第332話:思惑
「どうぞ、お出しになってください」
凛々しくとも人の良い印象を受ける、ヌラの声。殺意しかない、ボクの首にかかった手とは正反対の表情を見せる。
怖れている自覚はなかったけれど、物入れを探るボクの手は震えていた。じっとりと汗ばんで、留め具を開けるのにさえ若干の手間を食った。
「それですか?」
「ええ、この中に」
きっとヌラの期待している物とは違っていただろう。ただそれであれば、腰の物入れには入らない。
そもそもどうやって作られた物か分からないので、形を変えていることもあるかと様子を見たのかもしれない。
取り出した小さな袋。その口を閉じている紐を摘んで示す。
が、ヌラは手を伸ばさなかった。
これを開けるには両手を使う必要があるから、万が一を警戒したのだろう。
「開けてください」
ボクも自分からは開けようとしなかった。注意をボク自身でなく、この袋に移すことは意味があるかもしれない。
結果として全く意味がないかもしれないけれど、そんな行為を織り交ぜることで撹乱になると教えられた。
直接にでなく、団長が常々やっていることをボクが解釈した結果だ。
「分かりました」
袋を目の前のテーブルに置いて、紐をそっと緩めた。それとなく、フラウにも目配せをして。
中に何が入っているのか、確かめておけばよかった。でもそうと気付いたのが今なのだから、どうしようもない。
予想としては目くらましになるような物か、ボクがここに居ると示すような物だと思うのだけれど。
もしも破裂するようなことがあればボクも怪我をするかもと思って、テーブルに置いたのだ。
でも口を全開にしても、特に何かが起こる気配はない。
あれ? と声に出しそうになったけれど、堪える。
そうそう、これでいいんです。何もおかしなことなんてありませんよ。と心の中で唱えつつ、袋の中へ指を入れた。
かさっと軽い触感は、薄紙だろうか。
まずい。これはどうやら、実際にお守りだったらしい。どこかの神殿の護符とか、そういう物だ。
ユベンさんは、本当にたまたまだったのか……。
それにしたって、ここで出さずにやめるという選択はない。護符であれば、それをヌラが見たことがなければ、うまく言い包めることも出来るかもしれない。
問題は、どんな嘘を吐くか全く思いつかないことだけだ。
それじゃ駄目じゃないかと自分で突っ込みつつ、そろそろと薄紙を引っ張り出した。それは丁寧に折りたたまれて、折り返しをうまく使うことで封をする構造になっている。
神殿で配られる護符も、それぞれ凝った折り方をしているものだ。この折り方を見たことがある気もするけれど、どこの神殿だっただろうか。
「護符ですか。なるほど、そんな形にもなるのでしょうか」
ヌラも同じことを考えたようだ。丸々信用したわけでもないけれど、期待外れと決め込むことも出来ない。そんなところだろう。
首にかかる手に、少し力がかかった。もたもたしていないで早くしろと、急かしている。
「開けますよ」
「お願いします」
封を外して、折り返しを一つずつ開く。最後に二つ折りの段階になって、緊張から息を吐いた。
それを強引にきっかけとして、また開く。
「にゃんっ!」
思わず顔を背けるような、大声が響いた。それはたぶん団長の声で、声がしたのは開いた薄紙からだ。
護符──か、それに類する物ではあるのだろう。どこかで見たことがあるような、複雑に引かれた線で描かれた紋様と、意味の分からない文字が並んでいる。
しかし起こったことは、それだけだった。
それを合図にどこからか団長が飛び出してくるようなことはなかったし、光も煙も出てきたりはしない。
「これで命を買おうと?」
「いやあ──どうも思った物と違いました。どこかで入れ違ったのかな?」
白々しくもなる。大きな声がしただけで、実害は何もない薄紙。そうなると分かっていれば、まだ使いみちはあったかもしれないけれど。
「残念です。どうも交渉にもならなかったようです」
「お待ちくださいにい」
ヌラの手に力が込められるのを止めたのは、以外にもアレクサンド夫人の声だった。普段通りの気取った声で、よくもヌラは留まってくれたものだという感もある。
「それを止める力は私にはないですにい。でも一つ、お話を聞いていただく時間をいただけますかにい」
ヌラはユーニア子爵に確認を求めたのだろう。答えには、ほんの少しの間があった。
「構いませんが、それはこの商談を損に動かしますよ。それでもよろしければ」
「ありがとうございますにい」
夫人は恭しく、優雅な動作で頭を下げて話を続けた。
それはボクに取っても、おそらく子爵たちに取っても、話す意図の分からない内容だった。
「さて、サマムというこの町ですけれどにい。とても古い町ですにい」
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