第296話:協力不能

 リマデス卿が顔を上げると、その頬を涙が一すじ伝う。意思の強そうな顔は相変わらずで、それはあまりにも美しい雫と似合わなかった。


「フラウを返せ?」

「ええ。あなたから体を取り戻しても、見ての通りに眠ったままです。彼女の心はまだあなたに縛られていて、自由に動くことが出来ない」


 細かな説明はしない。そもそもこの人が施した何かなのだから、その必要はない。

 それ以前に、例え強制的に植え付けられた気持ちでも、彼女の心がそちらを向いている解説なんてしたくなかった。


「お願いとはそういうことか──」

「やってくれますか」


 卿の表情は落ち着いている。まだ眠ったままだということに不審げな顔は見せているものの、断るという選択肢はないだろう。

 たぶん。というくらいに思って、一つ息を吐いた。

 意識したのではないけれど、安堵のため息というやつだろう。


「俺に出来ることであれば構わんが──」

「あ、ちょっとごめんにゃ」


 急に団長は手を上げて、卿の言葉を遮った。何の用かと思えば


「話はまとまったみたいだから、お花を摘みに行ってもいいかにゃ」

「ええ? 今ですか」

「実はずっと我慢してたにゃ。まだもうちょっとかかるにゃ?」


と言いながら部屋を出て行きかけていた。


 そんなに我慢していたのか。まあ団長が股間を押さえて我慢しているとか、漏らしてしまうとかを見たいとは思わない。

 というかそれなら、もっとこっそり行けばいいのに。


「場所は──」

「分かるにゃ、一階の奥にゃ」


 オクティアさんが案内しようとしたけれど、場所もチェック済みらしい。「行ってくるにゃん」と団長は部屋を出た。


「すみません。それで、やってくれると仰いましたか」

「いや。俺に出来るなら構わんのだが──出来ない」


 耳を疑った。

 出来ないと言ったか? フラウを目覚めさせることは出来ない、と。


 どうしてそんなことを言うんだ。

 ──いや違う。やらないと言ったんじゃない。出来ないと言ったんだ。でも自分でやったことだろうに……。


 リマデス卿ときちんと話が出来れば、それで解決すると思い込んでいた。誰もそんな保証はしていないのに。

 愕然とする気持ち。どうすればいいのか、焦る気持ち。卿に責任を求めて、怒鳴りつけたい気持ち。そんなものが入り交じる。


「ええと──それは額冠がなくなったからやり方が分からないとか、そういう」

「そうではないと思う。いやごまかしたいのではないが、何せ文字通りの知識の塊だったのでな」

「でも違うと?」


 絶対にと言い切れないことを、卿は詫びた。でもそこはもう問題じゃない。額冠があっても恐らく出来ないということは、それがない今となって可能であるはずがない。


 万策尽きたということか……。

 ボクの苛々は卿にでなく、国王かその側近に向けるべきだったようだ。額冠があれば、フラウがどういう術を施されたかくらいは分かったかもしれないのに。


「俺自身に、何かの術の心得があるわけではない。レリクタには資金を出していただけで、運営には関わっていなかったからな」

「いやでもフラウのところには、ずっと居たんでしょう?」


 その姿はボクも見た。何年も同じ建物の中で、繰り返し、繰り返し──。


「いくらか扱いを覚える必要はあったからな。自分で新しい物を作ったり、難しい技は出来ない。フラウや他の子らにしたのも、里の者に考えさせた」

「じゃあその、里? の人たちに聞けば何か分かるかもしれませんね」


 まだ方法はあるのかと喜んだけれど、卿は即座に「無理だ」と否定した。


「もう誰も生きていない」


 横に首を振る様は、若干の後悔を感じた。それは卿がその人たちを、皆殺しにしたという告白だろう。

 殺したことにでなく、ボクにかフラウにか、助けにならなくて申し訳ないと。なぜだか卿の気持ちが、手に取るように伝わってきた。


「話の邪魔をして、すまないに」


 ちょこんと低く手を上げて、サバンナさんが切り出した。邪魔をしてすまないと言っているけれど、リマデス卿もボクも、どうしたものかと黙ってしまったところだった。


「一つ、不思議なことがあるに」


 その二人の視線が注がれて、サバンナさんは話してもいいらしいと判断したようだ。見方によっては病人のようにも見える卿に遠慮したのか、やけに小声で。


「なんです?」

「辺境伯はそれほどの罰を受けずに、今ここに居るわけだに?」

「その辺境伯というのを、没収されていますけれどね」


 異論を唱えたのではない。話の先に必ずあるだろう案件を、相槌として言っただけだ。それはサバンナさんも分かっていて、頷きが返ってきた。

 でも処罰の内容がどうであっても、今この話にどう関わるのかはまだ予想がつかない。


「それで額冠が取られたのは、どうしてかに。単に財産ならまだ分かるけど、当人の意識そのものだに。お咎めなしとは言えなくないかに?」

「それはまあ確かに……」


 最初から最後まで、辺境伯の乱と一般に呼ばれる事件は、王国として前代未聞のことばかりだ。

 その措置はまだ終わりきってもなく、渦中に居たボクもよく分からない。


 でももしかしたら、詳しいかもしれない人は居る。ボクは素直に聞いてみることにした。


「どうしてなんです? ミリア隊長」

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