第272話:想定通り
辺境伯軍の正面には、国王の居る王軍が。その両者が衝突する横合いからは、ユーニア子爵の手勢が何重にも巻いた野菜の葉を一枚ずつ剥がすように進んでいる。
その二方向にギールを集中させていた隙を突いて、セフテムさんが空けた斜め後ろからの風穴。
そこを通り抜けていく後続の兵士たちは、辺境伯のすぐ近くを浸食するように包囲を広げようと、まだ前進を続けるようだ。
ボクたちも後続の更に後ろを走って、辺境伯に手の届く距離へと、
「セフテムさん!」
彼のことを特段に心配していたわけではないけれど、その姿を認めるなり叫んでしまった。
辺境伯の護衛をする立場だろうに、どうもこの戦場では姿を
「ああ……私のことは気にせず、続けてください」
首を振り返らせたセフテムさんは、もう視点がどこに定まっているのか分からなかった。それでも満足そうに、さも愉快そうな笑みを浮かべながら、仰向けに倒れて動かなくなった。
「――見事だ」
リリックの腕に、防具はない。強いて言えば、革のグローブが肘までを覆っているくらいだ。
そのグローブにはいくつかの傷が付いていて、滲みだしたばかりらしい血も見える。
「その命、俺が受け継ごう」
そう言って、リリックはセフテムさんの大太刀を握って引っ張った。武器を奪うつもりなら手を開かせて柄を持てばいいのに、わざわざ刃を持って。
怪我をすることを厭う様子もなく思い切り引かれた刀は、するりとセフテムさんの手を離れた。
リリックは何やら納得したように頷くと、手斧をその場に捨てて大太刀に握り替える。
「男の命を奪って使おうとは、なかなかに非道を行うものだ。どのような次第だか、教えてもらおうか」
「俺たちには俺たちの考え方がある」
セリフだけを聞けば、これから綿密な話し合いでもしようかという風にも聞こえる。
でも思い入れあって使っていただろう珍しい武器を奪い取ったリリックに、ワシツ将軍は明らかな憤りを見せていた。剣先を向けながら、つかつかと歩み寄って、そのまま駆け出した。
リリックもそれ以上に言葉を重ねる気はないらしく、その場で将軍を待ち構える。
「やれやれ。年長者が真っ先に動かれるとは、慎重論を唱える暇がない」
メルエム男爵はそう嘯いて、自慢の
布は当たり前に目の前の地面に落ちて、男爵はその上にそっと足を乗せる。
「何の真似だ?」
「どうやらあなたも強敵らしい。ということは、私がお相手しなければならない」
問いかけに対して、男爵は当然だという態度で答えた。それでイスタムもその行為の意味を察したらしい。
「なるほど? 戦いを申し込む作法ということか」
「そういうことです。本当はチーフを使うのですけれどね。生憎と持ち合わせがない」
「洒落たことを」
将軍とは対照的に、二人はそのままじりじりと相手との距離を測り始めた。慎重な足運びが、お互いを強者と認めたと物語っている。
「そんな。お二人とも大丈夫なのかな……」
「アビに心配されるほど、弱くないって言うと思うみゃ」
「それはまあ――」
それはそうだけれど、だからといっていきなりあの二人が出ていかなくてもとは考えてしまう。
ではあの二人でなく、ボクの知らない兵士の誰かならいいのかとか言われても困るけれど。
「強い敵を倒す力を持っているから、将軍とか隊長とか呼んでもらえるのですよ。大丈夫、あのお二人は強いです」
「……はい」
ミリア隊長の言ってくれたことは、確かにそうなのだろうなと納得は出来る。でも、だから割り切れと言われてすぐにそう出来るものでもない。
そこでふと思ったのは、ボクはどうしてそんなことを感じたのかということだ。
フラウと出会ってからのあれこれで縁の出来た人たちではあるけれど、逆に言えばそれだけだ。
将軍を物語の登場人物のように憧れていたのを置けば、まだ知り合ってから何日と数えられる人たちだ。
この気持ちは何だろうと考え始めると、頭の中がぐるぐると掻き回されたような気分になった。
気持ち悪い──。
一気に込み上げた吐き気を、ぐっと堪える。
「アビたん、折角もらった機会にゃ。何か言うことはないのかにゃ」
ボクが思わぬダメージを負っていることなど、知るはずもない団長が言った。
周りはセフテムさんの率いていた人たちに囲まれていて、辺境伯の向こうにもそれは伸びている。
完全な包囲とまではなっていないけれど、言った通りに僅かな間であっても孤立させることには成功していた。
辺境伯のすぐ近くを固めていたギールや兵士たちは、将軍の部下たちと団員のみんなが相手をしてくれている。
この状態は、それほど長く続かない。セフテムさんがミーティアキトノに託した時間を、ただ無駄にするほどにはボクの感情は死んでいない。
「ふっ。何の用だか知らんが、本当にしつこいことだ。そこまでいけば見上げたものだがな」
ボクの視界の真ん中で、辺境伯がこちらを向いた。
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