第306話:戻ってきて

「あなたは一体、フロちに何をしたにゃ?」

「だから言っているだろう。もう忘れたのか? 里の技を使って、俺の言いなりになるよう暗示をかけた。しかし具体的に何をどうしたのか、記憶はほぼない」


 苦言の通りに、それはここまでで聞いたこと。ほとんどそのままを繰り返しただけだ。

 でも団長は指をさして「それだにゃ」と、得心のいった顔をしている。


 何が「それ」なのか、まだボクには分からない。でも額冠を使いたいと言ったのが、フラウのためにということは分かる。

 他の誰も気付かない何かに、団長は気付いたのだろう。


 そうなるとボクも、話を聞く真剣度が変わってくる。

 いや別にふざけて聞いていたつもりはないけれど、自分と直接に関わるかどうか。それはやはり、違う話だ。


 しかしここで気になるのはリマデス卿だ。

 人形の身であっても、疲れるのだろうか。少し前のめりに、顔を伏せ気味だ。オクティアさんも心配そうに、足元へ跪く。


「それ、とは?」

「暗示だにゃ。暗示をかけたと言ったにゃ」

「──ああ、そうだ。彼女には、強力な暗示をかけたはずだ」


 それは確かに、何をしたのか初めての言及だったかもしれない。でもそれが分かったからと、解き方まで分かるわけではない。

 いやレリクタの人でなくとも、そういったことに心得がある人を探せばいいのか?

 そういう意味では、可能性があるかもしれないが……。


「しかしおそらく──俺は暗示を解いたはずだ。お前に返す前にな」

「あの時に?」


 フラウが返された時。それはたぶん縛られたフラウに、卿が謝っていた時のことだろう。

 あの時、何かしていただろうか。

 確か、ただ目の前に立って話しかけていただけだと思う。声が聞こえたわけではないから、喋ったことの全ては分からないけれども。


「暗示なら解けるはずにゃ。記憶を書き換えたとか、入れ替えたとかなら無理だけどにゃ」

「どう違うのか、何となく想像はつきますけど。そんなことも出来るんです?」

「出来る人も居るらしいにゃ」


 リマデス卿のその時の様子も伝えると、団長は言い切った。話の後半はついでだったみたいだけれど、そんな人を知っているのだろうか。


「まさか団長が暗示を解けるんですか」

「あたしには、暗示は解けないにゃ」


 ええ……期待したのに。

 でもそれなら、全く進展はないじゃないか。そういう技術を持った人を探し歩くくらいしか、手が思いつかない。


「あたしには、と言ったのにゃ」

「え?」


 つまりそれは、団長でなければ他に誰か可能な人がここに居るということか。


 リマデス卿は無理だと言った。オクティアさんも聞いてみなければ分からないけれど、専門外だろう。

 メイさん──には出来るはずもないし。フラウ自身だとか言ったら、さすがにボクも怒る。

 ではサバンナさんか? そんな話は聞いたこともないが。


「そんな難しそうなこと、出来るわけないに」

「あら──」


 視線を向けた段階で、本人が否定した。

 じゃあ誰なんだ。するとオクティアさんなのか? そうだとしても素直に協力してくれるか、若干の疑問がある。


「オクティアさんにも出来ませんよう。強い気付け薬なら作れますけどお、お腹がどうにかなっちゃうかもしれませんねえ」

「ええと、それは最後の手段で──」


 じゃあ誰なんだ。

 この場に居る全員が出来ないと言った。いやメイさんには聞いていないけれど──まさか?


「みゅ?」

「メイでもなくて、ここに居るにゃ」


 長椅子に横たわってこちらを見ていたメイさんは、何か用かというようなきょとんとした目で見返してくる。


 しかしそれは構わずに、団長は額冠を指に引っ掛けた手を突き出した。


「額冠、です? それがあっても、解き方は分からないと仰っていましたけど」

「違うにゃ。この子が自分で解いてくれるにゃ」


 一人の人格が封じられているからって、額冠まで「この子」と呼ぶのもどうかと思う。

 しかもそこにあるのは、目の前に居るリマデス卿の半身みたいなものだ。その台詞は、リマデス卿に向けられたにも等しい。


「──ああ、なるほど。それは可能性があるかもしれん。やってみればいい」


 恥ずかしかったのだろうか。先ほどよりも、顔の伏せ方が深い。もうどんな表情なのか、見ることが出来ない。

 でも同意があったということは、期待してもいいのだろうか。


「暗示っていうのは、人の感情とか意識とかの方向を勘違いさせることなのにゃ。だからそれを解くには、正しい方向を教えるんじゃないのにゃ」

「勘違いしていると教えてあげること、ですか」

「そういうことにゃ」


 ううん? 何だかややこしい。

 ええと、つまり。暗示をかけた人がかけられた人に、何を勘違いさせたのか正確に伝える必要がある。

 解けていないのは、伝わっていないということだと。そういうことか。


「え、じゃあ。解けるかもしれないじゃないですか!」

「そう言ってるにゃ」


 団長の手から、額冠がぽんと投げられた。

 金属製だし頑丈そうなので、落としてもたぶん問題はないだろう。でも受け取りそこねてはと緊張して、少しあわあわとしてしまった。


「サバンナさん」

「了解に」


 ずっと背負ってくれていたサバンナさんが、床の絨毯の上にフラウを座らせる。

 目の前に立って、ボクもそこに膝を突いた。


「ふう……」


 胸の鼓動が高鳴ってくる。深呼吸をしても、増すばかりだ。

 毎日ずっと見ていたのに、何だか久しぶりに見たような気のするフラウの顔。ただ目を瞑っているだけのようで、今にも「うふふっ」と笑い出しそうだ。


 いや。ボクの知っている彼女の笑顔は、作られたものだ。これからボクは、彼女の本当の笑顔を取り戻さなければ。


 鼓動が止んだ。

 時が止まったように、何の音も聞こえなくなった。


「戻ってきて。フラウ」


 そっと。静かに。ボクはフラウの頭に、額冠を載せた。

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