第311話:卿の問い

「ぐ──げはっ! がはっ!」


 団長たちはもとより、ボクやフラウもその煙の影響は全くなかった。ミリア隊長だけが、煙が消えてしばらくしても、咳が止まらない。

 念のために団長に聞いてみると、たき火の煙に当たるよりもよほど毒性のない物だと思うと言った。


「ごほっ! ごほっ! くそっ、奴はごほっ! どこに行った!」

「さあ……消えてしまいました」


 顔色も多少の紅潮があるくらいで、具合いを悪くしている感じではなかった。

 やはりむせてしまっただけなのだと、ほっとする。


「扉も開かなかったのに、どう──げほっ! どうやって!」


 ボクに向かって怒っているわけではなく、それでもむかっ腹が立つというところだろう。リマデス卿の前でありながらも、強く壁や床を叩いて調べている。


「まあ水でも飲んでください」


 そうすれば咳も気持ちも落ち着くかと思って、傍まで行って水袋を差し出した。彼女も素直にそれを受け取り「ああ、ありがとう」と口を付ける。


「ぼうば!」

「うわっ!」


 ごくごくと水を流し込みながら、何か思いついたように彼女は声をあげた。おかげで含んでいた水は、目の前のボクの顔だ。


「急にどうしたんですか……」


 ボクの腕にしがみつくように着いてきたフラウは、ボクの腰にあった手拭いで顔を拭いてくれる。

 それはすごく嬉しいのだけれど、今それを口に出すタイミングではないだろう。


「額冠は!」


 ミリア隊長はフラウの両肩を持って、額を見た。そこに額冠はない。

 フラウが目覚めてからボクは額冠を取っていないし、フラウにもそういう動作はなかった。煙の中でも、近くに居るフラウくらいは見えていたから間違いない。


 他に誰も近付いた人は居なかったから、オクティアさんも含めて誰も取ってはいないはずなのだけれど──。


「あの時か──」

「あの時?」

「オクティアが彼女に抱きついていた時ですよ」


 まだ怒気を感じるものの、口調は素に戻って咳も治まったらしい。

 しかしその言葉には、なるほどと思う。確かにその機会しかないだろう。正直な話、フラウが目覚めたことに喜ぶばかりで、額冠がいつまでそこにあったかなんて気にもしていなかった。


 つかつかとミリア隊長は、リマデス卿の前に足を向ける。もちろんすぐ目の前に立ったりはしない。五歩分くらいの間を空けて立ち、間髪入れずに聞く。

 彼女らしい、まっすぐに突き抜ける声で。


「彼女はどこに行ったのか。お心当たりはありましょうか!」

「さてな。聞いていた通り、俺は話してやれと言った。指示に背かれた身なものでな」


 そうだ。リマデス卿はそう言って、オクティアさんも話す気で居たように見えた。それがフラウと話したあとでは、こうなった。

 彼女のことだから、最初からここまで考えていた通りという可能性も高いけれども。


「了解です。では額冠を持ち込んだのもオクティアで、再び持ち去ったのも彼女一人の判断だと理解してよろしいか」

「そうだ。あれは俺が躾けた中でも、とびきりに言うことを聞かん奴でな。俺も全く知らなかった」


 今のリマデス卿に、話す言葉の中から感情を見つけるのは難しい。人形の体だからか、声質はかすれていて語調も平たい。

 しかし今語った最後に、卿は確かに笑った。はっきり笑い声がしたのではないのだけれど、仕方のない奴だと鼻で笑うような部分が間違いなくあった。


「了解しました。今のところは、そういうことだと認識しておきましょう」

「好きにするがいい。お前もご苦労なことだ」


 人を疑うのが仕事である以上は、どんな言葉もまたいつひっくり返るか分からない。それは港湾隊でなくとも、盗賊だって同じだ。

 うちの団員同士で陥れ合うというのはないけれど、同じ盗賊という名で油断のならない相手は多い。


「さて。ということは質問は終わりか?」

「ええ、とりあえずは」


 すぐにでも行動を起こしたいだろうミリア隊長は、気持ちを落ち着かせるように大きく息を吐いた。

 ボクたちの監視という任務を捨てて、オクティアさんを追うわけにはいかないのだ。


「では俺からも、聞かせてもらいたいことがある。あれから、首都はどうなっている?」

「公式な記録は、届いていると聞いていますが」

「ああ、それはな。だがほとんど箇条書きのようなもので、細かいことは知らんのだ」


 なるほど。それは知りたいだろう。

 特に王や王子の、処遇や行動。その発言なんかがどうであって、どう受け止められたか。

 ユヴァ王女の恨みを晴らすために突きつけた条件が、正にそれだったのだから。

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