第326話:これからの立場

 風を追い越すほどにも見えるメイさんの疾駆は、もちろんクアトを目がけてではない。クアトの後ろに回り込んだ、団長に猛進する。


「がっ!」


 予想していた動きとは異なるうえに、その移動速度もこれまでと比較にならない。クアトは咄嗟に避けようとしても、避けきれなかった。


 肩を引っかけられて、その勢いだけで弾き飛ばされる。飛ばされたのは僅かだったけれど、激しい砂の音を立てて枠の外に向かって滑っていった。

 両手両足を踏ん張って、それでも止まらない。

 面倒なルールだと言っていたけれど、そうと認めたからには従うつもりだったらしい。引かれた線から出ないように、クアトは耐えようとしていた。


 ──ようやく止まって。

 しかし、足首から先。たったそれだけが、線から出てしまった。

 自身の足を見つめるクアトの目が、冷めていく。


 まさかやけになって、自分の足を切り落としたりしないだろうな。

 そう心配するのをよそにクアトは黙って立ち上がり、服に着いた土汚れを軽くはたく。

 それから口の中をもごもごとやって、土の色になった唾を吐き捨てる。

 

「ちっ、つまらない終わりかただねえ。まあルールを認めた以上は、ここでやめるけれどねえ」

「あ──ええと」


 気を落とすなとか何とか言うのも筋違いで、声をかけたはいいけれど言葉が出ない。


「あん? 何だい、まさか慰めようってのかい? やめとけやめとけ、あたいらは勝負がどうのこうので落ち込んだりするような性格はしちゃいないよ」

「ええ? でもメイさんとの勝ち負けに拘って──」


 それも強がりとしか思えない。やっていることは、正にそうなのだから。


「それは勘違いってえもんさ。あたいは掃除がしたいだけでね。それも今は無理らしいって、分かったけれどねえ」

「あくまで掃除、ですか……。でも無理だと?」


 クアトの言う掃除とは、きっと命を奪うことなのだろう。

 自分が強くあろうとして、それよりも強い相手に出会うことを喜ぶ。というのは、まだ分かる。そんな相手と戦うほうが、上達は早いだろう。

 でも、ただただ殺すことだけが目的で、そこに喜びを見つけているなんて。


「ああ、認めるしかないねえ。勝負はあたいの勝ちで、外の人間の口出しがあったことを差し引いてもね」

「え?」


 何を言っているんだ?

 線から足が出たのは、クアトのほうだ。もちろん、そうすると言っていたようにメイさんを死なせていれば勝ちだけれど、そうはなっていない。


「ルールを拵えるなんて野暮なことをするもんだと思っていたけれど、別のルールで縛っちまってたのはあたいのほうだったって気付いたのさ」

「いや、あの。何を」

「さて。気が済んだなら、いくらか聞かせてもらおうか?」


 散らかしたあれこれを拾ったり、いかにも帰り支度を始めたクアトにミリア隊長が声をかける。

 ボクの話に横入りの格好だけれど、遠慮していては話すきっかけさえ失うと考えたのだろう。


「何をだい? あたいは善良な、ハウスメイドだよ。あんたが港湾隊の一番隊隊長だとか、額冠を盗んだのはあたいだとか。そんなことは知らないし、あり得るもんかね」

「貴様っ!」


 馬鹿にした挑発に、ミリア隊長は怒ってみせた。こんなことで怒る人ではないけれど、核心を突く話が出たからには舶刀カトラスを抜かなければならない。

 ただ相手が否定しているから、軍人を公然と罵倒した疑いのほうだと示したのだ。


 しかしそれはクアトとしても、時間の浪費を抑えたのだろう。剣を抜かれたからには、この場には居られない。

 さっきまで話していた姿は幻だったかのように、彼女の姿は忽然と消えた。




 予定外の来客はあったものの、もうここには用事がない。ボクたちは使用人の三人にお礼と言付けを頼んで、出発することにした。


「さて君との旅路も、ここで終わりですね」

「そうですね。でもまたお会いすることもありますよ。同じカテワルトに住む同士ですから」


 団長たちはこのままカテワルトに帰るので、ミリア隊長もそちらに同行する。ボクとフラウは別の用事があるので、ここで別れるのだ。

 だからそういう挨拶をしたつもりだったのだけれど、ミリア隊長は何か気まずいような困ったような顔をした。


「どうかしました?」

「いや──なかなか言い出しにくいものですね。どうやら小官は、君のことがそれなりに気に入ってしまったようだ。あ、いやもちろん、友人としてね」

「はあ、それはありがとうございます」


 フラウの手前、言葉を選んでいるのは分かるけれど、それとはまた別のことを言い淀んでいる。

 何だろうかと首を捻るボクに、ミリア隊長は「はあっ」と大きくため息を吐いた。


「やはりまだまだ、君には見えていない物も多いようですね」


 ミリア隊長の指が、すっと地面を示す。そこは朝に、メイさんとクアトが戦っていた場所だ。


「そこです。隅のところ」

「隅? メイさんの居たところです?」


 邸宅の庭ではあっても、柵の中が全て整地されているわけでもない。それほど地面を荒らしたわけでもないし、描かれた線もまだそのまま残っている。


 聞いても答えがなかったので、何を指しているのかとよくよく見た。

 なるべく正確に指の延長を辿ると、どうやら線の中ではなく線を示しているらしい。


 でも少し消えかけているくらいで、おかしなところは……。

 じっと眺める時間が、幾ばくかあっただろう。同じ場所を同じように見続けていただけなのに、ふっとそこに足跡が見えた。


 ちょっとした角度の違いとか、何かきっかけはあったのだろう。ただ地面を引っ掻いた跡のように見えていたのが、メイさんの足の動きを如実に伝える痕跡に変わった。


「足が出ていますね──」

「そうです。彼女がそこを踏み切ったのは、クアトにぶつかる前です。するとルール上、彼女の負けになりますね」


 勝負は自分の勝ちだが、今は殺すことが出来ないから諦める。クアトはそんなことを言っていた。

 何を勘違いしているのかと思っていたのに、そうではなかった。


「どんなことでも、自分がこうだと思って見ているのとは別の真実というのがあるものです。今はこうして話している小官と、君との間にもね」

「ああ──」


 そこまで言われれば、気付かざるを得ない。ミリア隊長は犯罪者を捕まえる立場で、ボクは盗賊団の一員だ。

 その事実を忘れてはいなかったけれど、ここまで続いていたなし崩しに慣れてしまっていた。


「小官はこのまま、奴らと同行します。おそらくカテワルトに帰還した時点で、この監視任務も終わるでしょう。そうなれば──」

「ええ、分かりました」


 ミリア隊長は、左手を自分の胸に当てる。戦場で習った、略式の礼だ。


「小官はこれまで、君のことを知らなかった。だからここまでは友人として接することが出来た。しかし今後ミーティアキトノが何かをすれば、小官は君もそこに居たと考えるし、事実としてそうなのでしょう。何より、君の執念深さは相当なものです。面倒な相手だと認識せざるを得ない」

「ええ、そうなり……ますか」


 ボクも左手を胸に当てて、礼を返す。視線を動かしてそれを見たミリア隊長は、にっと笑ってくれた。


「だから今、この瞬間が最後です。今後あなたを見れば、小官は捕縛にかかる。だから──」


 ミリア隊長はそこで言葉を切った。息をするためとか、涙に喉を詰まらせたとかではない。意図してそこで切った。


「これからも努努ゆめゆめ、用心を怠ることのないよう。忠告しておきますよ」

「──分かりました。色々と、本当にたくさんのことを、ありがとうございました」


 ミリア隊長には世話になった。こんなことではお礼にもならないというのに、今までそれを言うのを忘れてしまっていた。

 記憶に残ったあちこちの場面が頭に浮かんで、どうしてそんな大事なことをと悔しく思う。

 本当に、全く。こんなことでは、足りも何もしやしない。


「さあ」


 そう言って、ミリア隊長は右手を出した。握手はいいのだろうかと恐る恐る手を出すと、彼女はその手を掴んで上に向ける。


 何をする気か慌てていると、ミリア隊長の拳がボクの平手に打ち込まれる。

 ほんの軽く、ぱしっと乾いた音がした。


「じゃあ、そういうことです。ああ、フラウ。あなたもどうかお元気で」


 ボクを一人の盗賊と認めて、凛々しくて頼りになる港湾隊の十人隊長は街道へと足を向けた。


 団長たちともそれぞれに挨拶して、ボクたちが見送る立場になった。

 街道で乗り合いのエコリアを捕まえるので、向かう方向は同じだ。でもボクはフラウと一緒なのでどうしても遅くなる。

 だから先に行ってもらったのだ。


「準備はいい?」


 少し後ろに下がっていたフラウに声をかけると「いつでも」とボクの腕を取った。

 それを頼るように横に立ったフラウは、まだ背中の見えるミリア隊長に視線を送る。


「とても──いい人ね」

「うん。とてもね」


 ボクたちはそのまま、一歩一歩をゆっくりと歩き出した。

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