第336話:瑣話―ある漁村の悲劇

 今日も舟は出て、帰ってくる。村人の拵えた、ささやかな岸壁と桟橋を頼って。


 この村に地図はない。村の周囲も、遠い異国も、互いの位置関係を知るための物はなかった。そも、その必要もない。海は豊かだし、村の北では作物も採れる。外のことを知る必要がなかった。


 おさである男と、他に数人はそういった知識もあった。時に訪れる旅人や商人と取り引きをしていれば、知ろうとしなくともある程度の知識は積もっていった。

 近隣に統一された国はない。町とか村とか、集落ごとの社会があるだけだ。大陸の端に近いから、わざわざ遠方の大国が攻めてくる理由もない。


「セイム。あんたの言ってたやつが、ようやく形になったんだが」

「おお、そうか。早速使ってみよう」


 長の名は、セイムと言った。前の長老が亡くなったので、その孫が引き続いて長になった。

 亡くなった長老がいつから長と呼ばれて、どうしてそう決まったのか誰も知らない。知る必要もない。

 三十と少々の村人は、助け合って生きている。長と呼ばれることに、まとめ役として以上の意味はなかった。


 遠方から来た商人に、帆の付いた小型艇の話を聞いたのは数年前だ。木工のうまい男と二人で試行錯誤して、それを他の男たちも手助けして作り上げた。


 毎日の漁や農作業は休めないので、暇を見つけてということにはなる。それで何年もの時間がかかってしまった。

 しかし誰も焦ったりはしない。

 何年もかかって失敗だったとしても、また作り直せばいい。今のままで生活に困ることはないし、ちょっと便利になればいいなという程度の期待しかない。


 この村で漁に使う舟は、多くとも三人くらいしか乗れない。櫂を漕いで進む、どこにでもある形の物だ。


 新しく作った舟は、推進力として艫と帆が付いている。喫水は浅く、乗れる人数はやはり三人ほどだ。

 話に聞いただけの艫を作るのは、難しかった。帆にしたところで、風を受け止める方向や形は一筋縄ではいかない。

 セイム自身も漁に出た時に、仮に作った物を自分の舟で試したりした。


 結果を言えば、その舟は大成功だった。漁場までの移動時間が半分以下になって、干物にして保存する余裕が増えた。

 しかしその成功が、悲劇の始まりだった。


 セイムの村では、その小型艇を主力として使うようになった。形が決まってしまえば、何艘か作るくらいは簡単なことだ。

 明日の漁獲量が二倍になると分かっていれば、今日の漁を休むことだって出来る。村の男たちが総出でかかれば、わけはない。


 そうしていれば近隣の集落の住人や、通りがかりの商人たちの目にも止まる。セイムの村に住み込んで、作り方を教えてくれという者も多く居た。

 セイムの村は、山脈によって人の住みやすい土地が東西に分かれる境界の辺りにあった。だからその付近の往来は、元から多かったのだろう。これまでこの村に、これといって立ち寄る理由がなかっただけのことだ。


 村の人口は、二年も経たない間に千を超えた。多くは職人とその家族だったので、気のいい連中ばかりだった。

 急激な変化に戸惑う者も多かったが、セイムは活気づいたことを喜んだ。


「あっちの町もこっちの町も、都市国家を名乗ってるそうだ」

「セイム。あんたが市長になればいい」


 千の人口が二千や三千になるころ、村は町となった。名もなかった集落に、セイミアと名が付いた。

 規模が大きくなれば、ある程度の政治が必要になる。しかしそれでも、セイムの頼みならと税金に当たる寄付を拒む者はなかった。


 簡素ながらも木造の市壁が建てられて、東西を移動する商人たちはますますセイミアに金を落とすようになった。

 セイムの作った小型艇は、改良を加えられてますます高性能になっていた。速度だけならば、満帆に風を受けた大型船など相手にならないほどだ。


「小型艇を作る職人たちを、譲ってもらおう」


 ある日。セイミアの人口に拮抗する数の、軍勢が訪れた。

 その先頭に立つ男は、ラウジアと名乗った。彼が要求したのは、海戦を有利にする舟の作成技術。それから作成する工房。

 つまり、セイミアの町の全てだ。


「断ると言ったら?」

「そう言った人間を一人ずつ、屠っていくまで」


 セイミアにも防衛機能はあった。ただそれは野盗などを想定したもので、市壁と自警団程度では軍を相手にどうにもならない。


「要求は全て飲もう。ただし、略奪や暴力は無用に願う」

「もちろんだ。生活のための仕事も、新しく用意しよう」


 セイミアの北には、どれほどの大きさか全てを視界に入れるのも難しいほどの、巨岩があった。

 山脈の南端。谷に嵌まりこんだようなその岩を、付近に住む者たちは巨人の右手と呼んでいた。


 ラウジアの言った新たな仕事とは、その岩を貫く穴を空けること。正確には既に穴は空いているのだが、利便の良い通路として整備することだ。


「そんな無茶な……どれだけの距離があると思っているんだ」

「今日や明日に完成させろと言っているわけではない。それに完成させた暁には、俺の作る国の貴族にしてやる」


 どうしてその穴が空いているのかは分からない。風雨によって空けられたとは考えにくいほど真っ直ぐだったし、そんな物を虫や動物が拵えることもないだろう。

 何せただ歩くだけでも、三時間から四時間ほどもかかるのだ。


 その要求を断ることは出来なかった。町を支配下に置いたラウジアは、自身の本拠地もしばらくそこと定めた。セイミアの住人は職人以外を全て人夫として工事に当たる。


 五年後に、何とかエコリアを通すだけは出来るようになった。その洞門をくぐった先へある物に、セイムたちは驚愕を隠せない。

 建築中ではあったし、まだまだ小規模ではあるものの、実用と戦闘用と兼ね備えた城がそびえていた。


「これで私たちは、元通りだろうか」

「何を言っている? 利便の良い通路と言ったはずだ」


 セイミアと名が付く前の住人およそ千人は、それからも工事を続けさせられた。その期間は長く、長く。実に百年も続いた。

 誰しも家族を人質に取られ、逃げ出すことも出来なかった。


 そうして完成した通路は岩盤回廊と呼ばれ、その城を中心として出来た町はリベインと名が付いた。

 今から百五十年前に起きたその国は、建国王の名に永遠という意味の音を足してハウジアと言う。


 完成したならば貴族にする、という約束は守られた。セイムの子孫は、子爵位の下賜を喜んだ。

 与えられた名も、なかなかに愉快だ。

 その子爵家の名は、ユーニア。ラウジアたちの使っていた古い言葉で、もののついでという意味になる。

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