第341話:核心はどこに

「認めよう。私はその額冠と、フラウを手に入れなければならない」


 子爵が折れた。

 交渉に当たって。単に物を買う時にだって、そうだけれど。

 自分がどれほどの価値をその対象に認めているのか、明らかにするのは致命傷だ。その交渉には、敗北したと言っていい。


 しかし反面、不利益を被ってでもその対象に執着すると宣言したとも言える。


「もちろん街を破壊してもらっては困る。金銭的にか、その少年を見逃すか。その辺りと引き換えだ」

「どうして子爵が、この町を気遣うんです?」


 この問い方だと、子爵は自分に関係のないものを全て切り捨てる極悪非道な人と聞こえるかもしれない。

 まあ──そこは、そう受け取られてもいい。


 ボクが聞きたいのは、自分の物でもない場所をどうして守ろうとするのかだ。これまでのこの人の行動や、さっき言っていたこととは合わない。


「おや、アビたんは知らなかったのかにゃ? ここはもう、ユーニア子爵領になったのにゃ」

「えっ?」


 そうか、サマム伯は失脚した。ならば代わりの領主が立つのは当たり前だ。

 面会の場所についてアレクサンド夫人からの連絡を受けて、最近はサマム伯と親しくしていたのかとしか思わなかったボクが浅はかだった。


「盗賊であっても、世間で何が起こっているかくらいは把握しておけ。扉を開けた途端に、政争の真っ只中ということもあり得るだろう」

「あっ、はい」


 やれやれそんなことも知らないでいるのかと、指摘した団長でなく子爵に説教された。

 言っていることに間違いはなくて、思わず素直に返事をしてしまった。


「私はお前の師匠などではないのだがな」

「ああ──ええ、そうですね」


 きっぱり言われて、これは笑ってごまかすしかなかった。この状況ではあるから、頬をひくつかせる程度に。


「額冠もフロちも、今更何の用があるにゃ。リマっちの反乱の証拠くらいにしかならないにゃ?」

「そんなことを教える必要はない。と、言いたいところだが。それこそ今更、お前たちに隠しても仕方がないな」


 曲芸師のように、団長は額冠を弄ぶ。短剣の刃に引っかけたまま、くるくると回して遊ぶ。

 この華奢な輪を砕くくらいはいつでも出来るぞと、それも圧力なのかもしれない。


「記憶を引き出すことが出来るのにゃ」

「人の意識を封じられるのだ。それを取り出す技術があっても、不思議ではあるまい?」


「待ってください! フラウは最近の記憶だってあやふやなんですよ。あなたに役立つような記憶なんて──」


 自身の過去について。リマデス卿との関わりについて。フラウはメルエム男爵の尋問を受けた。

 いや犯罪に関して話を聞くことを全て尋問と呼ぶだけで、実際には優しく質問されたのだけれど。


 けれど彼女の記憶は混乱していて、覚えていることを何でもいいから、順番も気にするなと言われても答えられなかった。


 彼女がまた同じことで、気を病む姿を見たくない。


「聞き出すのではない、引き出すのだ。頭の中身を入れ替えたのでもなければ、そう簡単に記憶は消えんよ」


 その方法は、どういうものなのか。聞きたかったボクに、子爵は皮肉な笑みを見せた。

 それは何だ。その笑いは、どういう意味だ。


「若いうちには、目の前のものが全てと思いがちだ。私もそういう記憶はある。もっとも、女に目を眩ませたことはないが」

「……それが。それが悪いってことはないでしょう。何かを欲しいと思うからみんな働くし、誰かを好きだと思うから子どもも産まれるんです」


「そうだ。そういう物を掠め取っていくのが、お前たちの仕事だ」


 くそ。

 だからどうしたと、開き直れないのを見透かされているらしい。主旨に関係ないことが分かっているのに、それでも正論だからと受け止めてしまう。


「ああ、すまない。盗賊という稼業が、正しくないとは言わんよ。他人の持ち物を羨み、奪いたいという欲求は誰にもある」

「おまいも似たようなものにゃ」


「あえて否定はすまい。万人が同じ価値観を持てるならだが、現実はそうでない。私は私が正しいと信じる道を行く」


 価値観というなら、もう平行線だと結果は出ていた。この場の交渉は、どちらかが妥協しなければ破局しかない。

 そもそも交渉の当事者であったはずのアレクサンド夫人さえもが、悠々とお茶を飲んでいる。

 どう転んだところで、自身が損をしなければいい。その計算が出来ている顔だ。

 ボクの記憶に、幾度となく登場する表情。


「つまり、その額冠と私が居る限り。アビスに平穏はないということ?」

「む?」


 ボクの胸に、頭を預けたままのフラウ。その口から、清流のような声が聞こえた。


 不意だったのだろう。子爵も咄嗟に答えかねた。

 それには構わず、フラウはそっと頭を起こし、椅子を立った。テーブルとテーブルの間から前に出て、団長の居る脇へと歩み出る。


 急にどうしたのか戸惑うのはボクだけれど、そんなことを言っている間もなかった。

 腕を離さずにはいてくれたので、情けないながらもあとを着いていく。


「どうも子爵は、そう仰っているようにゃ」


 横目でちらと覗くように、団長はフラウを見る。またその視線が戻されると、ようやく子爵が話した。


「あとあとまでを言えば、そうなるだろうな。見え透いてはいても、奇術の種をわざわざ明かされてしまったようで、何とも気恥ずかしいが」


 この場の交渉がどう運ぼうが、金銭のやり取りくらいしか信用出来るものはない。

 どんな約束をしていても、あとで気が変わったと言えば文句を言う筋合いは誰にもない。

 筋合いがあったとしても、その時には殺し合いになっているだろうからその暇もない。


 フラウはそれを言ったようだった。

 ここで額冠を渡したところで、ボクの命を奪わないと言ったところで、盗賊との約束など守る義理はないと言えばそれまでだ。


「それなら、私が命を絶ちます。それからその額冠も壊してしまえば、あなたがこちらに関わる理由はなくなるでしょう」

「フラウ、何を言っているんだ! 駄目だよそんなこと!」


 後ろから肩を抱いて、フラウの目を見る。

 駄々をこねて泣いている子どものような、透き通った眼差しだった。

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