第271話:怖れる兵士

「怖れを抱くのは当たり前だよ」


 何を言っているんだい? と半分は疑問のような口調で男爵は言った。

 ギールたちは辺境伯の周囲を重点的に守って、王軍へと目を向けている。ボクたちのほうへと牽制してくるのは、一般の兵士ばかりだ。

 また一人を切り倒して、言葉が続いた。


「自分で言うのも何だけれどね。彼と私の間には、相当の実力差がある。体力は彼のほうが上でもだ」

「え、ええ」

「彼もそうだと分かっていたはずだよ。私は軍の中でくらいは顔が通っているほうだ」


 いや――首都やカテワルトで、特に女性に対してメルエム男爵よりも有名な、貴族も軍人も居ないと思うけれども。


「それでも、刃を向けてきた。ということです?」

「そうだよ。それでも戦うことすらせずに逃げ出せば、兵士とは何ぞやということになる。自分が無事でも、隣や後ろに居る僚友が危険に晒される。私よりも強い人が毎度そこに居るのならいいけれど、そうもいかない」


 それは分かる。ロープの先が使えなければ、その次の部分を使うだけだ。


「それだけで、負けると分かっている相手と戦えるものですか」

「いや。それは前提としての刷り込みだね。もしも君が逃げたら、仲間がその代わりに犠牲になる。それで負けたら、今度は自分の家族が犠牲になる。それでもいいのかってね」

「ああ……」


 それでも。

 怖いものは怖いだろう。すぐ目の前にある死の恐怖と、家に残してきた家族の安全。その天秤をすぐ家族のほうに傾けられる人なんて、そんなに居るのか?


 家族というものの価値を、ボクが知っていないせいというのはあるだろう。でもボクがそうなったら、その場は逃げてその家族と一緒に安全なところを探せないか。と考えてしまう。


「いや、だからそれは前提だよ。敵前逃亡は、その場で処刑される」

「なるほど」


 それは処刑というか、嬲り殺しだろう。近くに居た味方が、お前は何をやっているんだと切りかかってくる。当然に周りにはそれまでの味方しか居ないのだから、囲まれている。

 いっそ敵陣に駆け込んで、命だけは助けてくださいと言ったほうが生存の可能性は高い。


 怖れを抱きながらも、兵士となってしまったからには選択肢がないということか。前提というのは、その実情を柔らかく受け止めさせるための装飾メイクということだ。


「だから、おかしいんだ」


 男爵はまた一斉にかかってきた数人を、人数よりも少ない腕の振りで捌いた。

 あろうことか、そのうちの一人は切られる瞬間に目を瞑った。切られる痛みを、その先にある死の恐怖を感じていると明らかに分かる。


「突撃と命じれば、騎士も兵士もそれはそこに突っ込むさ。でもそれは誰だって、ある程度の怖さを感じている。高揚してしまって、それさえも忘れるというのはまた別としてね」

「そうなんですね。怖くなくなる訓練でもあるのかと思いました」

「訓練で一掃することが出来れば、それは強い兵士になるだろうね。一緒に食事を楽しむことは出来なさそうだけれど」


 ではどうして、指揮官の命令に従って戦えるのか。怖れるあまりに武器を取り落としてしまう人が、たくさん居てもいいくらいだろうに。


「その先があると思うからさ」

「その先、です?」

「戦場における一つの死というのは、絶対じゃない。目の前の敵をどうにかすれば、一旦は離れてくれる。だからそれをあと何回越えていけばいいかと、みんな心の奥底では思っているんじゃないかな」


 その答えは納得だけれども、軍人がそんな風で大丈夫なのかとも思う。特に男爵のような高い地位にある人が、そうと認めてしまっていいのだろうか。


「突撃すれば相手の隊長を倒してくれる。若しくは敵陣を突き抜けて、その向こうに生きて出られる。そういう保証を兵士は求めているし、それに答えられる隊長が優秀だとなって、兵士もまたついていこうとなる。誰もそうと口にはしないけれど、本当のことだよ」


「そんな見返りを期待するから、突き抜けるものも突き抜けなかったり、勝てる勝負を落としてしまうと」

「そうだよ。そもそも戦争というのが、相手に力尽くで言うことを聞かせようとする行為だからね」


 端的に言ってしまえば、確かにそうだ。

 戦争に限らなくとも、街角のケンカだろうと、捕物だろうと。腕力に訴える全ての行為は、その勝敗で以て相手の反論を封じる手段だ。


「……それを奥底に押し込める力が強い人ほど、くそ度胸が据わっていると呼ぶんですね」


 言質を取っているような気分になってしまって、遠慮してそこで話題を逸らした。男爵はちょっと意表を突かれたような表情をしたけれど、すぐに「そういうことだね」と合わせる。


「何です。また小官の悪口ですか」

「またって何だい。悪口を言ったことなんてないだろう」

「どうでしょう」


 男爵とミリア隊長のそのやりとりの間だけ、どこに居るのだったかうっかり忘れそうになった。

 しかし次に上がった叫びが、強引に現実へと引き戻す。


「さあ、覚悟しなさい。リマデス辺境伯!」


 多くの隊員たちを犠牲にしながらも、セフテムさんは辺境伯を目前に捉えていた。

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