが、不都合などございませんか」

「いや、これというものはない。便所や洗い場が、いちいち遠いのが面倒なくらいだ」

「畏まりました。その点、図面を再確認しておきます」


 以前のこの土地の領主。サマム伯は、形式や威厳を保つことに熱心だった。だから水回りは下賤の人間が使う物として、宿舎であるこの建物にも圧倒的に数が足りない。

 対して今回の反乱に関する褒賞によって、この地の新たな領主となった主人。こちらは時間や資金を合理的に使うことを良しとして、無駄を嫌う。

 だから例えば自身の着替えを手伝う者は至極少数を用い、排泄物を入れる用箱ようばこを持ち歩く人員などは不要と考えている。


 主人は領地経営について、問題点の改善と新計画の立案に忙しい。折角手に入れた土地を、運営の失敗などというつまらぬことで失うわけにはいかなかった。

 まずは足元を固め直すこと。それがなければ計画の次の段階には進めない。

 であればと維持管理に関することは、執事に任されている。主人に取って領地を守ることは当然に重要だが、最重要ではない。

 つまり城を新造することも、執事の仕事だった。主人の意向を反映した建築を行うなど、なかなか機会があるものではない。


「それでは私兵団の募兵。影の増強。築城の計画について、最終案は明日みょうにちのご確認をお願い致します」


 年甲斐もなく張り切っている自身に気付いて、執事は気持ちを引き締め直した。そのために主人の前を辞してすぐ、手袋も取り替えた。


 執事が書類を確認するスペースは、建物の入り口と主人の執務室とのちょうど中間辺りに用意した。長廊下の途中にある小さな部屋で、倉庫という名のゴミ置き場になっていた場所だ。


「シャナルさま。一つ、伺ってもよろしいでしょうか」


 事情を知らない兵士たちからも、事情を知っている影たちからも、セクサは執事の妻と認識されていた。

 当初は若干の抵抗を示していたものの、最近では最早諦めている。妻と認める根拠はあっても、妻でない根拠は見つけられないのも実情だ。


 そうなると、逆に公の場所には顔を出しにくい。だから執事が一人で作業をするところには、必ずと言って良いほどにセクサの姿があった。


「構いませんよ。何でしょうか」


 それにしても質問とは珍しい。

 執事が命じた詳細を確認するようなことならばこれまでもあったが、何のきっかけもなく彼女から発信するのはあまり記憶にない。


「閣下はなぜ、この計画に拘られるのですか? 現在の傷付いた首都防衛であれば、時を置くよりも確実とも思えるのですが」

「ふむ。急にどうしました?」


 質問の内容は、もっと珍しかった。全てではないにしても、影の中でも執事の次に位置していたセクサにはある程度の計画を説明してあった。


 彼女は家臣としての分を知って、情報を与えられないことにも意味があると理解していた。だからそこを踏み越えた質問など、これまでに一度もしたことがない。


「私は、影ではあり得なくなりました。今はシャナルさまの妻として、女の幸せもいただいております」


 妻という身分に拘るなら、その事実はない。と考えはするものの、それを言っていては話が逸れてしまう。

 この積み重ねで状況的にも理屈的にも、立場を固められてしまった気がする。

 これも策なのだろうか。


「ですが、だからこそ。好いた方が何をしていらっしゃるのか、深く知りたいと思いました。中核には居ないからこそ、惚れた女の我儘として見逃していただけるやも。

 と、小賢しく考えてもおります」


 惚れた女とは、執事がセクサに惚れているということだろうか。それも口にした覚えはなかった。

 無碍に否定するつもりもなかったが。


「それで答えるには、なかなか重い質問ではありますね」

「そうであれば、馬鹿な女が口を滑らせた。と、一笑に付していただければ幸いにございます」


 手を止めて、考えた。

 どう言い訳をしようと、セクサは執事の妻以外の何者でもない。

 妻とは何か。男と女が、感情を理由にして所在を同じくする契約だ。契約であれば、それが破綻する可能性も存在する。


「いいでしょう、お答えします。ただしこの場以外に漏らせば、私があなたの命を奪うことになります」


 この念押しに、セクサの返答は得られなかった。顔も体も、視線も全てがこちらに向いているので無視したのではない。

 しかし返答に困っている様子でもない。

 表情は以前からのまま、落ち着いていて冷えた美しさがある。


「これは私があなたを好いているとかいないとか、それとは無縁の話です。私はこの家に仕えるために生まれ、この家に生かされているからです。分かりますね?」

「──はい。十分に」


 例え本物の夫婦の間であっても、どれだけの気を遣うべきか唯一の正解など存在しない。表向きには横暴尊大に見える男も、妻には全く頭が上がらないというのも珍しい話ではない。


 けれども追加した釈明は、甘やかしすぎたのだと執事は悟った。セクサの顔には、僅かながらも喜びを感じさせる笑みが溢れていた。


「ユーニア家が正しく持ち得る力。それを取り戻すのが最終の目的であることは、お話しましたね」


 肯定するセクサには、もう笑みの欠片も残っていない。残った左腕に武器を持たせれば、執事を殺せと命令しても従いそうだ。


「まずは領地。これがなければ、私兵を蓄える場所も目的もありません。次には公に使える資金。それがあれば、はかりごとであれ何であれ選択肢が増えます」

「それは理解出来ます。しかし力を以て成すのが唯の条件ならば、今も十分に機会であると考えます」


 セクサの発言は正しい。ハウジア王国の軍事力は、大きく損なわれている。しかし隣国がそこにつけこむには、危険が大きい。

 仮にラシャ帝国が、首都リベインを陥落させたとする。それは不可能ではないだろう。だが地力で劣るラシャ帝国の軍勢も、壊滅に近い打撃を受けるに違いない。


 けれども首都の直近にある領地から、また直接に首都を急襲すれば。ハウジアの国力を、それほど傷付けることはないだろう。


「いいえ」


 首を横に振った執事に、セクサは疑問を示さない。そうしてしまうことが、彼女には不忠なのだ。

 理由もなく疑問を残したままにする人間だと判断した。そんな風に考えられたくはないのだと執事は知っている。


「思い出してください。ユーニア家の先祖は、どうやって街を奪われましたか」

「突然に訪れた軍勢の武力によって、為す術もなく」


 問われると知っていたかのように、間も淀みもなくセクサは答えた。そしてまた一秒の半分にも満たない間だけを持って、視線に力がこもる。


「まさか──正面対決を」

「そうです。ハウジア王国そのものを捩じ伏せる力を持ち、力づくで勝利すること。それが正しいと閣下はお考えです」


 国同士が争うのにも、奸計は付き物だ。そういった類は構わないが、勝利を決定付けるのは戦闘の勝利でなければならない。

 当代当主、執事の主人であるブラセミア・アル=ユーニアは、そう考えている。


 無謀ではあるだろう。何年を費やすかも定かではない。しかし可能性はあると思えた。現に先代などは夢にも思わなかった、領地を得ているのだ。


 更に更に。本当に正直なところとなれば、恥ずかしくてセクサにも言えない。


 幼いころから見守ってきた坊っちゃまが、いじめっ子を殴り返しに行くと仰るのです。

 それを見ていてくれと、この爺に仰るのです。

 どうしてその頼みに、否と申せましょうや。


「承知致しました。お家の大事を明かしてくださいまして、ありがとうございます」

「いえ。あなたには、頼らなければなりませんからね」


 頭を下げたセクサは、まだ執事から視線を外さない。どうもまだ何やらあるようだが、聞かないほうが良い予感がした。

 しかし都合の良くない話であれば、今この時に済ませたほうが良いと思える。

 執事は先延ばしにすることが嫌いだった。


「何かあるなら、聞いてください。今なら大抵のことにはお答えしますよ」

「左様でございますか。では遠慮なく」


 セクサの口角が、また少し上がった。ついさっき、垣間見た女の顔だった。


「先ほどごまかされましたが、シャナルさまは私のことを好いてくださっているのでしょうか? それとも──」


 それなりに長く彼女を見てきた中で、かつてない追求が執事を襲った。

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