第295話:学んだこと
リマデス卿を指した指が、震えて止まらない。細かな揺れだけれど、卿も団長たちもそうと気付くだろう。
これは何の震えなのか。
怒り、ではない。怖れ、がないとは言わないけれど、それも違う。
ああ、いや。
怖れで合っているのかもしれない。ただそれは、卿に対してではないけれど。
「徹底的に? フラウやら他の奴らもそうだが、徹底的に虐げろと言っているのか?」
「違いますよ。あなたは自分でも気付いているはずだ」
そうか、そういう意味にも取れるのか。ボクがそうだと思っている通りに、必ず相手が受け取ってくれるなんてない。
言葉は人を傷付けることがあるし、勘違いも生む。相手を騙して利用することだって出来る。
でもきちんと使えば、自分の気持ちをより正確に伝えることが出来る。
だから言おう。今はリマデス卿に。
フラウが目覚めたら、フラウに。思っていることを、ちゃんと伝えよう。
「あなたは寂しいんだ」
「………………何だ?」
「寂しいから、自分のために何かしてくれる人を探して、作って、一緒にやろうって目的を掲げてたんだ」
間違っていたら。てんで見当違いなことを言っていたら。
そんな思いが浮かんでしまって、言い淀みかけた。でもちらと隣を見ると、団長が居る。
その目は興味深げにリマデス卿を見ていて、ボクのことなんて視界に入ってもいない。
──ということは。少なくともおかしなことは言っていない。
こんな場面で頼るなんて我ながら情けないけれど、でもそれはまた強くなっていけばいいだろう。
今はその言い訳でいいとしよう。
「ユヴァおう──ユヴァさんのことは本当に。何と言えばいいか、言葉もありません。ボクとフラウに置き換えてみたら、たぶんボクだって正気では居られない」
リマデス卿は、何も言わない。俯き気味ではあっても、視線も外れることなくこちらを見ている。
大丈夫。これを全部言わなきゃ、次に進めない。言うしかない。
「だから、分かります。あなたの気持ちの全てを理解は出来ないけれど──悲しくて寂しくて、八つ当たりでも何でも、俺はこんなに嘆いているんだって示したかったんだって、分かります」
「泣いて母親を呼ぶ乳飲み子でもあるまいし。俺が周り中に喚き散らして知らせていたと?」
座ったまま、軽く両手を組んだ姿勢は変わらない。ここでようやく馬鹿なことをと指摘出来ると思ったのか、片方の眉が上がった。
でもボクは「いいえ」と答える。
実際にそうではないし、卿を馬鹿にする気持ちなんてこれっぽっちもない。その両方に。
「ユヴァさんにですよ」
即座に何か言おうとした卿の口が、開いて閉じた。
そのままその唇の間から細い息が吐かれて、視線は初めてボクから外れる。
瞳が向いているのは床だけれど、本当に見ているのは何だろう。
ユヴァさんが今居る風景なのか、眠っている風景なのか、それとも生きていた風景なのか。
そこまでは察せない。察したところで、何をも言えない。それは無粋というものだ。
「……馬鹿なことを、言うな」
全く力のこもらない、否定の言葉。戸惑っているのか、途切れがちに声が出された。
「俺は、誰も彼も利用しただけだ。奴らがしたように、弱い者が何を言おうと聞く必要はない。だから俺がしたいように、させたいように、働かせただけだ」
「そうですか──」
ボクも視線を床に落として、もう一度考える。
言うと決めてはいる。言わないという選択肢もない。でも事実を突き付けることは、時として人を深く酷く傷付ける。
嘘が人を救うことだってある。
生まれた間と外された視線に、卿はどこか安堵しているようにも見えた。これ以上、自分の心を晒されないで済むと、心の奥底にあるのだろうと思う。
でも、今は言おう。
「ではどうして、フラウにあなたを好むように仕向けたんです? 薬か何か知らないけれど、手の込んだ真似までして」
「そんなことは──」
否定の言葉は、途中で折れた。
ごめんなさい、ボクは最後まで言います。でないと誰も救われない。
「していますよね、レリクタで。フラウだけじゃなくて、そこに居た全ての人に。たぶんその効果が強く出た人と、全然駄目だった人と居たんでしょう。後者は全員、切り捨てた」
「そんな──」
なまじ元々が重みの効いた声をしているものだから、聞こえるか聞こえないかくらいのその声でさえ言い訳に聞こえない。
この人が自信を持って。つまり普段あの通りの調子で言えば、大抵の人は信じて従うだろう。
それを普通の領主として使えれば良かったのに。良き夫として、奥さんに優しく使いたかっただろうに。
「作られた偽物の気持ちでも、フラウはあなたを愛していますよ。それがなくなってしまえば、行き先を見失うくらいに」
団長だけを見て、フラウを見なかったのはこれが理由だ。こんなことを言う前に、彼女の姿を見ることなんて出来ない。
「だから徹底的に。あなたもあなたなりに、これくらいは好いていると示してあげれば良かったのに。ユヴァさんの代わりになんて、そりゃあならない。罪悪感もあるでしょう」
上手く話せているから、震えは止まったと思っていた。でも腕も脚も残らず震えていることに気付く。
ボクがこんなことを言うなんて、笑わせるなとボク自身が思っている。
「だから徹底的に、道具にするならすれば良かった。好きだと言って、玩具にでもしても良かった。でもあなたは、そうしなかった。あなたは優しい人だから」
頷いたのか、項垂れたのか。卿は頭をがくりと下げた。
見えない口から「ああ……」と声が漏れ聞こえる。
「失って狂ってしまうほど人を愛せるのは、優しいからですよ」
リマデス卿はボクが言っていることを、どう感じているのか。この次の瞬間にも、黙って聞いていればと怒り始めること可能性だってないではない。
でもそんなことを気にしていたら、ボクは目的を果たせない。
「ボクはあなたから学んだんだ。やりたいことは、やりたいって言わなきゃ叶わない。だからボクは、フラウを返せとあなたに要求します」
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