第283話:野を駆ける
「まあまあ。それほどゆるりと話している時間もなかろうて」
昔のことだ、と。今は牧場主──でもなくなったのか。ともかくレンドルさんは、ひらりと身軽にエコに乗った。
「ほれ、坊主」
「え?」
鞍の上から手を差し出されて、意図が見えない。戸惑っていると、牧場で聞いた威勢のいい怒声が響く。
「早うせんか! その怪我ではまともに歩けんじゃろう。行くところがあるんじゃないのか。うん?」
「は、はい!」
一気に引き上げられて、怪我をした半身が痛む。正直には痛いなんてものでは済まなかったけれど、悲鳴は何とか堪えた。
「おいレドリック、どうするつもりだ!」
ワシツ将軍がレンドルさんの脚を掴んで聞いた。どうするというのが、これからの行動のことなのか、ボクのことなのか。きっと前者だろうけれど。
「坊主のことか? 男には、格好をつけにゃならん時があるじゃろうよ。今すぐにでも怪我を治せると言うなら、それくらいは待ってやるが」
これには誰も、何も答えられなかった。こっそり団長の顔を見たけれど、治癒しようと言うことはなかった。
あれには多少の時間がかかっていたから、今すぐというわけにはいかないからか。それとも何かの都合があって、今は出来ないのかもしれない。
「──お前は何のために行こうと言うのだ」
二人には、どういう縁があるのだろう。悪さをしていた仲間というわけではないだろうから、捕物をする側とされる側だろうか。
今のボクたちと、ミリア隊長のように。
その縁が何かを感じさせているのか、将軍は声を低めて酷く重々しげに聞いた。
レンドルさんは深く息を吸って、そこで何か思いを巡らせるように目を閉じる。一拍ほどの間で息が吐かれ、静かな笑みを浮かべた老人が言った。
「儂という男はな、ずっとわがままに生きてきた。ここに至って、恥をかかされたままでいいのかと若い奴らが言うもんでな。八つ当たりに行くまでよ」
「貴様、何があった──」
レンドルさんは、もう答えなかった。「ハイヤッ」と声をかけて、エコを走らせる。
そのあとをレンドルさんの仲間たちと、親方率いる山賊たちが声もなく続く。陽気そうな彼らだけれど、何かの意志は統一されているみたいだ。
レンドルさんの駆るエコは、平原を滑るように走る。おかげで痛みは、それほど気にする必要がなかった。
「レンドルさん、ご無事だったんですね」
「ああ、お前さんたちのおかげでな」
「ボクは辺境伯に生きていてもらわないと困るんですが、それはレンドルさんの邪魔にはなりませんか」
どうしてこんな質問をしたのか、自分でも不思議だった。そうなんだろうなと予想はしていたけれど、聞くにしてももっと当たり障りのない聞き方があったはずだ。
「ぶつかるじゃろうな。しかし──」
「しかし?」
「年寄りと若い者の意見が違った時には、年寄りが退くもんじゃ。若者が間違っていたとしてもな」
それではボクの手伝いをするだけになるじゃないか。
そうでなかったとしても、レンドルさんの言い分は矛盾している。これは間違いなく、本意ではない。
でもそれを、もう一度問い質す時間はなかった。薄くなった陣を駆け抜けて、辺境伯の目の前にレンドルさんは躍り出る。
「小僧! 息子の仇は討たせてもらうぞ!」
レンドルさんの山刀が、辺境伯の右腕を狙う。しかしそうだと声までかけているのだから、相手の剣もまたこちらを向く。
そのまま打てば、剣を合わせてすれ違うだけになっただろう。
でも目の前で、急にエコが進路を変えた。
当然その操作をしたのは、レンドルさんのはずだ。蹄が強く地面を噛む音がして、頭が辺境伯の左手の側に出る。
レンドルさんの山刀も左手に持ち替えられて、これが本当の利き腕かと合点する鋭い振りが辺境伯を襲った。
「むんっ!」
金属同士のぶつかる鈍い衝突音と、擦れ合う音とが耳に障る。辺境伯は迅雷のような速度の山刀を、鍔で受けた。しかもそれだけでなく、絡め取ってしまおうとさえした。
それはレンドルさんも嫌って躱したけれど、あの一瞬でそれだけ出来るとは、辺境伯の元々の剣技なのか、神殺しの体のおかげなのか。
「ご老人。どこの誰だか知らんが、俺に恨みがあると言うなら買おう。存分に晴らせ」
「何い?」
「出来るものならな」
「片腹痛いわっ!」
レンドルさんはまた同じようにフェイントを交えながら、ここで拾っただけのエコとは思えない乗りこなしようで攻める。が、また退けられる。
「歳の割によく動くが、俺には届かんな」
「くそったれが……」
レンドルさんは、もう息を切らせ始めていた。けれども辺境伯に有利なばかりではない。
周りを見ると、ギールの姿がほとんどなくなっている。彼らだけを相手と見定めた、うちの団員たちの仕事だ。
「助太刀致します!」
「おう、助かる。爺いと女、ついでに子どもなら、三人がかりでも構わんじゃろう?」
「ここは戦場だ。好きにしろ」
ギールが居なくなったことで、ようやく全身鎧の戦士の手が空いたらしい。イスタムとリリックは健在だけれど、クアトやドゥオたちが相手をしているようだ。
鉾槍が大きく振られた時には、態勢を崩した隙をレンドルさんが狙う。レンドルさんに剣が向けば、鉾槍の穂先か
それでも辺境伯は、その覇気を一向に衰えさせない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます