第285話:退場

「ふぅっ!」


 体を反らして突きを避け、重心が先足に乗ったかと思うと、鉾槍ハルバードを持つ全身鎧の腕が切りつけられる。

 息継ぎと体重移動と剣撃とが、同時にこなされていた。マイルズ伯爵の体を手に入れる前とは、明らかに違う動きだ。


 右腕の先を切り落とされて、鉾槍も地面に転がる。

 金属を打つ重そうな落下音が響いたその一瞬に、辺境伯がまだまだ一人でも暴れ回ることを想像した人は少なくないだろう。


 しかし全身鎧の倒れた陰から、小振りの鎚鉾メイスを突き出し、叩きつける人物があった。


 間違いなく、そこに人は居なかった。でも今は居る。同じように、さっきまでユーニア子爵の傍にヌラの姿があった。しかし今は居ない。


 ヌラの鎚鉾は違いなく辺境伯の腕を打って、関節のない箇所でその腕を曲げた。

 辺境伯の剣もまた、鈍い音を立てて地面に落ちる。


「まだ……まだ動くのか、あの人はっ」


 狂気に侵されているといったって、人間の体には限界があるだろうに。

 激痛に顔を顰めながら、それでも辺境伯の目が死なない。左手に投げナイフを握って、ヌラの肩口を狙う。


 やっと、そこが辺境伯の限界だった。

 いかに神殺しの肉体でも、戦場を駆け回り、二人の手練を相手にした直後に腕を折られては。

 五体満足なヌラを迎えるには、足りなかった。


 左腕を軸にうつ伏せに倒されて、関節を極められた。文句のつけようもないほどに、辺境伯は敗北した。


「終わっ……た?」


 目にした事実はそうだと分かっているのに、口にしようとすると疑念になってしまった。

 この場に居るみんながそうなのか、誰も何も言わない。


「叫べ! 我々は勝利した! 生き残った全ての者は、命あることを喜べ! 死んでいった全ての者に、感謝と賞賛を与えよ!」


 ワシツ将軍が雄々しく叫ぶ。

 それにさえもすぐに反応はなくて、でも数拍を置いて、勇気ある何人かが答えた。


万歳ヴィーヴァ! 俺たちは生きてる! 万歳! 仲間たちよ、天上エテールで待て!」


 すぐにそれは何十人の、次には何百人の声にと変わっていった。王軍のほとんどの人たちが合唱し、見ていた辺境伯軍の人たちも苦笑と共に呟いていた。


「我が友を、放してやってはくれまいか。もう戦うことはさせない」


 イスタムとリリックが、ヌラに言った。彼らは武器を納め、表情からも緊張が減っている。


「──分かりました」


 ヌラはあくまでユーニア子爵に確認を求め、頷きを得られたことでそれに応じた。

 土の付いた装束を手で叩き、涼しい顔で子爵の傍へと戻った。


 入れ替わりに、全身鎧を運ぶように指示をして、あの小さな体で屈強な戦士も退場した。

 運ぶのには兜を外したようだったけれど、ボクからは顔を覗くことが出来なかった。

 ただ長い髪がざらっと垂れて、本当に女性だったんだなと再確認したに留まる。


「さて──」


 例の乗り物に乗ったままの国王は、座り込んだ辺境伯のすぐ目の前まで移動させて、そこで下ろすように言った。

 疲れの見える顔で胡座を組んで、一言を漏らしたあとにしばらく黙っている。


「どうした。腹の立つことだが、お前たちは勝った。勝者の権利を行使しろ」

「うむ──」


 国王は、まだ何も言わない。

 敗者を眺めて、勝利の余韻に浸っているとか、そういう表情でもない。

 何やら迷っていて、辺境伯を観察することでその答えを得ようとしている。強いて言えば、そんな風に見えた。


「王がそんな体たらくで──」

「余は……」


 辺境伯が語気を強めると、偶然に重なったのか勢いに押されたのかというタイミングで、国王は話し始めた。

 辺境伯もそれを邪魔する気はないらしく、すぐに口を閉じる。


「余は、謝ろうと思う」

「何?」


 辺境伯もそうだろうけれど、ボクも耳を疑った。きっと周りの騎士や兵士たちの全員が。

 国王が、反乱を起こして負けた相手にかける第一声を謝罪だと。そう言ったのだ。

 これは過去に類を見ないに違いない。


「数時間前、この場に赴いた時。余にはまだ傲慢が残っておった。だからこそ、貴公も余の話を聞いてくれなんだのだろう。だからまず勝者の権利として、余の謝罪を耳に入れてくれるように頼むとしよう」

「ふざけたことを。そんなものが勝者の態度であるものか。王家の名が泣くぞ」


 苛々とした態度を隠すこともなく、辺境伯は毒突いた。国王はそれを見て、なぜだか微笑む。


「貴公はそれでもまだ、余を国王と認め、王家を思ってくれるのだな」

「そんなことを言ってはいない。勝った者は勝ったなりのことをしろと言っている」


 まだ毒を収める気配ではなかったけれど、最後には「勝ったのだから好きにしろ」と言って黙った。

 辺境伯はあくまで、実行した王子たちとそれを黙っていた関係者たちに怒っていたのであって、王家のあり方にまでどうこうと言っていたのではないとボクも思う。


「随分と時間を取ってしまった。そなたの人生も狂わせてしまった。何よりユヴァには、つらい思いをさせてしまった。謝って済むことではないが、すまなかった」


 ユヴァ王女の名を出して、国王は謝った。それはここまでに辺境伯の語ったことが、全て事実だと認めたことになる。

 実際にそのつもりなのだろう。国王の表情には謝罪の気持ちが、その目には強い意志が見えている。


 辺境伯もまた、その目を正面に見て何も言わなかった。

 喜怒哀楽のどの感情も感じることが出来ないまま、しばらくのあとに呆れたような鼻息を吐いた。それで国王も納得したようだった。


「貴公は王家をどうこうとする気であったのだろうが、それでは王族が良くとも民が困る。まだしばらくは続けさせてもらうぞ」

「勝手にしろと言っている」


 国王の態度が息子の不始末を詫びる父親から、一国の主へと変わった。王家に非のあることではあっても、それとこれとは別の話だと。

 確かに王家が今日すぐに消えてなくなったとしたら、一番困るのは町に住んでいる市民たちだ。

 強国で安定しているハウジアが、一転して無法の地になってしまう。


「まあ──一言だけ言っておくなら、お前たちのような血筋はまたすぐに脅かされる」

「うむ、心しよう」


 嘲笑めいた自重気味の笑いに、国王は深く頷く。そうやって淘汰されるなら、そこまでの運命だったのだと。その次に生まれるのがより良い国家であることを願うとも言った。


「それで貴公だが、何の処分もせぬわけにもいかぬ」

「ああ、何をする? 即刻の死罪か、市中を引き回しか」

「まずは辺境伯の身分を、剥奪する。貴公は一介の民となる」


 反乱を起こした貴族を、そのままにしておけるはずはない。それは当然の沙汰だった。

 でもそれで終わらせては、時間を置いてまた反乱を起こす機会を与えることになりかねない。

 辺境伯のように、怒りに身を任せたような人だと尚更だ。


「それだけか」

「無論、まだある。余、つまりガレンド・アルゼン=ハウゼングロウだが、王位を退く」

「……何と言った?」


 国王の発言に、辺境伯でさえも聞き返した。事情を理解出来なかった王軍の重鎮たちは「陛下!?」と取り乱している。


 ボクはワシツ将軍と頷きあって、会談の行く先を見守った。

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