第358話:伝わらない言葉

「親子の語り合いということですかにい。それにしては、無粋な面持ちの気もしますにい?」


 面持ちと言うなら、それはよほど夫人のほうだろう。トンちゃんやメイさんを見る目が、汚い物を嫌々に見るようなそれだ。


「ご存知の通り、ボクは腕っぷしに自信がありません。ここまで来る間に捕まって、摘み出されてもつまらないですからね」

「そう考えたのは、分かりますけれどにい」


「あなたの下から逃げ出したあと、頼れるようになった人たちをついでに紹介しているとでも解釈してください」


 このやり取りの間に、トンちゃんがボクたちから少し離れた。彼女ならひと息どころか、その三分の一にも満たない距離だけれど。

 もちろんメイさんも一緒に引っ張っていったので、威圧的なことが問題であればかなり違うだろう。

 あくまで気分の問題でしかないが、向こうだって操り人形マルネラを隠しているに違いないのだ。


「まあ、良しとしますにい。それにしても、その娘さんを連れてきても良かったのですにい? 子爵に告げ口するとは、思わなかったのですにい」

「告げ口するかは分かりませんが、連れてくるのとこないのは変わりないでしょう」


 カテワルトに戻ってきてすぐに、監視が付いたのは気が付いていた。

 街に入るには団員しか知らない通路を使って、アジトまでも人目に触れにくい道を選んだ。


 それでもすぐに気付かれたとなると、まず港湾隊ではない。

 それから気配の消し方で、子爵の配下である影たちでもないと思った。彼らは完全に気配を消すようなことをせず、周囲に溶け込もうとする。


 だからそれは操り人形。とは確定出来ないのだけれど、最近でそんなことをされる相手は他に心当たりがない。


「どうしてそんな風に思うのか、さっぱり分からないですにい」


 子どものころから、見慣れた顔。それ以外の表情もあるはずだけれど、この人の顔といえばこれだった。

 微かに微笑んではいるのだけれど、およそそこに感情など働いていない。


 巨額を動かす時にも、他人の財産を奪い取る瞬間にも、その場の命を全て奪えと言った時にも。

 当然に、出された茶がおいしいと世辞を言う時にも。

 いつもその顔だった。


「母上。ボクはこの家が嫌いです。稼業も、人も、何もかも。それは全て、あなたに繋がっているから。あなたの意思そのものだから。

 ボクを駒取りボードゲームの駒のように思うなら、まだ良かった。あなたに取って、ボクは道端の石ころだ。

 あなたは拾って人に投げつけるけれど、その石がまた自分の足下に戻ってくると思っている」

「それがあなたの生き方だったですにい?」


 確かにそうだ。今更事実確認などして、どうしたのか。夫人の顔には、そう書いてある。


 言葉が通じない。察してくれとは言わないから、意味を理解するくらいはしてほしい。叶わないことだと分かっていても、そう思ってしまう。

 でも伝わらないんだよなと、踵を返したくなる。


「アビス、全部言いましょう。言いたかったこと、もしかしたらこれが最後の機会かもしれないわ。中身が良くなくたって、そもそも出来ないよりはずっといいはずよ」


 次を言うのに、少しの間が開いた。無意識に背中を向けようとしていたのかもしれない。

 凛と張った声でフラウが言ってくれて、揺らぐ気持ちがまっすぐに立ち戻る。


「いいことを仰いますにい」


「ボクの生き方じゃない。あなたがそうと決めただけだ。あなたはそうしろと誰に言ったわけでもない。あなたがボクをそう扱うから、周りの全てが同じになっただけだ」

「ですから、あなたは息子なのですにい。母が息子をそのようにして、何がおかしいのですにい?」


 同じことの繰り返し。大丈夫。フラウが居る。そっと腕を取ってくれたフラウの温かさが、ボクに勇気をくれる。


「ええ、おかしくはありません。母上がそう思うことそのものまでを、否定する気はありません。人は誰しも、他人の気持ちや考え方を支配することは出来ませんからね」

「そう思うなら、素直に後継者になってほしいものですにい」


「聞こえませんでしたか。人は誰しも、です。だから当然、あなたがボクの気持ちを支配することも出来ない。

 あなたがどう思おうが、ボクはそれが嫌だと言います。強行するなら、暴れてでも逃げ出します」


 ふっ。


 と、聞こえたのは空耳だろうか。いや、そうではないらしい。

 笑っている。悪名高きアレクサンド商会の会頭。貴族たちからさえ、氷麗夫人と噂される人が。


「ふ──ふふ。ふふふふ」

「……何がおかしいんです」


 あくまでしなやかに、優雅な仕草で口元を手で隠す。指の間から溢れる笑声は、ともするとすすり泣きのようにも聞こえる。


「いえ、こちらのことですにい。それで言いたいこととは、終わったのですかにい?

 それなら早速、ユーニア閣下に連絡をしなければならないですにい。

 あなた方には少しの間、おとなしくしていてもらうですにい」


 夫人の指が擦れ合って、ぱちりと音を鳴らす。同時と言って良いくらいに隙間なく、天井付近から男たちが降ってきた。

 壁や天井のどこにも、人の隠れられるような空間などありはしないのに。

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