第339話:条件提示
「そうか、分かった」
子爵に焦る理由はない。それでもほんの僅かだっただろう。そう返事をして、ヌラに何らかの指示を出すまでの時間は。
「あたしも、一ついいかにゃ」
脚を投げ出していた長椅子から、軽く床を鳴らして跳び上がる。
といっても天井の高さはそれほどでない。だからテーブルをぎりぎり越える程度の低い軌道を、長い髪を風に巻いた頭が過ぎていく。
「断る道理はないな」
「そうだにゃ。当事者に引き込んだのは、おまいのほうだにゃ」
ボクの前と子爵の前。それぞれあるテーブルの間に、団長は立った。
何を思ったか両手をいきなり自分の髪の中に差し込んで、鳥の翼のようにふわっと広げる。
いくらか首を左右に動かして髪を落ち着けると、それからようやく本題のようだ。
「話は簡単だにゃ。あたしたちはおまいたちの計画なんて、知らないことにするにゃ。おまいたちは、あたしたちに関わらないにゃ」
交換条件のように言っているけれど、十中八九は初めから興味がない。もちろんカテワルトに関わる直接的な何かがあれば、話は違うのだろうけれど。
「協力も妨害もしないということか」
「あたしたちに関わることが起きれば、火の粉は払うにゃ」
ここまでで聞いたことは、知らない振りをする。
でもまだ子爵の話は、そうしたいという希望であって、そこに具体的な行動は何も示されていなかった。
だからそこは約束の範囲外だと、姑息に張られた罠に子爵は気付いた。だからといって、団長は何も慌てない。
「こちらの要求は、計画に協力すること。その少年の命を奪うこと。フラウを返却することだ。条件が一つ足りないのではないかな」
「おや、アビたんの命はもう諦めたんじゃないのかにゃ」
「それは話の過程で、そうすることも可能だとなっただけだ。取り下げた覚えはない」
子爵の要求は三つ。ことの大小を考慮しなくて良いのかとは思うけれども。数えればそうなる。
対してこちらの出しているのは二つ。
計画に能動的な妨害をしないことと、人質にしているこの町と住人に危害を加えないことだ。
「建物と、人と、二つ助けるんだから二つに数えないかにゃ?」
「どちらか一方だけを破壊するなどと、器用な真似が出来るのならそれも考えよう」
にゃにゃと笑った団長は「じゃあ仕方ないにゃん」と、また髪に手を差し入れた。
「今からおまいの欲しい物を、出してやるにゃん。不思議な不思議な、奇術だにゃん」
「私の欲しい物? いくらかないではないが──」
じゃん、と。流れる髪の滝壺から滑り出てきたのは、額冠だった。よく見覚えのあるそれが、どうしてそこにあるのか。
思わず問いかけようとしてしまって、慌てて口をつぐむ。
「先のリマデス辺境伯の額冠、でございますね」
「確かか」
「ここから見る限りは」
輪の中に指をかけて、団長はぐるぐると額冠を回す。落としたらすぐに壊れてしまう宝物とかではないけれど、交渉の対象になっている物をよくそう出来るものだ。
そうすることで、相手に取ってその物がどういう価値を持つか知れることもあるけれど、今は絶対にそんなことは考えていない。
「これが条件の一つじゃ足りないかにゃ」
「いや、十分だ。本物ならばな」
ボクの認識が間違っていなければ、本物はオクティアさんが持ち去った。でもその場面を確かに見たわけではないので、実は団長が隠していたんだと言われればそうかと思える。
彼らは最初にボクが持っているかと聞いたくらいだから、もっと情報が少ないのだろう。
疑うのは、さすがとも当然とも言えた。
「リマっちのところで見つけたにゃ。誰かが被ってたわけじゃないから、本物かは知らないにゃ」
そうだ。あの額冠の真贋を見極めるには、誰かが被ってみるしかない。リマデス卿自身でさえ、そうしなければ分からないと言ったのだ。
「誰か適当な者に、被らせてみると致しましょう」
「ちょっと待つにゃ」
至極当然の対策を打とうとしたヌラを、団長が止めた。
なぜ止めるのか。そうしなければ話が前に進まないだろうにと、ボクなどは思ってしまう。
「あたしはこの、誰の物だか分からない額冠を条件にしているのにゃ。わざわざその価値が下がるかもしれないことを、認めないにゃ」
「それではこちらも、それを条件の一つと認めることは出来ないが。それで良いのかな」
当然に、そういう話になるだろう。
元から決まっていた段取りを踏むような、既視感だろうかと感じてしまうほどに予想通りの答え。
であればそれは、団長にもやはり予想通りであるらしい。
「じゃあ、これには用がないにゃ」
額冠から手を離して、素早く二本の短剣が抜かれた。極端に反った二本の刃が、それぞれ額冠を内側から引っ掛ける。
交差した腕をどちらかでも引けば、次の瞬間に額冠は輪でなくなる。
「これはあたしには、何の価値も無い物にゃ。本来の持ち主も死んでしまったし、壊してもおまいの他は誰も困らないにゃ」
「そうなるな」
団長は淡々と置かれた状況を話しただけだ。妙に感情を煽るような言葉や言い方は、何も混ぜなかった。
子爵もそれを、熱量の知れない目で見据えるばかりだ。
そこには必ずどこへか向いた思惑があるはずなのに、まるで読み取れない。団長には分かるのだろうか。
ただそれでも、互いが無言でいる時間だけは過ぎていく。
どちらがはったりを引っ込めるのか、音を上げるまでの争いがそこにあった。
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