第294話:追憶
おや。ボクの意識が飛びでもしたのだろうか。
いつの間にか、纏わりつくようにしていた子どもたちがボクから離れている。子どもたちそれぞれも二人か三人ほどに分かれて、何か作業をしているようだ。
近寄っても、ボクなど見えていないような。興味どころか、意識のひと欠片さえもこちらを向いていない。
「薬の調合──かな?」
身振り手振りがあるだけで、黒い影のような子どもたちの姿以外の物はそこにない。でもオクティアさんが、フラウに飲ませるための薬を作っていた姿と重なる光景だった。
子どもたちは、互いにその薬を与え合った。それを何度か繰り返すうち、何人かは身を溶かすように消える。
「消え──死んだ?」
目鼻や口はなんとなく見える気がするだけで、実際にはない。でも死んだ子の居た場所を見つめて、呆れたような顔をしたり、くすくす笑ったりしているのは分かる。
「どうして。仲間じゃないのか」
来る日も来る日も、それは続けられた。誰が死ぬのか、誰が生き続けるのか、そこに約束などない。
誰もが平等に、明日訪れるかもしれない死に恐怖を感じることもなく居る。
「ここではそれが当たり前なのか……」
ルールだと押し付けられ、納得したのではない。それが当たり前なのだとこの子たちは受け入れている。
納得するかとか、どう感じるかとか、そういう理屈以前の事象として。湯を沸かして放っておけば、蒸発して終いにはなくなってしまうのと同じように。
それが続いたある日、誰か大人がやって来た。子どもたちと同じような、影が増えたのではない。
では何かといえば説明のしようがないけれど、そこに来たとボクの目には見えた。
その大人はボクを気に入ったようで、ことあるごとに呼びつける。抱き合い、目合い、恋人のようでもあった。
でもそこに、例えば優しさとか慈しみとか、いわゆる愛情があるなら生まれるだろう感情はないように思う。
その辺りはボクも疎いので、何とも自信はないが。
呼びつけられるのは、一人だけではなかった。他の子どもたちも、最低でも一度はその場を訪れる。
透明な何かが別に居るように感じるのは、この場に居る他の大人だろう。
呼ばれる頻度の多い子が、もう一人居た。かなり髪を短くした、年上だろうか、背も私より高い子。
──私?
ああ、そうか。
私は今、私なんだ。
その施設を出る時に、私はその子と一緒だった。ブラムさまも同行している。
でもその子は途中で一人エコリアを降ろされて、別の場所に行ってしまった。私はそのままブラムさまと街まで出て、貴族の家に預けられた。
そこでブラムさまもどこかへ行ってしまったけれど、定期的に様子を見には来てくれた。
それを、別れたあの子に対して自慢に思う気持ちがあった。
いえ、待って。
私は最初から、この男は何なのだろうと訝しく思っていた。途中から――そう、街に出てしばらくしたころからは、世の男として最低に近いと嫌悪し始めていた。
でもそれと同時に、もっと愛してほしい、もっと傍に置いてほしいと思う気持ちが存在している。
相反する気持ちが、心に同居している。というには違って、それと似たような言葉で言えば居候だろうか。
居て悪いわけではないのだけれど、目障りだった。
ブラムさまの居ない間は、礼儀作法を叩き込まれた。どこの誰よりも、正しい儀礼を身に着けること。
それでいて愛らしく、はしゃいだり多少の羽目を外すことも教えられた。
楽しいという気持ちはまだしも、はしゃぐというのはよく分からない。でもそれも屋敷や街中に居る、女性や子どもを見て学んだ。感情とどう結びつくかはともかく、そういうものだと知識として記憶した。
それがまた一年か、もう少し続いただろう。それから私はその貴族の家、ユーニア子爵家を出て、仕事を始めた。
「っはあ、はあ……」
そこで意識がボクに戻った。
言葉でいちいち言っていては、結局良くない単語の全てを並べるだけになりそうな。まだ胃袋と胸の奥のほうを鷲掴みにされているような。
そんな最悪の気分と体感だった。
周りに居る子どもたちは、相変わらずボクに興味があるようだ。ボクを誰だと認識しているのか、親しげに何ごとか話しかけてきているらしい。
「お役目を、果たしましょう?」
言ったらどうなるのか。軽率だったとは思う。でもどうだろうかと考える前に、口にしてしまっていた。
子どもたちがボクの手を取る。どこへだか、連れて行きたいらしい。
「いやボクは違うんだ──」
聞こえているのかいないのか、子どもたちが構う様子はない。
ずるずると引き摺られて、そういえばここはそんなに広かったかと、不思議に思った。
さっきまでも、随分と歩き回った気がするけれど。
帰れなくなる。
どこまでも運ばれそうで、これはまずいと察した。ボクを引っ張る子。ボクを後ろから追い抜いていく子。触れたそこから、その子たちの気持ちも流れ込んできた気がした。
それがあまりにもボクと似ていて、気が付くとボクは、その部屋の外で倒れていた。
助かったらしいと感じた途端、お腹の底から気持ちの悪さが込み上げる。堪える間もなく、ボクは胃の中の物を残らずそこにぶち撒けてしまった。
ボクがあの子たちの手から、どうやって逃げたのか。その部分の記憶は、はっきりとしない。
でもボクの口元には、
「フラウ!!」
と叫んだ感触が残っていた。
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