第307話:おはよう

 敵同士だって、話し合えば分かり合えることはある。友だちとか仲間とか、そういった人たちは話すことで繋がっていく。親子の間にも、会話があれば温もりが増すのだろう。

 それは別に、言語を操ることでなくてもいい。一緒に食事をして、何か同じ目的を果たして、時にはただ同じ空間に居ること。

 離れていたとしても、互いを思って行動していれば、通じ合えることはあるらしい。


 特に最後のは高度過ぎて、ボクにはよく分からないけれど。でも話し合えば、互いを思えば、繋がりは増すものらしい。


 話して分からないこと。それは、とてもたくさんある。話すことさえも、受け入れられないことだってある。


 話す、とは。

 それを互いの意思を交換することだと定義すると、ボクの生きてきた大部分は誰とも話していない。

 ミーティアキトノに入れてもらって、それも最近になって、ようやく話すという行為に触れた気がする。


 フラウ。ボクは、君と話したい。

 でもその前に、君はリマデス卿と話すべきだ。リマデス卿は、君を利用していた。自身の寂しさをごまかすために。寂しがってなどいないと、自分さえも欺くために。


 それが悪だと、ボクには言えない。

 良いことではないのだろうけれど、なぜそうなのか説明は出来ない。


 フラウ。リマデス卿と話そう。

 額冠に封じられた、彼の人格に触れよう。そうすれば、もう君が彼を愛する理由はなくなる。その愛が何だったのか、考える理由はなくなってしまっているんだ。リマデス卿は、もう君を必要としていない。


 だから今度は、君が必要とするものを考えよう。

 もしもそれが奇跡的にも。万が一。出来るなら。なるべく。ボクであればいい。そうであったら、ボクは嬉しい。

 フラウ。ボクには君が必要だから。




 フラウの額に収まった額冠。そこに何も変化はなかった。

 そんなことをすれば、フラウの体が乗っ取られるのではないか。その心配はしていなかった。

 どうしてかと聞かれたら、理由は答えられない。リマデス卿を見ていたら、そうだと思ったとしか言えない。


 しばらく──具体的には、床に突いていたボクの膝が痛くなってきたころ。

 フラウの唇が動いた。


「あ……」


 音は一つしか聞こえなかった。でも唇は、何かの言葉を紡いでいる。ただでさえ小さなフラウの口に、その動きは繊細すぎて何と言ったか分からなかった。


 ボクの視界には、フラウしか映っていない。周りのみんなはもちろん、壁も床も、何も感じない。

 それは彼らの見せる幻なのか、ボクが無意識にそう思い込んでいるのか。

 ……まあ、そんなことはどっちでもいい。


「終わった?」

「終わったの?」

「眠る?」

「止まるの?」


 黒い姿の子どもたちは、口々に聞いてきた。フラウの様子を窺って、何か違うと感じているらしい。


「ううん、止まらない。むしろ、これから動き出すんだ。残念ながら、君たちとは違う時間がね」


「お役目?」

「お役目?」

「お役目?」

「お役目?」


「違うよ。フラウはもう、お役目には縛られない。フラウがやりたいことをするんだ。君たちが居る場所には、しばらく行けなくなるよ。ごめんね」


 子どもたちは集まって、何やらひそひそと話し合った。ちらちらとこちらを覗き見る視線は、多少の不安感を誘う。

 でも彼らには彼らの時間が流れ──いや、止まっていて。フラウとボクにはこちらの時間が流れている。


 せっかくこちらに来れたフラウを、そちらに押し戻すわけにはいかない。


「フラウは遊びに行くの?」

「フラウは帰ってくる?」


「そうだね。ようやく遊ぶことが出来るようになるんだ。いつか帰るだろうけれど、しばらく先だよ。待っててあげてくれるかな」


 またひそひそと、声が漏れ聞こえる。今度はフラウのことではないらしい。


「君も来る?」

「あなたもおいで?」


「うん、そうしよう。その時まで、待っていてよ」


 子どもたちは手に手を取って、走り出した。

 風景の彼方に、開けた森がある。そこには大きな丸太作りの建物があって、庭には花が植えられている。

 小川で子どもたちは遊び、動物たちと語り合う。

 周りの大人たちは、子どもたちの食事を作って見守っている。


 みんな。みんなが笑っている。

 ああ──いつかそこに、フラウと行くよ。だからそれまで、君たちは楽しんでいるといい。


「フラウはそこに居るんだね」

「フラウはそこに居るといいわ」


 子どもたちのうち、目の前に二人だけが残っていた。

 それが誰だか、ボクには分かる。声に出して聞いてはいないけれど、彼らが教えてくれた。


「ありがとう、二人とも。フラウの心を守ってくれて。いつか直接、お礼をしに行くよ」

「それまで、元気にね」

「それまで、仲良くね」


 二人は恥ずかしげに手を繋ぎあって、他の子どもたちのところに向かう。ボクはその背中に、大きな声でもう一度言った。


「ありがとう! ニヒテ! ネファ!」


 二人は振り返って笑った。


「いいのよ。優しい人」

「いい人だ。さすがはフラウだね」


 二人が森に消えるのと一緒に、視界の全てが消えた。

 ボクとフラウは、生きて帰ってきた。


「おはよう、フラウ」


 まだ目を閉じたままのフラウは、生まれたばかりの赤子のように、瞼の開け方から思い出しているみたいだった。

 ようやく開いたそこに、まん丸の瞳がボクを映す。


「アビス?」


 ようやく。とても長く待ちわびた、フラウの声が耳に届いた。

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