第333話:会頭の奥の手

「何のお話でしょうか?」


 話題が変わるのか、関係ないと見せて関係あるのか、様子を見るという選択肢はないらしい。

 ヌラの質問にアレクサンド夫人は、にこっと笑う。


「およそ百五十年前にこの地を橋頭堡としたサマム家が、その恩賞として手にした土地ですにい。以来、街は規模を大きくしながらもずっと続いていますにい」

「そのように聞き及んではおります。しかしただ今この場との関係を、ご説明願います」


 町のだかサマム家のだか、どちらにしても歴史の講義など誰も期待してはいない。

 夫人に助命を期待してもいない。むしろこの人に助けられるくらいなら、ここで全てが終わってもいいとさえ思える。


 いやそうするとフラウがどうなるかという不安はあって、それを思うとそうも言っていられないのだけれど。


「けれども代々のサマム伯が美意識を発揮されて、いま風の美しい街並みになっておりますにい」

「──それには同意致しますよ。整然とした風景は、私好みでもあります。維持にも力を注いでいるようですよ」


 とりあえず話させるしかなさそうだと、ヌラが譲った。

 この図々しさは、表向きの商談も重ねた強みだろうか。ユーニア子爵がそうと言えば、ヌラや影に襲われるのはボクと同様なのだけれど。


「左様でございますにい。維持工事にも、気を遣われる方ですにい」


 夫人は席を立って、木の窓に手を掛けた。思いきり開け放って、入ってきた空気を吸う。

 またおもむろに振り返って庭の向こう、鉄柵に囲われた先の街並みをこちらに示す。


「……何を仰りたいのでしょうか?」


 ヌラは何かに気付いたらしい。表情の変化はほとんどないけれど、声の質が僅かに硬くなる。

 ボクはさっぱりだ。何にどうやって気付いたのか、その入り口も見当たらない。


「工事をするからには、貴族の方々がご自分で行うわけではないですにい」

「それはもちろん。兵士を使うということもないでしょう」


 工事を行う人夫を常時抱えている貴族というのは、聞いたことがない。少数を施設の修理要員として持っているのが精々だろう。

 だとすればこの街の工事を、誰が行ったのか。この言い振りからすると、自明と思える。

 しかしそれでも、それがどうしたのかとボクには察しがつかない。


「街を炎上させたくはないですにい?」

「なるほど、そのような趣向でしたか。数年前に行われた大規模工事は、そちらが請け負われていましたね」


 そんなことを?

 主だった通りには、石畳が敷いてある。街のあちこちには、城壁を始めとして公共の建築物はいくらでもある。

 細工する場所には困らないだろうけれど、それは逆にそれだけの手間がかかるということだ。

 街を網羅して、こういう時のために備えておくなんて出来るものなのか。


「また大胆な札を切られましたね。やはり後継者となれば、それだけの価値があるのでしょうね。ただその代償は、商売の終焉だけではありませんよ?」

「もちろんですにい。例えここでお二人をどうにかしても、当商会によるものだとは判明するはずですにい」


 もちろんユーニア子爵家とは、全面的な対立となる。しかしそれがなかったとしても、街一つを壊滅させた罪はどれほどか計り知れない。

 この国に、居場所はなくなるだろう。


「ですからそんなことをしたくはないのですにい。そうしないで済むようにしていただけるなら、また別のお礼をさせていただきますにい」

「お礼とはなんでしょう?」


「今日の商談の金銭的な部分を、全て無償とさせていただきますにい」


 今度は表情にも表れて、「ほう──それは」とヌラにも驚きが見えた。


 何の代金なのか。いわゆる端金のために、この二人がここで会うなどという手間はかけられない。

 きっと途方もない額。それは高級なエコリアを買うとか、そういう次元でさえないのだろう。


 それでボクの命を救おうとするなんて──。

 もう「今のは間違いでした」では利かない。子爵がそうしようと言えば、夫人は確実に金銭的な損を被る。

 そうしてさえ、それはこの場の約束に過ぎないのに。ただこの場から、生きて出るためだけの料金。


 それをボクは、受け入れるのか?


「答えは否だ」


 夫人の提案を撥ねつける言葉。発したのは他でもない。ボク自身だ。

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