第337話:子爵の展望

「どう思うかな」

「それではまるで──いえ、奴隷そのものじゃないですか」

「そうだな。それだけか?」


 百年。

 そんな長い時間を、そのセイムという人や仲間たちがずっと働き続けるのは不可能だ。となると生まれた子や孫たちまでが、自動的に同じ境遇になったのだろう。

 奴隷の子は奴隷だと、よく耳にする言葉のままだ。


 でもそうだとしたら、そんな人がいきなり子爵だとなって受け入れられるものなのだろうか。

 貴族の全てがそうだとは言わないけれど、名誉とか品格とか、上辺だけしか見ていない人が多いと思うのに。


「報酬とか、何かそんな物はあったんですか」

「ほう──この話に対して、その質問をしたのは君で二人目だ。多くは、ただ可哀想にと言うばかりでな。その実でどう思っているのやら、底の透けた人物が多い」


 つまり、報酬はあった。当人たちが納得していたかは別にして、その作業は刑罰や義務などでなく仕事だった。

 対価を得ての役目として、それを行っていた。


「そうだ。聡明なる建国王ラウジアは、これを職人たちへの労働として指示した。契約書も残っている」

「まだそこまでの力を持っていなかったんですね」

「うむ。これから周辺を切り取っていく。そうすれば、人も金も集まっていく。その地盤を作る人間にまで、必要以上の敵意を植え付けてはまずいと考えたのだろう」


 押さえつける武力に余裕がなければ、正当な報酬を払うほどの財力もない。だから飼い殺しにしたと。

 しかも契約書まであるとなると、それはやはり思った通りの事情がそのあとに待っているようだ。


「契約書だけで、その経緯は記録されていないんです?」

「王にしか閲覧を許されない書物もある。確実なことは分からない。しかしおそらく、そうなのだろう。先王もご存知でなかった」

「聞いたんですか」


 わざわざ自身に反乱の動機があると、知らせるようなことは言わないだろう。とはいえ、それこそ聞いてみなければ分からない。

 案の定、子爵は「まさかな」と失笑で答えた。


「君は思っていた以上に賢いようだ。それとも上司の教育だろうか」


 子爵は最初に座った椅子から、動いていない。序盤での交渉担当、というかアレクサンド夫人やボクたちの出方を見させていたヌラは子爵の後ろに控えた。


 夫人は夫人でまた元の椅子に戻っていて、ついさっきの生死がかかった時間は夢でも見ていたのだろうかと思いたくなる。

 ここまでの話で考えれば、要はそれが子爵のやり方ということだ。


 ボクとフラウはまだ落ち着けずに立ったままで、団長は図々しくも果実酒を求めてそれを飲み始めた。もちろん壁際の長椅子で、くつろぎながら。


「あとは彼女のような度胸が付けば、言うことはないが。君の推測は正しい、彼らは忘れたのだ。その結果として与える気のなかった爵位まで本当に与えるとは、皮肉な話だ」

「きっと真面目に、丁寧に、仕事をこなしたのでしょう。そこへ契約書があって僅かながらでも報酬が支払われれば、誰もがそれを日常としてしか見なくなる」


「ああ。決められたことを、決められた通りに。到るべき目標には、黙々と向かう。その姿勢は美しく、人とはそうあるべきだと私は思う」

「そのそもそもを忘れられた。なかったことのようにされたのを恨んでいる──のではないようですね」


 奴隷として扱われたことそのものを怒るには、世代が離れている。それも最後には国の事業を託された職人たちとして扱われていたのであれば、ますますだ。


「その辺りを口にして良いのは、仕打ちを受けた当人だけだ。特に最初の扱いが酷かったとは聞いているが、所詮は伝聞だ。私は恨みで動いてなどいない」

「概ねの価値観は理解出来ますし、同意できる部分も多いです。でも結局どうしたいのかという、あなたの欲求のところが見えてきません」


 卵や乳製品、トリートを合わせて焼けば菓子になる。黄と青の絵の具を混ぜ合わせれば、緑になる。

 子爵の話で、材料や過程はある程度が分かったのに、結果がまるで見えてこない。


 すみませんと謝ったことに、失望されるかと思った。別に信頼を買いたいわけではないのだけれど、またわざわざ荒立てたいとも思わない。


「簡単なことだ、君ならすぐに気付くだろう。この契約に、漏れがあると私は思うのだ」

「契約に?」


 子爵の先祖は、建国王に言われて岩盤回廊を整備した。それは命や財産を奪わない代わりに、差し出した労働力。

 実際には奪われた命も財産も、いくらかあったのだろう。監視役の兵士の素行まで、管理してはいないだろうから。


 しかしそこは問わないと子爵は言った。最終的に、その子爵位も下賜された。

 それなら問題は──いや、ここまでは契約書に書いてあるという内容のままだ。漏れがあるというなら、それ以外のことになる。


 人の命。貞操や持ち物。その他に奪われた物。


「……街ですか」

「その通り。君たちの住む、カテワルト。あそこがセイミアの町だ。私の先祖とその仲間が大きくした土地だ。私はそれを、返してもらわねばならない」


 数十人の人々が、数千の人口を持つ街を造っていった。そう口にするのは簡単だけれど、現実の苦労は途轍もないのだろう。

 その場所を無為に奪われたとなれば、補償なり返却なりを求めるのは分かる。


 でも。今のカテワルトは、世界最大の港町だ。人口も数万どころではない。セイミアを返せと言って、釣り合うものではないはずだ。


「確かにそうだ。しかし契約に入れなかったのは、建国王の不手際だ。その補償であり、利子でもある」


 聞いた答えは、こうだった。やはり言い分に理解は出来る。でも、そうですねと素直に頷けない。


「それが契約と不手際の話だと言うなら、ご先祖もそれを指摘しなかったのでは?」

「そうなる。だから最初から、穏便な解決など考慮に入れていない。交渉は論争になり、実力行使になり、戦争に到るものだ」


「なるほど。理解しました」


 理解はした。でも賛同は出来ない。だからボクの感想は、それ以上でもそれ以下でもない。

 その気持ちを察してか、子爵は聞いてもいないのにこう言った。


「私は常に、正しくあろうとしている。善行だけをしようと言うのではない。この世の摂理として、正しいことをだ。絶対など存在しないのだからな」

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