第340話:沈黙と崩壊

 どれだけの沈黙があっただろう。

 ボクはフラウの背中に手を当てて、彼女はずっとボクの腕と手を持って、互いを庇うようにそれを見守っていた。


 いや。そう言えば何だか格好良いものに聞こえてしまうかもしれないけれど、結局のところ僕たち二人は無力なのだ。

 この場の方向を変える何をも持たない二人が、身を寄せ合って嵐が過ぎるのを待っているだけだ。


 フラウのことだか、自分のことだか、それとも団員のみんなのことか。成り行きを考えると、怖くて仕方がなかった。


 怖い? 何がだろう。

 ふと自問した。


 フラウを失うことや、自分のこれからが突然に閉ざされることはもちろん怖い。

 団員たちにボクを発端として迷惑をかけてしまうと思ったら、それもやはり怖い。


 だからその、怖いって何だ。

 そう問いかけながら、ボクは直感していたのだろう。明確な言葉になっていなかっただけで。

 ボクがボクのその感情に引っかかってしまったのはなぜなのか、これはいくらも時間をかけずに見つかった。


 そうか──ボクは今を失うのが嫌なんだ。


 団長を始めとして、ミーティアキトノのみんなが居て。フラウが居て。その境遇に居心地がいいと感じている。

 それはきっと、求めて悪いものではない。

 でも大事に抱えているだけで、守れるものでもない。


 そう思うと高く胸が鳴ってしまっているのが恥ずかしくて、それをフラウに知られたくなかった。


「どうしたの──?」

「ううん。ボクは駄目だなって、思ってしまっただけだよ」


 無意識に体を離そうとしていたのだろう。フラウがボクを引き寄せた。


「そんなことないわ」


 フラウはボクの胸に、頭を付けた。これでは動悸をごまかすことなんて出来るはずがなくて、逆にその小さな丸みを抱きしめる。


「ほら。こうしていると、暖かいわ」

「……うん」


 子爵と団長の膠着に、ようやく動きがあった。組んでいた両手を解き、整った襟足を撫でたのは子爵のほうだ。


「人と街と、個人の持ち物か。脅しに脅しを重ねるとは、安い交渉だな」

「効果があるなら、安かろうと高かろうと関係ないにゃ?」

「まあ、な」


 団長の表情を、子爵はじっと見つめていた。それは今だけのことでなく、きっと最初からだったのだろう。

 見通すように睨む格好は、意思を曲げないことの表れだと思っていた。


 でも、どうやら違う。

 深い穴に石を投げ込んで、深さを調べるように。今の言葉はそんな物だったのだと、その視線が語っていた。


「人を陥れること。はかりごとをお前たちは嫌う」

「よくご存知だにゃ」

「ならば答えは──」


 結論を出そうとした子爵に向けて、団長は「ちょっと待つにゃ」と、手を突き出して止める。


「その答えでいいのかにゃ。これは親切で言っているにゃ」

「その言葉が、計略などないと──」


 団長はまた、子爵の声を最後まで聞かなかった。代わりに「にゃおう」と、低く鋭く鳴く。

 窓の外で、答えるように「にゃお」と大きく声がした。それは順に遠くへ伝わっていって、すぐに聞こえなくなる。


「忠告はしたにゃ」


 団長が微笑む。

 普段の悪戯っぽくはあっても優しい表情ではなく、どこか高いところから見下ろすような笑みだった。


 轟音。

 爆発音だろうとは分かった。けれどもさっき聞いた、城の一部を崩したのとは全く違う。戦場で、影たちが使っていたのとも違う。

 でもどこかで、似たような響きを聞いた覚えがある。


 そうか、アジトだ。

 ボクたちのアジトが破壊された時。激しい破壊ではあっても、その音は押し潰されたようにくぐもっていた。


 それは一回だけでなく、地響きを伴って何度も起こった。それに建物が瓦礫と化す、あの忌まわしい音も聞こえた。

 重い石材と頑丈な木材とが、抱き合って地面に伏す。それは大地を削る音と合わさって、何とも不吉な音を奏でる。

 建物という命の終楽曲として、最悪に質の悪い音色だった。


「城か」

「お待ちください」


 方向と距離感。崩れる規模の大きさから、子爵の予測が間違っていることはないだろう。

 しかしヌラは大事であるからこそ確かめたかったのか、即答を避けた。


 またさっきと同じように、ヌラは両手を打ち鳴らす。どうやっているのか、その音はとても高くて通りがいい。


 すぐに影の一人らしい男が現れて、破壊状況が報告された。

 サマム領の主城、この町にある最も大きな建物。豪奢な領主の館でもある、アキュアマルテが崩壊したと。


「損傷の度合いは」

「倒れずにいる柱を探すのも、困難なほどにて」

「分かりました。ところで、レディンはどこに居ますか」


 誰のことだか、名を出すと男は表情を強張らせる。何かまずいことの、符丁だったのかもしれない。


「奴は持ち場に居るはずですが、たった今の確認は出来ておりません」

「そうですか」


 何かを諦めたように、男は跪いたまま首を垂れた。表情は見えないけれど、身を硬くしているのは見て取れる。


 次の瞬間。ヌラの手の先で、何かが素早く動いた。それは男の首に一瞬だけ閃いて、また消える。

 しかしそれ以上には、何も起こらない。が、ヌラはおもむろに男の肩を蹴った。


 男は力なく、ごろんと床に手足を伸ばす。醜く涎を流しているということもなかったけれど、その力の抜け方は死んでいるらしい。


「今度は入れ替わってはいないようですね」

「あの城をそこまで破壊するとはな。徹底したものだ」


 男の死はなかったことのように、主従は言った。ずっと子爵に感じているままの、冷たささえ感じない顔が二つあった。


「さて次は、どこを壊すかにゃ?」


 目の端に倒れた男を捉えている。それを不快に感じているのを、隠そうともしない。

 表情と声に怒りの成分を滲ませながらも、団長は笑って言った。

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